今月のシグルイ覚書(71景〜80景)

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2009年6月19日(8号)
第七十一景 虎殺(とらころし)

 妖刀『七丁念仏』で斬られた人間は七丁(約763メートル)歩いてから死んだといわれる。(シグルイ2巻 七景)
 凄まじい切れ味をもつ刀だが、持ち主に不幸を呼ぶと虎眼先生が鑑定していた。
 すごい信憑性あるな!

 実際、刀を預かっていた虎眼先生は斬られてうどん玉。(シグルイ6巻 31景
 次に刀をあずかった孕石家も不幸の連続だ。(シグルイ11巻 59景
 けっきょく不吉すぎるから虎眼流が預かれということで、藤木にめぐってきたらしい。

 "あの"虎眼先生にも祟ったということで、名前が『虎殺七丁念仏』と格付けが上がった。
 大雑把にいうと、日本刀の名前には二種類ある。
 ひとつは、作者の名前でよばれる物(正宗村正虎徹清麿など)だ。
 もうひとつが、作者は無名だが逸話で知られるもの(髭切など)である。

 というワケで『虎殺七丁念仏』は着実に格を上げているようだ。
 駄目だこの妖刀…… 早くなんとかしないと……
 藤木に押しつけたりしないで、お寺で供養してもらえばいいのに
 坊主も逃げだすような危険物なんだろうか。

 危険な妖刀ではあるが、三重が半裸になって振りまわしたという艶っぽい思い出もある。
 艶っぽい……のか?
 まあ鮮血な記憶かもしれない。
 鏡のように磨かれた刀身にうつる半裸狂女のすがたを藤木源之助は熱心に見るのだった。


 藤木が刀ばかり見ているので、三重が薪割りをやっている。
 笹原修三郎は見事な手並みと絶賛だ。
 藤木よりも手際がいいらしい。
 まあ、藤木は薪割りも修行にしちゃっていたから、手際悪かったんだろうな。(70景

 藤木は宿敵・伊良子清玄を討つために集中しているので、ますます日常生活から遠くなっているらしい。
 常の方法では、伊良子を倒せないのだ。
 なにか打開策はないのだろうか。

 伊良子もかつては虎眼流だった。
 笹原は、伊良子がどんな男だったのかと三重にたずねる。
 虎眼流の内弟子は日が暮れるまで修行するらしい。
 さらに、その後も自主的に鍛錬をするものが抜きん出る。
 だが、伊良子は稽古のあと涼しい場所で居眠りしていたらしい。

 実は、笹原も修行後は寝る波だった。
 道場内の槍をすべて敵とみなし、戦場にいる気持ちで戦っていた。
 稽古後に余力など残らない。

 実際に伊良子は周囲を警戒しながら修行をしていたのだろう。
 なにしろ道場破りとしてやってきた外様だから。
 量をこなすのではなく、質を高める修行をする。
 それが伊良子と笹原の選択らしい。

 休んでいるときに筋肉などは作られる。
 過剰に負荷を与えるよりも、適度な休息をとるほうが理にかなった修行方法だ。
 なかなか合理的な精神の持ち主らしい。
 笹原は伊良子への好感度が上がったのだろうか?

 さて、藤木はどのようにすごしていたのか?
 藤木はひたすら刀をながめていたらしい。
 やがて、刀と体がひとつに見えるほど熱心に、ただひたすら刀を見る。
 刀好き、……というワケではないだろう。
 己の命を預ける刀だからこそ、理解したいのかも。
 体を休めつつ相棒と対話するのだ。


「笹原どの」
「工夫がつきましてござる」


 木剣をもった藤木がやってきた。
 虎殺七丁念仏を見ていたのは三重の半裸を思い出すためでは無かったようだ。
 というか、半裸を見ているうちになにかの工夫がついたのかもしれない。
 頭から血が下がって冷静になれたのだろうか。

 笹原は以前と同じく、無明逆流れを模した下段の構えだ。
 対する藤木は、木剣を高く上げる。
 木剣のつかみかたは、握るわけでもなく、指のまたに挟むのでもなく。
 指は伸ばし手で包みこむように保持している。
 手裏剣を打つ(投げる)握りににているだろうか?

 藤木が動いたッ!
 真っ直ぐ、正面から。
 考えろ莫迦! 前と同じだぞ。

 笹原がハネ上げた槍が、藤木の顎を打ちつける。
 歯が飛んだ。体も飛んだ。
 藤木、またも完全敗北か!?

 そう思っていたら、宙をまう藤木の影から、藤木が飛び出してきた。
 藤木が二人ッ!?
 ふたりはフジキュア!?
 新手の藤木は虎拳で笹原の槍をへし折った。
 範馬刃牙以上の妖術使いかッ!?(範馬刃牙163話

『源之助が二体』
『否』
『それは源之助の投げた木剣』
『剣鬼の執念吹き込まれし獲物ゆえに』
『笹原修三郎の目をもあざむいたのだ』


 三重は不充分な「流れ」で刀を飛ばした。(シグルイ5巻 21景)
 それを思い出すため、藤木は虎殺七丁念仏を見ていたのだ。
 刀をおとりにして、相手の懐に飛びこむ。
 騙しの技法だ。

 まっとうな攻撃ではない。
 御前試合でコレをやって許されるのだろうか?
 下手すると、勝っても切腹させられるかもしれない。
 笹原は藤木の行く末を心配する。

 だが、藤木はすでに死んだ身だ。
 伊良子に勝てさえずれば、我が身ですらどうでも良いのだろう。
 前向きなのか、後向きなのかワカりにくい状態だ。
 いずれにせよ、最終決戦の時が近づこうとしている。


2009年7月18日(9号)
第七十二景 巻藁(まきわら)

 虎は死して皮を残す。人は死して名を残す。
 つまり、虎眼先生は亡くなっても、虎眼流の技と教えは残っていく。
 文化遺産ですね。殺戮の。
 無残、無残……

 藤木源之助が元服する前のことである。
 前髪姿が初々しい。
 すでに木刀でしかとえぐった経験はあるハズだ。
 幼いが虎は虎である。

 さて、虎眼先生は内弟子たちを並べて講義をしているようだ。
 弟子のほとんどが顔に絆創膏をつけている。
 服の下はもっと傷だらけなんだろうか。
 虎眼流の稽古はとてもきびしい。

「貴人の御前にて仕(つかまつ)る"武芸上覧"なるもの」
「勝負と心得てはならぬ」
「木剣にてまともに当てれば」
「脳汁(しる)が漏れおる」


 虎眼先生の前には、文字通り脳汁(しる)が漏れた人が倒れている。
 いや、液体だけじゃなくて具も見えてるよ。
 虎眼先生、なんてモノを置いてんだ。
 どこで調達したんだよ。

 頭蓋骨が砕けてなくなり、中身が丸見えになっている。
 かじきでも喰らったんだろうか?
 固い頭蓋骨をここまで砕く技術は、若い弟子のものとは思えない。
 虎眼先生ならもっと鮮やかに斬っていそうだ。木剣であっても。
 ならば、牛股師範がやったのかもしれない。
 ……伊達にしそびれたな。

「危めるは易し」「伊達にするは難し」1巻 三景)

 失敗作(?)を見本にして虎眼先生は講義しているようだ。
 かつて上覧試合で船木一伝斎のアゴを飛ばした虎眼先生は無作法としかられた。(1巻 五景)
 貴人はグロいのダメらしい。

 相手をビビらせて打ち込む姿勢を見せれば、行司が止める。
 上覧試合では、それでいい。
 勝ったあとで貴人が気に入るように技の説明をすれば、なお良い。

「腕よりも弁」
「戦国の世が懐かしいわい」

『若き日の源之助が師より授かった
 太平の世に於ける武芸上覧の心得は』
『魔人虎眼でさえ階級社会の中では
 社会性を無視しえなかった事を証明している』

 昔を懐かしがりながらも、虎眼先生は現代の処世術を教える。
 狂ってなければ、ホントいい先生だよな……
 藤木が昔を懐かしがって、美化しているかもしれないが。

 『葉隠』には、若き日の鍋島勝茂が度胸をつけるためと、罪人を何人も斬り殺すエピソードがある。
 やっぱり、虎眼先生は戦国時代の精神を引きずっているようだ。
 家光の時代では、そういう殺伐とした精神が薄れているのだろう。
 しかし、藤木は虎眼先生の教えが届かず世渡りが下手すぎる。
 貴人の気に入る口上どころか、思ったこと口にしすぎですよ。
 がんばって空気読もう。おぬしの将来が心配すぎる。


 回想が終わり、舞台は駿府にもどる。
 密用方の沼津彦次郎が上覧試合の心得を藤木に伝えにきた。
 役所の文章だけに、長くて難しい文章らしい。
 公用文がややこしいのは、内容を理解させず利益を守る意味があるらしいぞ。(「超」文章法

 此度の上覧試合では真剣を用いて戦うところが、つねと異なる。
 だが、長文にまぎれて簡単に理解できるものは稀だろう。
 なので沼津は説明をするつもりだった。
 しかし藤木は理解しているようだ。

 藤木はいまだに字の練習をしている。学問はまだ修行中だろう。
 オマケに武士といっても、下級武士と上級武士ではしゃべり方まで異なっている。(図解 武士道
 普通なら、藤木には理解できない文章だ。
 自分の仕事分野の文章(説明書とか)だと、英語が苦手でも知っている単語ばかりだから読めたりする。
 だから藤木も要点だけ把握して理解したのかもしれない。


 いっぽう伊良子清玄は駿府藩剣術師範である岡倉木斎(三厳)から説明を聞いた。
 そういえば伊良子は岡倉の世話になっていたっけ。(七巻 三十五景
 怜悧な伊良子は話を聞いて すぐに真剣勝負を理解したらしい。
 さすが天才だ。

 珍しい客がきた。
 江戸虎眼流の金岡雲竜斎である。
 すっかり伊良子とつるんでいるようだ。

「七分反り 三尺三寸 ほぼ直刀の野太刀 大太刀)

「備前長船光忠 刀銘 一(いちのじ)


 日本刀の一般的な長さは二尺三寸といわれている。
 この刀は約1メートルの長刀だ。
 当時の日本人は現代人よりもずっと小柄だし、長すぎる刀は使いにくい。
 使い手を選ぶ刀のようだ。

 遠い間合いで斬るためには、長い刀が欲しい。
 また、足元に刀を刺す無明逆流れの構えには、誤差の少ない直刀のほうが都合が良いのだろう。
 伊良子のために作られた刀だ。
 備前長船光忠という作り手は備前長船兼光の弟子筋にあたる人だろうか。

 刀を抜いた瞬間、いくに口で奉仕させて抜かずにはいられない興奮が伊良子を襲った。
 金岡ビックリ!
 なんだかワカらんが、伊良子はすごい武器を手に入れたらしいぞ。
 伊良子はすぐに放出できるなんて、刀さばきだけでなく、そっちのほうも早いんですね。


 たいする藤木は『虎殺七丁念仏』を装備する。
 武器はもっているだけではダメだから、ちゃんと装備しような!
 呪われているから外れなくなるかもしれないけど。
 『虎殺七丁念仏』は、切れ味バツグンの妖刀だ。(シグルイ2巻 七景)

『魔をもって 魔を制す』

 それが三重の考えらしい。
 持ち主にたたるという部分は無視されている気が……
 まあ、伊良子を斬ることができれば良しなんだろう。
 後のことは知らん。

 藤木は試し切りとして巻藁(まきわら)を作る。
 笹原の土蔵から黒く変色した畳をもらい、竹と合体させて完成だ。

 変色した畳って、預かっている牢人が切腹したり、成敗したりでダメになった畳だろうか。
 瓜田仁右衛門が果てた畳も、ここに置かれているのだろう。七十景
 笹原の表情が今回も見えない。
 いい思い出とは対極にある畳だ。これらを見て心が痛むのだろう。

 こういう時は藤木の無関心な態度が救いになる。
 出世は苦手かもしれないが、武士の心を理解している男なのかも。
 むやみに出世を求めず、たんたんと生きていく。
 藤木は武士の理想像のひとつなのかもしれない。

 人体の感触に酷似した巻藁を斬る。
 さっそく『虎殺七丁念仏』の試し斬りだ。
 藤木は刀を二閃し、巻藁を三つにした。
 片腕なれどお美事にございまする。

 刃を返して、左右で斬った。
 とても片手とは思えない技量だ。
 ただ、これだけでは無明逆流れに勝てない。
 間合いの差を、どうやって解決するのか。

 切り落とした巻藁は人の首に見えた。
 ひとつは伊良子清玄の首だ。
 もう ひとつは女人の……

 藤木は吐く。
 かつて、いくのことを母のように慕っていたかもしれない。(12巻 六十四景
 伊良子を斬ることは、いくを斬ることにつながる。
 藤木の背には見えない重荷がまた一つ増えていた。


2009年8月19日(10号)
第七十三景 懐剣(かいけん)

 藤木源之助はいまだ悪夢にとらわれていた。
 息を乱し砂利の上を進む。
 行く手に立ちふさがるのは、伊良子清玄か?
 賽の河原を連想させる砂利が藤木の体力をうばい、さらに強敵が立ちふさがる。
 死は必定と思われた。つい鼻の先に、刑務所の壁のように立ち塞がっていた。

 伊良子と思われる人物の顔は白骨だった。
 男女の区別もつかぬドクロのうつろな眼窩が藤木を見ている。
 ドクロが刀を持ちあげ、藤木はとっさに斬りつけた。
 破れた服の下には、乳房があった。
 伊良子では、無いのか?

 だが、ドクロの手足はたくましい男のものだった。
 男の筋力で藤木は刀を突き刺されていく。
 ドクロの正体は何者なのだ?

 掲示板でaruruさんに、前回の巻藁は伊良子と三重ではないかと指摘されました。
 言われてみると、確かに女人の顔はハッキリと描かれていない。
 見返してみると前回感想でも女人の正体は推測で書いている。
 事実と推論を区別して書くなんて、やるな一ヶ月の前の、俺。

 藤木はどんな精神攻撃をうけているんだろう。
 誰が仕組んでいるんだ?
 ピグマンが呪殺でもしているんだろうか。真シグルイ 衝撃! Z編だ。


 一年の間に師・左腕・兄を失った。
 藤木の心労は深い。
 医師の見立てでは、腕を失うような深手だと短命になる。
 いきなり暗い未来を突きつけられてしまった。

 三重は口うつしで藤木に薬湯(?)を飲ませる。
 今、藤木はどんな悪夢を見ているんだろう。
 口に刀を突っこまれる夢だろうか。


 物音を聞き、三重は懐剣を手にして探りにいく。
 廊下に残る水滴をたどるとフンドシ一丁の伊良子清玄がいた。
 雨に濡れたので勝手に上がって、体をふいていたらしい。

 嘘だッ!
 伊良子のことだから、悪いことを考えている。
 官能的な裸体で三重をトリコにするつもりだな。

 伊良子は狒々の霜(そう)を持ってきた。
 霜は黒焼きのことであり、頭部は「天印」と呼ばれ珍重されている。
 なんでもスゴイ薬効があるとか。

 昔の人は変なものを薬にしますね。
 たとえば、木乃伊(ミイラ)とか。
 首切り浅右衛門は、罪人の死体から薬を作り出していたし。
 貧乏気味の武士では、もっと簡単に梨や砂糖を薬にしている。(武士の家計簿

 おいしくて栄養があって珍しい物は薬がわりなのだ。
 まずくて栄養なくても、珍しければ薬になる。
 人類が抗生物質を安価で生産できるようになるまで、人はバタバタ病死していた。
 1918〜1919年のインフルエンザは最低でも2100万人を殺している。
 これは第一次世界大戦の戦死者の二倍以上だ。(戦争の世界史
 みなさん、うがい手洗いは忘れずに。

 藤木がふせっているため、薬はぜひとも欲しい。
 だが仇(かたき)の情けは受けぬ。
 乙女であっても武士の意地がござる。

 伊良子が仕置きされた件に関して、口のうまい伊良子はスラスラと言い訳をならべる。
 三重はダマされたのだろうか?
 けっきょく伊良子は薬を置いていったし、感謝しちゃうんだろうな。
 なによりイケメンだから説得力が段違いだ。
 やっぱり世の中イケメンにかぎるのか。

 伊良子の四感(目は見えないので五感じゃない)は発達している。
 雨がやむのも感じとれるし、花もニオイでわかるらしい。
 だが、虹だけは感じとれない。

 虹はもともと竜の一種と考えられていた。
 『雄を虹、雌を蜺(ゲイ)といった。』
 『虫は、へびの意味。工は、つらぬくの意味。天空をつらぬくへび、にじの意味を表す。』(漢語林

 まさに盲竜たる伊良子にふさわしい存在だ。
 本質がつかめないところも似ている。
 伊良子はなにを考えているのか?
 また人のものが欲しくなってきたのかもしれない。

 藤木もまた竜の力を持っている。
 雷をあやつる竜に愛されている男だ。
 掛川の二竜はふたたび戦いあうのだろうか?
 そして、藤木は狒々の黒焼きを食すんでしょうか。
 栄養つきすぎて股間の大太刀がたいへんなコトになったりして。
(更新 09/08/21)


2009年9月19日(11号)
第七十四景 一(いちのじ)

 まだ藤木源之助が前髪(元服前)だったころの話だ。
 虎眼流に阿蘭陀(オランダ)の珍菓が下賜された。
 スイカである。

 虎眼流の門下生たちは、鎧を着たまま海に沈められて平常心を鍛えられている(7巻 36景
 だが、大量のスイカを目にして思わず歓声をあげてしまう。
 みんな貧乏だからね……
 遠慮無用で食べてよし、ってことで地獄の餓鬼のように群がりむさぼる。
 一人一個いきわたっているのだが、まさに貪り食うというがふさわしい食べっぷりだ。

『皮を残すという発想は』
『虎子たちにはない』

 加えるに大統領、切って食べるという発想もないようです。
 まるごと皮からかぶりつく。
 この咀嚼力も鍛錬のひとつなのだろうか。

 江戸時代は果物も貴重だ。
 金沢藩の猪山成之は満8歳で天然痘にかかった。
 死の病である天然痘をのりきるため、父・直之は借金をして「なし・みかん・たらこ」など高価なものを食べさせ、運良く快復したのだ。
 果物はめったに食べられない高級品なのだろう。(武士の家計簿


 回想終了で、舞台は笹原邸にもどる。
 スイカ丸かじりの感覚で、藤木は前回伊良子が置いていった天印(狒狒の頭部の黒焼き)をむさぼる。
 本能で薬効を感じとり、喰っているらしい。
 私の本能は「グロいから、それは喰いたくない」と言っている。やっぱ、野性度が低いんだろうな。

 三重の目には、まるで伊良子の死体を虎が食っているように見えた。
 怪物であった伊良子が人に見え、伴侶になるはずの藤木がケダモノに見える。
 正邪の逆転現象だ。三重の価値観が揺らいでいるのだろうか?

 伊良子の悲劇にも多少同情できる部分がある。
 昔の藤木は虎眼先生の傀儡だったではないか。(2巻 9景)
 前回、伊良子は三重にウソの証言をした。
 三重は伊良子の言葉を信じはじめているのではあるまいか?
 藤木のモテ期が終わったのかもしれない。


 ラブプラスにむさぼりついてても許されそうなイケメン・伊良子清玄は今日も女二人を供にして歩いていた。
 常にモテ期でけっこうなコトですな、Peッ!
 戦国〜江戸初期は衆道が流行っていたのだが、伊良子の尻は無事だったのだろうか?

 尻はさておき、伊良子は物乞いの幼児を見つけ保護する。
 またなんか悪いことを考えているのか!?
 思わず警戒しちゃう。伊良子は前科がありすぎるからな。
 ちなみに、この幼児はちんちんが付いてないので女の子のようだ。

 幼女が草餅をむさぼり喰う音に、伊良子は銀鐔をむさぼる母を思い出していた。(2巻 10景)
 おそらく伊良子が唯一心を痛めて殺した人間が、実の母だ。
 罪の意識が、いまだに伊良子の心を苦しめているらしい。

 放っておけば幼女は死ぬだろう。
 たすかっても、いずれ伊良子の母と同じ夜鷹になるしかあるまい。
 夜鷹は道で客をひろうため、金を払わず逃げる客もいるしキケンな客もいる。
 当たり前だけど、楽な仕事ではない。(サラリーマン武士道
 幼女を救ったのは贖罪の心からだろうか?

 伊良子は、いくに幼女の預け先を指示する。
 とりあえず金を恵んでおしまいという安易な解決ではなく、ちゃんと将来のことも考えているようだ。
 まあ、下女働きなのだろうが、物乞いよりはずっと楽に生きていける。
 戦国時代までは、戦場での捕虜を奴隷として確保するのが当たり前だったらしい。(雑兵たちの戦場
 伊良子の口利きがあるので、そう無体な扱いは受けないだろう。
 この幼女は、そういう意味ではかなりの幸運なのだ。


 伊良子がつれていた女二人はかなり変わっている。
 男物の服を着て、刀を二本差しているのだ。
 かなり、かぶいた格好といえる。
 盲目の伊良子にあわせて奇異なすがたをしているのだろうか?

 後に判明するが、二人は伊良子につけられた伊賀者らしい。
 忍のものにしては、目立つ格好ですね。
 まあ、伊良子本人が目立っているので、気にしなくてもいいのかも。
 日常の補助と監視を兼ねて付いているのだろう。

 で、まあ、竹やぶの中で三人交合をいたします。
 ふたりを同時に相手するなんて、なんと贅沢な。
 ちょっと良いコトをしたって、お前はしょせんイケメン側の人間だ。

 香を焚きながら、ヤっているようだ。
 麻薬だろうか?
 それとも蚊取り線香みたいなか?
 ほとんど全裸でやっているから、蚊に刺されるぞ。
 オマエの尻はブツブツだらけになる!

 満月が天頂にのぼるころ、伊良子は愛刀「一(いちのじ)」を女二人に突き立てていた。
 女二人は草餅をくさぼる幼女をバカにしていたのだ。
 執念深い伊良子は忘れない。
 二人を重ねて突きさし斬りさく。

「伊良子清玄は」
「生まれついての士(さむらい)にござる」

『己の野心の目指す"士"なる身分は しかし』
『心の奥底で最も憎悪する存在であるという矛盾に』
『清玄は気づいているだろうか』


 そして、伊良子のセリフが藤木と同じであったことに気づいているのだろうか?(7巻 36景
 ついでに、『気づいているだろうか』と語り部に突っ込まれるのは虎眼先生と同じと気づいているだろうか?
 なんという多重構造だ。

 虎眼流を憎み対立するほどに、おなじ境遇へとおちていく。
 伊良子清玄は最大の理解者となりうる存在を消しさろうとしているのだ。
 士にあこがれながら士を憎むように、矛盾に満ちた行動である。

 矛盾の行きつく先は地獄だ。
 憎悪すべき存在とつきあっていくしかならぬ境遇がまっている。
 それでも、伊良子は士を目指していくのだろうか?

 しかし、今回はとことん むさぼる話だった。
 スイカと狒狒と草餅と銀鐔と女。
 藤木は狒狒をむさぼり、伊良子は女をむさぼると。
 やはり、イケメン伊良子清玄には共感できない。


2009年10月19日(12号)
第七十五景 恋情(れんじょう)

 復ッ活ッ!
 藤木源之助 復活ッッ!

 ふんどし一丁にて失礼つかまつりそうろう。
 本当になんで脱いでんだろ。
 肌の調子を見せることで健康を証明しているのかもしれない。

 元気になった藤木を見て、笹原修三郎は涙をながす。
 いい人だなぁ、笹原。
 善人だけに、今後無残な運命が待っているのだろうけど。
 シグルイの世界は残酷にできておる。

 医者も見放していた藤木だが、みごとによみがえった。
 天印(狒狒の頭部の黒焼き)の効果はバツグンだったらしい。
 伊良子清玄のおかげというのが、ちと引っかかりますが。
 藤木の復活すら利用されているのではないかと心配だ。

『昏睡状態から』
『十三日ぶりの覚醒である』

「まだ五感が戻っておりませぬゆえ耳が…」

「左様にござるか!」
「まあ元々口数の少ない御仁ゆえ…」

「清玄の剣」「見破り申した」


 ナレーター、三重、笹原、藤木が順にしゃべるのだが、微妙に会話がズレている。
 覚醒していると言えば、五感が戻っていないとつづく。
 でも普段からしゃべんない人だよねと変な方向に返したら、しゃべりだした。
 しかも、話の流れをまるで変えて、伊良子対策の話だ。
 藤木の覚醒はいつもイキナリだよ。
 ……おぬしは寝ても覚めても剣のことしか考えておらぬな。

 藤木は三重の言葉をダイナシにしてしまった。
 ということは、やっぱり耳が聞こえていないのだろうか?
 笹原が来たからには、剣術の話しかあるまい。そう勝手に判断したのかも。
 なんにしても、ついに無明逆流れ破りの工夫がついた!

 でも、牛股師範といっしょに開発した無明逆流れ無効技『簾牙(すだれきば)』は失敗した。(9巻 43景
 実戦で使用されていない技や武器は信頼性が低い。
 命をかける戦場では信頼性を重視する場合もある。
 戦艦大和も信頼性を重視して蒸気タービンを採用したぐらいだ。

 藤木の策は、はたして実戦でも有効なのだろうか?
 そもそも藤木は知らないのだろうけど、伊良子の無明逆流れは進化している。(12巻 61景
 伊良子の事情も知らないまま勝利を確信するのは危うい。
 バキSAGAは高校生が初めて性交つかまつる漫画」と聞き及んだのみで購入いたすが如し。
 不完全な"流れ"のように危ういぞ。
 ちゃんと練習しような。

『復活した藤木源之助は』
『全ての細胞を新たなものに入れ替えたかのように』
『瑞々しい生命力を放出していた』


 宙空の蚤を指でつまめるほど、感覚が鋭敏に研ぎ澄まされている。
 死線を超えたことで、新たな感覚を身につけたのだろうか?
 伊良子がより強くなっていることを考えても、藤木に勝機が見えた、かもしれない。

 そして、「五感が戻っておりませぬ」といった三重の面子をつぶしてしまった。しかも二度目だ。
 主筋にも容赦しないのが虎眼流なのだろうか。
 それとも、耳だけは聞こえていないのかも。
 虎は飼いならせぬから虎といったところだ。
 サムライ的には問題あるよな…………


 四月末日、藤木と三重は武芸師範である日向半兵衛正久の屋敷を訪問した。
 ここで藤木は身体を見分される。
 おおッ! 1巻1景の場面だ!
 ついに長かった回想が終わり、ここから生中継か?
 いや、もうちょこっとだけ回想がつづきそう。

 筋肉のつきかたに問題ない。
 だが、実戦で戦えるのかどうか?
 やはり戦士たるもの信頼性を確認せねばならぬ。
 藤木の前に三人の剣士が立った。
 相木久蔵、石村一鉄、出渕平次郎
 いずれも手練のようだ。

 虎眼流は木刀で止めずに打つから、戦ったらケガしますよ。
 いつものように三重さんが、ねっとり挑発をする。
 三人の対手は侮辱の言葉にとうぜん怒った。
 だが、大人の対応をする日向は殺傷力のない ひきはだ竹刀をつかうから大丈夫という。

 はじめて触れる竹刀で藤木はちゃんと戦えるのか?
 微妙に心配な藤木であった。
 いきなり竹刀をすてて、素手で殴ったりしないよね。

 ひきはだ竹刀は柳生新陰流が考えたものだ。
 虎眼流と柳生のあいだには因縁がある。(3巻 14景)
 師匠の恨みを晴らすため、対手を伊達にしまくるんじゃないかと心配です。
 最初は新陰流出渕平兵衛の嫡子・平次郎であった。

 打ちかかってきた平次郎を打ちすえた。
 竹刀は肩を叩いたが、しなって背中に達する。
 そして、平次郎の背は『脱皮する昆虫の如く』破れた。
 刃牙の鞭打理論だと死ぬほど痛い攻撃となる。(範馬刃牙20巻164話バキ15巻133話バキ16巻134話
 見た目にも痛い攻撃で、藤木は日向たちを黙らせた。

 日向は伊良子の技を"妖剣"だという。
 伊良子よりも、藤木の"正剣"に好意をもったようだ。
 世渡り下手な藤木だが、誠実な性格と剛直な剣は好感をもたれるらしい。
 まさに「桃李もの言わざれども下 自ら蹊を成す」ですな。

 だが、藤木は剣を投げすてる邪道な技を考案している。13巻 71景
 もし実戦で使っちゃったら日向殿はなんと思われるのであろうか。
 日向殿の世辞をうけても、藤木の表情は凪の水面のように動かなかった。

 帰り道、藤木と三重は桜吹雪のなかをあるく。
 三百石であったころとはちがい、駕籠をつかえる身分ではない。
 従者もいない。
 貧しいが、美しい風景を二人だけで楽しめる豊かな時間だ。

 いかなる言葉にもゆるがなかった藤木の表情もほころんでいるようだ。
 めずらしく、藤木が口を開く。

「私は仇討ちに敗れ」
「岩本家の屋敷も虎眼流の剣名も」
「お守りすることができなかった」
「しかし」
「三重さまだけは守り申す」
「いかなる嵐にも屈しませぬ」


 不器用な藤木にとって、一生に一度といえる告白だった。
 昏睡のなかでも戦いを思っていた男が、こんな事をいうとは……
 先刻までの藤木は女人(にょにん)の歩みを考えたこともなかった。(12巻 61景
 だが、この日ふたりは初めて同じ速さで歩く。
 はじめて横に並んで歩いた。

『失ったはずの左手が』
『指に触れるのを感じた乙女は』
『そっと握り返した』



 いっぽう、伊良子清玄は藤木を踏み台にして高みを目指す気に満ちていた。
 薬をわたしたのも、すべて野望のため。
 不自由な身体をことさら強調して、伊良子は立身する気だ。

『引きずらなくとも良い足を』
『殊更に引きずって歩いてさえいた』


 跛足もウソだったのか!?
 なんという偽装工作だ。
 もてる材料は最大限いかして使う気でいる。

 伊良子の脳内から噴出し燃え上がった野心は鮮明であったが、目の前の藤木と無理に戦わずとも出世できるであろうことは明確だろうか?
 藤木は強いがあまり有名ではない。一度倒しているので剣名もおちている。
 戦うなら、もっと有名で もっと弱い対手が良い。伊良子の頭脳であれば理解できるはず。
 なのに藤木と戦うことに執着している。

 伊良子は己にも嘘をついているのでは あるまいか?
 立身出世よりも、ただ藤木と決着をつけたい。
 誰よりも藤木を評価し、そのため己の身を危うくすらしている。(13巻 68景
 伊良子清玄は大うつけ ならぬ、大つんでれ にて候。

 藤木と三重は、虎眼先生の血が染みこんだ 呪いの人面打掛を燃やした。
 これはどういう決意だろうか。
 家をすて、ただの男女となり やり直すつもりかもしれない。
 とにかく藤木も進化して強くなった。
 もはや伊良子の知っている藤木ではない。
 一景の時間にもどった今、残された時間がやけに熱いぜ!

追記 (09/10/20)
 藤木は出渕平次郎を打ちのめして絶賛をうけた。
 この攻防が なかなか面白い。
 出渕の袈裟斬りを、藤木はほとんど動かずによけた。

 相打ちになるような呼吸で打ち合っているのだが、出渕の竹刀は当たらず、藤木の攻撃だけが深く当たっている。
 藤木の腕は異常に長いのか?
 などと言うわけではなく、片手打ちだから伸びた一撃になっているのだろう。
 また、体勢や足の位置を変えることで、間合いを変化させていると思われる。

 藤木の動きは柳生新陰流に通じるものがある。
 隆慶一郎『柳生非情剣』(AA)で、柳生連也斎が同じような動きをした。
 柳生十兵衛もやったことがあるらしい。(参考
 後の先をとり、相手を倒すのは剣術の理想でもある。

 異形の構えから繰りだす奇剣は常人に会得できない。
 正面から切り結ぶ藤木の剣こそ王道だと思われたのだろう。


2009年11月12日(50号)
覚悟のススメ

 ひさしぶりに『覚悟のススメ』の新作だッ!
 だけどメインは主人公・覚悟の敵である散(はらら)でした。
 まあ敵といっても単純な悪役ではなく、覚悟が所属する正義の反対側にある正義を背負っているような存在ですね。
 たとえて言うなら、地球環境のエコと人類生存のエゴが戦っている。

 今回の話はテーマを直球でぶつけているけど、方法論がわかりにくい。
 『命はいつか尽きて無に帰す』という虚無主義に否を唱えている。
 山口先生が100問100答で『Q073 1番コワイものは?』『虚無主義みたいなもの。』と答えた。(シグルイ奥義秘伝書
 虚無主義への反論が散様の言霊なのだろう。

 テーマはともかく、手法がワカりにくいので感想がとても書きにくい。
 それでも書きますが、一読者の一感想ぐらいに思ってください。
 真の答えは己が心の内にあると見立てそうろう。

 言霊は死と再生が大きな流れとなっているようだ。
 血にまみれた赤子として生まれ、臓物を撒き散らし死ぬ。
 冒頭のシーンは生と死の対比だ。
 同時に男と女の対比でもある。しかも、泣きながら生まれ、笑いながら死す。
 そう。かつて散は言った。

『うろたえるな』
『散り際に微笑まぬ者は生まれ変われぬぞ』
覚悟のススメ1巻 3話)

 なお、この3話における散の初登場シーンが今回の表紙の原型となっている。
 そういう意味でも、死と再生の意味合いが強い。

 城・部下・畏怖の眼差しも死後に連れて行くことのできない。
 連れて行くことのできないものが、だんだん抽象的で無形化していく。

 ただの物質である城はとうぜん連れて行けない。
 忠烈無比の兵隊はどうだろう。
 肉体は無理でも忠義の心はついてくるような期待がある。
 とくに最終巻(AA)での描き足し部分では、死んでいった散の忠臣たちがよみがえっていた(イメージかも?)。
 だが、それでも他者の心を連れて行くことはできないという。

 畏怖の眼差しも他者かもしれない。
 だが、これはどちらかというと自分の記憶かもしれない。
 愉悦の記憶すら死後にはもっていけないというコトだろうか。

 と、ここまで語って否をとなえる。

「命ある時」
「死ぬほど憧れた輝けるもの」
「追いかけて」
「追いかけて」
「ついに捕らえられなかった」
「美しき獲物」
それだけが死の世界で」
「おまえの傍らに在る!」


 黄金のカモシカのような生物に散はあこがれていたらしい。
 どちらかというと『もののけ姫』にでてくるシシ神のような大自然(または地球そのもの)の象徴かもしれない。
 他に散が憧れるようなものって、他に思い当たらないし。
 輝けるものを追いかけるうちに、血まみれになり、両足は失われている。
 だが、死後の散は金カモシカと融合して空をかけた。

 死に向かっていた散は再生をとげる。
 守ろうとしていた自然と一体になったということだろう。
 散の望みは藤崎竜『封神演義』における妲己みたいなものですかね。

 最近の『シグルイ』は解釈を読者にゆだねるような演出が多い。
 たとえば50景に出てくる、ふくのイメージだ。
 アレは牛股師範の妄想なのか、それとも現実の姿なのか?
 約束の木をふくと見立てて斬ったのであれば、現実だけど……
 という具合に読者の解釈しだいな部分がある。

 今回の『覚悟のススメ』も読者しだいの作品だ。
 安易な言葉など与えないということだろうか。
 答えは描いてあるけど、言葉は書いていない。
 覚悟ではなく散がメインとなっているのは、甘やかさないためだろうか?
 いや、覚悟だって甘いヤツではないんですけど。
(更新 09/11/14)


2009年11月19日(1号)
第七十六景 独眼竜(どくがんりゅう)

 独眼竜こと伊達政宗は戦国時代を知る老将である。
 伊達政宗は豪放な人でイロイロと面白い逸話がある。
 まあ、シグルイ本編と関係ないので流しますが。
 正宗が亡くなったとき殉死者は15人いた。なかには衆道の相手もけっこういたらしい。
 戦国時代には珍しくない性癖とはいえ、二刀流ですか。

 伊達政宗は相手が将軍であっても、おもねったりしない。
 自分の主張をハッキリという。さすが古強者である。
 ちなみに独眼竜というアダ名は李克用のアダ名からきているらしい。
 李克用は、黒でかためた精鋭部隊・鴉軍(あぐん)を率いる猛将だ。
 伊達政宗もマネして黒を基調としていたりして。

 戦国の雄・伊達政宗が駿府で徳川忠長と謁見したのは御前試合の一年前だった。
 二人きりで内密な話を雰囲気だ。
 伊達政宗は豪快な言動をとる男だが、いくさ人である。大胆かつ慎重に動く。
 忠長は幕府側の人間だ。
 翻意ありと言いがかりをつけられぬよう、注意深い返答をしている。

 忠長は牢人者の新しい召し抱えについて話す。
 とにかく人数が多いので、しかるべき日に上覧試合で腕の良いものを探すつもりだ。
 真剣試合にする。
 伊達家からも人を出してもらえまいか?

『独眼竜正宗の胸が高まった』

("しかるべき日"とは大御所(秀忠)様 崩御の日…)
("真剣御前試合"とは駿府が決起し 御当代(家光)を傾け奉らんとの意)
(その折 仙台六十二万石の挙兵を)
(連判できるかと問うておる!)

 忠長の狙いは謀叛だったッ!
 兄を倒し弟が立つ。まさに下克上ッ!
 二十二万人といわれる牢人者を兵力として、江戸に攻めあがるつもりなのだろう。
 のちの世に由井正雪が計画した叛乱を先取りした形だ。
 ちなみに『シグルイ』の前に描かれた『蛮勇引力』(AA)は由井正雪の叛乱を基にした話である。

 現将軍よりも実力は上といわれていた忠長が叛乱を起こす。
 これに北方の雄・伊達政宗が加われば、天下はひっくり返る! ……のか?
 駿府城は東海道の押さえとなる要所だ。
 その要所がひっくり返ったなら、江戸は外部の防壁を失ったことになる。
 でも江戸に行くには難攻不落の小田原城が待ちかまえているんだよな。
 単独で突破できるのだろうか?

 戦国の夢が胸中にくすぶっている伊達政宗であった。
 だが、いくさ人は夢想家ではなく現実主義者である。
 野望や夢は置いといて勝ち目のない戦いをさけるのが大人の判断だ。
 伊達政宗の結論は不参加だった。

 自分はすでに半隠居の身であり、外観だけで殺傷力のない竹光のようなもの。
 正宗は忠長の野心を幕府に密告しなかったようだ。
 竹光ではあるが、本物の気迫えお忠長にぶつけている。
 これは安易に謀叛を考えるなという忠告だろうか?
 正宗なりの好意がこめられた気迫なのかもしれない。

 この日、忠長は三人の近侍を手討ちにした。
 天守閣(?)から地面に放りなげる。
 見た目は細いけど、たいした筋力だ。
 これが巨凶徳川の血なのだろうか?

 忠長が声をかけたのは伊達政宗だけではなかった。
 島津、黒田、前田、毛利と有力大名に手紙をだし、五位鷺士津馬(ごいさぎ しずま)を派遣している。
 だが、ことごとく断られた。
 いきなり計画が狂って忠長は超不機嫌だ。
 伊達ひとりに断られただけで三名が死んでいる。
 ならば、さらに十二人死ぬということか。

 三枝伊豆守信綱は忠長の怒りを静めるための生贄を用意する。
 それが真剣御前試合に出場する十一組二十二名の剣士たちであった。
 隻腕の藤木源之助が、盲目跛足の伊良子清玄が、そのなかにいる。
 さらに槍の笹原修三郎、がま剣法の屈木頑之助、不殺の星川生之助もいた。
 駿河城御前試合、魔の宴がついに始まろうとしている。
 次回へつづく。


 忠長の野心がとんでもないコトになっている。
 力尽くでも将軍になろうという忠長の野心は燃えているが、勝算はちゃんとあるのだろうか?
 なんか計画がずさんという気がする。
 気がするというだけで無く、実際にずさんだよな。

 多くの人間に声をかけるということは、それだけ秘密が漏れることを意味する。
 真剣試合を本当にするだけですよと言いのがれする気なのだろうか?
 現代の殺害予告だって言いのがれはできない。
 江戸時代は証拠不十分でもやっちゃう時代だ。
 忠長は自滅へ向かって歩みつづけている。

 巻きこまれる御前試合の選手たちが気の毒ですが……
 って、本当に二十二名の話をやるのだろうか?
 まだ出てきていない選手が十七人いるッ!
(更新 09/11/20)


2009年12月19日(2号)
第七十七景 謁見(えっけん)

 大納言・徳川忠長の御前にて真剣試合が開催されたのは寛永六年九月二十四日(1629年11月9日)である。
 やや時間はまきもどり、同年六月二十日(8月9日)のことでございます。(参考:暦変換ツール
 92日後の結末は、まだ誰も知らない。

 藤木源之助は忠長との謁見をゆるされる。
 なので正装で登城せねばならない。
 お金をもらったので藤木は裃(かみしも)をあつらえる。
 服は借りて、美味いもんでも食えばいいのに。
 と思ったけど武士は気位の職業なので、体面維持にスゲェ金をつかうのだった。(武士の家計簿

 以前、伊良子が裃姿をみせて藤木に格のちがいをみせつけた。(シグルイ5巻 24景(連載時 25景)
 だが今回で藤木は伊良子と互角の地位を手にいれたことになるのだろうか。
 とにかく裃を着るということは一流の証だ。
 シンケンジャーだって新装備は裃だったし。
 三重も藤木の立派な姿に惚れなおしたようだ。

 藤木と三重がイイ感じになったところに、笹原修三郎が入ってくる。
 なんと間の悪いことか。
 笹原はわがことのように藤木の姿をほめる。
 やっぱり基本的にイイ人なんだよな。
 これでは笹原をジャマに思うこともできまい。

 徳川忠長は爆薬のように不安定で危険な精神をもっている。
 そんなウワサを聞いている藤木と三重は笹原に助言をこう。
 空気を読まないこと石のごとしだった藤木が処世術を聞こうとしている!
 これには笹原もビックリだ。
 とりあえず、その心遣いだけで充分と藤木に言う。

 なんか思いっきり、気休めみたいな助言なんですけど。
 ちゃんと教えてください。
 藤木は城内でも抜刀して斬殺しちゃうような男なんですよ。

『実際のところ』
『忠長の癇癖は天災の如きもので』
『爆発する時は 爆発するのであり』
『対処法などは一切存在しないのだ』


 回避不能かよッ!
 笹原の助言はまったくもって正しかった。
 気休め、が正解ですか。
 本気でこんな上司はイヤだな。

 天変地異に怒ったってしかたがない。
 人はただ祈るだけだ。
 天才、いや……天災・徳川忠長ですね。
 戦乱の世に生まれていたら、部下が謀反起こして首をさらされそうな人だ。
 絶対権力に守られていて良かったな。世間的には困りものだけど。


 登城の日、笹原は藤木をつれて駿府城を案内した。
 城は軍事拠点であり行政機関でもある。
 なので機密保持の観点から内部構造はあまり外部の人間に教えないものだ。
 だから、織田信長安土城の見学会(有料)を開いたのは、そうとうに変わった行為だった。

 忠長は隠密がひそんでいると疑っている。(13巻 70景
 見慣れない人間を城内でウロウロさせるのは、台風の日に川のようすを見に行くぐらい危険だ。
 立派な城を見せようとする気持はありがたいが、ちょっと不用意じゃないか?
 まるで、冥土の土産だよ。
 …………って、ホントに冥土の土産のつもりだったりして。

 立派な城を見せてもらい、藤木の顔にあるかなしかの笑顔が生じる。
 藤木は兄弟子に見せとうござるという。
 牛股師範のことか?
 と、思ったけど興津三十郎のことだった。

 虎眼流の未来に絶望した興津は虎眼流を裏切る。
 だが、まだ虎眼流には未来があるのだ。
 三重だって心の病がなおったし!
 藤木は虎眼流の再興を何度も誓うのだった。
 そう思いこまなければ、やって行けないほど現実はつらいんだろうな。

 牛股師範は栄達にはあまり関心がなさそうだった。
 藤木たちもまた、しかり。
 だが、組織を経営していくには、誰かがそういう生臭い部分をやる必要がある。
 生きていくには金が必要だ。
 人とのつきあいだと身分や出世が重要になる。とくに武家社会だと身分は重要だ。

 知性派の興津はそういう汚れ仕事を担当していたのかもしれない。
 そもそも虎眼先生が、けっこう面子や金にこだわる人だった。
 興津は必要な人材だったのだろう。
 そして、虎眼流の内情を知っていただけに興津は未来に絶望したのかもしれない。

 藤木は裏切り者として興津を斬った。
 だが、いまだに興津のことを思い出しているなど、けっこう罪悪感をもっているのかも。
 金にこまり、忠長に対しての礼儀を気にするようになった藤木は、はじめて汚れていた興津の苦しみを知ったのだろうか?
 数年後には藤木も虎眼先生みたいな「へへぇ」という接待笑顔をするようになるのかも。

 見学中に藤木たちは伊良子清玄とすれちがう。
 だが、藤木は鼻血をだしながら手を出さない。
 見るときは斬るときだ。
 相変わらず、なにかを我慢するとき、藤木は鼻血をだすのだった。


 雨のふるなか謁見は庭先でおこなわれた。
 条件は悪い。しかし、直接 忠長に会えるのはかなり名誉なことだ。
 たとえば直接将軍に御目見えできる武士は『旗本』で、できないのが『御家人』となっている。(図解 武士道
 藤木たちは上位の武士あつかいされているのだ。

 御前試合の出場者だけに、みな異様な雰囲気をもっている。
 髷を結わない総髪の男がいれば、傷だらけの男(座波間左衛門)、美しい女人(磯田きぬ)の姿もあった。
 彼らの活躍と因縁もいずれ描かれるのだろうか?

 彼らが平伏する前の廊下を忠長が通る。
 本来ならば、一瞥しただけで通りすぎるところだ。
 だが、忠長は雨のなか庭におりた。
 そして、一人の首に刀を刺す!

 前回判明したとおり、忠長の狙いは叛乱分子をあつめての国家転覆だ。
 十万の軍勢がひれふしていたハズなのに。
 癇癪をおこした忠長は刺さずにはいられない。
 まさに天災! 不可避の災厄だ。
 試合前だというのに、はやくも犠牲者が出てしまった。

 藤木は改めて、ヒドい所にきてしまったと嘆く。
 たぶん嘆いてる。無表情だから良くわからんが誰でも嘆くだろ。
 今回の藤木はわりとしゃべるぐらい機嫌が良かっただけに、持ち上げて落とす効果になっている。
 御前試合の剣士たちは、今泣いていい。


2010年1月19日(3号)
第七十八景 刹那(せつな)

 豪雨のなか二人の士(さむらい)がカサもささずに疾走していた。
 徳川忠長の謁見を終えた藤木源之助と笹原修三郎である。
 荷物もちをしていた供は息を切らせて二人を追いかけていた。
 藤木と笹原は、まるで地獄から逃げ出したかのように必死に走っている。

 まあ、実際に地獄でしたよね。
 十一番の勝負に出場する剣士二十二名のうち一人が、理由もなく刺殺された。
 死亡率4.5%のキケンな空間だ。
 サイコロを二回ふって両方1になるより確率高い。

 まさに天災。落雷のような突然の死である。
 雷がふたたび落ちるかもしれない。
 走って帰るのも当然だ。
 同じ立場なら私だって走って逃げる。そして転ぶ。漏らす。

 藤木たちは無事に笹原邸へたどりついた。
 やっと笹原に笑顔がもどる。
 藤木は買ったばかりの裃を泥だらけにしてしまった。
 だが、このさい問題ではない。

『ぬかるみに足を取られて転ぶような武芸者ではない』
『死地よりの生還であったのだ』


 二人がびしょぬれの泥だらけなのは、転んだからじゃないよ。と、なぜか解説がはいる。
 転んだとは思わないって。なんの心配しているんだ?
 笑顔を見せても、家の人にバレバレってことなんだろうか?
 まあ、お供の人から事情はもれるよなぁ。
 がんばって元気なフリをしても、余裕がないからボロがでる。

 藤木は死のふちからよみがえった男だ。
 死を恐れたりはしない。そもそも武士は死を恐れないように教育されている。
 武士とは自分で自分を処罰できる存在なのだ。(図解 武士道
 切腹、どんと来い!

 だが、大納言忠長の暴虐は質がちがう。
 死に立ちむかうのではなく、うなだれて受けいれる。
 武士らしくない死にかたをするのは、藤木にしても不本意なのだろう。
 せめて切腹させて欲しい。


 いっぽう伊良子清玄は駕籠で帰っていた。
 足がわるいと公式発表しているので、走るわけには行かないのだ。
 または、ビビらずに帰ったという胆力をしめすものだろうか?

 迎えた いくは伊良子がまるで白装束を着ているように感じる。
 袴が泥道を走ってきたかのように変色しているようだ。
 錯覚だろうか?
 それとも、駕籠に乗るまで伊良子は世間の目も忘れて走ったのだろうか?
 私であれば駕籠の中で失禁して袴を変色させる自信があります。

 そして、見えぬ清玄の眼(まなこ)が見開かれている。
 伊良子の眼が開くときは、感情がたかぶっているときだ。
 怒り・恨み・恐れ……
 伊良子もまた感情を乱している。

 伊良子は いくの用意した風呂に頭までつかる。
 忠長は暴虐っぷりが激しい。このままでは幕府に処罰されよう。
 湯の中で自分の身の上を案じる伊良子清玄であった。

 でも、伊良子は忠長にたいして将軍になっちゃいなよ発言をした男だ。(13巻 68景
 バレたら切腹もさせてもらえず斬首→さらし首となる可能性が大きい。
 再就職どころか、忠長と運命共同体といえる。
 狂気と同居しなきゃ生きられないなんて……
 虎眼先生のところで内弟子していたときと、どっちがマシなんだろ。

 駿河藩、マジやばい。絶対崩壊する。
 風呂からあがった伊良子は真剣を振りまわして金岡雲竜斎に今後どうするか問いつめた。
 伊良子さん、めずらしくテンパってますね。
 虫のようにはって平伏しているところを刺し殺されたらたまらんのでしょう。
 金岡に八つ当たりしている感じだ。

 だが、金岡はYahoo!知恵袋でベストアンサーに選ばれそうな名回答をする。
 答:御前試合で活躍すれば、有名になってどんな所にも再就職できるぞ!
 よし! 江戸に行こう!
 伊良子清玄は一発で笑顔になったッ!

 いやいやいや。おちつけ。
 伊良子はすでに忠長と連座して切腹(か、それ以下)になる可能性のたかい状態だ。
 忠長は謀反を起こそうとしていた。
 その部下を幕府が見逃すだろか?
 幕府に疑われている人間を雇うところがあるだろうか?

 それに徳川本家の剣術指南筆頭は柳生新陰流の柳生宗矩だ。
 伊良子は知らんだろうが虎眼先生の怨敵である。(3巻 14景)
 虎眼流への恐れから就職活動を妨害してきそうだ。
 掛川で藤木たちがヒドい目にあったのも、きっと柳生の陰謀だよ。

 忠長に召抱えられている現状は、政治的に危ういことぐらい聡明な伊良子ならワカるはず。
 だが、未来が暗いと気がついた伊良子は希望の光にすがってしまったのだろう。
 偽りの希望だと気がつかないようにしていそうだ。
 忠長を見限ったつもりだが、実際は破滅に向かう列車に同乗している。
 降りる機会はこの時、終わった。
 もっとも降りようとしたところで無事に降りられるとは思えないのだが。


 藤木と伊良子の戦いには深い因縁がある。
 けっして負けられぬ。
 同じような事情が22名の剣士にはあるのだろう。
 だが、忠長はそんな事情を気にせず命を奪った。
 天下の徳川家からみたら、一個人など残酷なまでに小さい存在だ。

 藤木は風呂で武士の儚さをしみじみ感じる。
 伊良子は風呂で未来を考えていた。藤木は現在を思う。
 悩む場所が一緒なのは偶然だろうか?
 だが、伊良子は高く飛ぶことを考え、藤木は地をはう悲しみを思う。
 似ているようで正反対の二人であった。

 武士の悲しみをしった藤木は、安らぎを求めて三重に抱きつく。
 三重も静かにこたえる。

「斬ってください」
「その夜にもあなたの妻となります」


 って、後払いかよッ!
 とにかく身持ちのかたい三重さまであった。
 う〜む。三重は童貞力を重視しているのかも。
 煩悩が藤木に力をあたえ、充実している伊良子を倒すだろう。
 三重さまは藤木を魔法使いにする気か?

 まあ、藤木はあまり性欲に溢れていないみたいなので、問題ないかもしれない。
 山崎九郎右衛門とはちがう。
 もし生きのこっていたのが山崎九郎右衛門なら、三重の応援は効かないんだろうな。
 涼之介が同じことを言ったのなら、スゴい潜在能力を発揮するかもしれないが。


2010年2月19日(4号)
第七十九景 大炊頭哄笑(おおいのかみこうしょう)

 千代田城内で密談が行われていた。
 土井大炊頭利勝春日局酒井雅楽頭忠世という、そうそうたる面々だ。
 場の話題は、徳川忠長の過激な行動についてだ。

 徳川家光の乳母だった春日局は、忠長をどうにかすべきと主張している。
 家康に直訴したり、御所への昇殿をはかったりと、押しの強い人だ。
 朝青龍だって寄り切られそうな迫力で春日局はせまる。
 だが、土井大炊頭はゴマかすのだった。

 土井の狙いは忠長を利用した不満分子のあぶりだしだ。
 国家を磐石にするため、将軍の弟ですら捨石にする おぞましい覚悟だ。
 共犯者は虎眼流と因縁のある柳生宗矩である。
 彼らこそが真の悪人だろうか。
 柳生宗矩なんて、人を陥れることに無上の喜びを感じていそうだし(偏見)。

 そして、明日 上覧試合が行われる。


 試合の前夜という時期に伊良子清玄は藤木源之助の出自を知った。
 おそい。おそすぎるよ。
 もっと早くに知っていれば、伊良子の暴走もなかったかも知れないのに。

 なんで、いくは大事な試合の前によけいな情報を与えたのだろうか?
 藤木に同情しちゃったら伊良子の剣が鈍りそうなんだけど。
 一度勝ったから余裕があるのかも。
 藤木は片腕になって弱くなった。だが、伊良子の無明逆流れは進化している。
 負けるはずないと考えていそうだ。

 そんな伊良子のところへ蔦の市がやってくる。
 伊良子は当道者を照らす灯なのだと伝えにきたらしい。
 蔦の市が自分に頭を下げる。
 ここで伊良子自身おもいもよらぬ言葉が出てきた。

「武士も夜鷹も」
「駿河大納言も当道者も」
「何も変わりはない」

『野心を満たすために昇ってきたのではない』
『人間に優劣をつける階級社会を』
『否定するために昇ってきたのだ』


 伊良子がいきなり人類みな平等の精神に目覚めた!
 時代を数百年先取りしちゃったよ。
 なんか伊良子が平和と平等のために戦いそうな勢いだ。
 えっと、これって「悪人が急にイイ人になったら死亡」の典型例ですか?

 試合を明日にひかえた状態で伊良子が覚醒しちゃった。
 次回、このまま試合開始なのか?


 伊良子が裏返ってしまった。
 これが吉と出るのか凶と出るのか。
 階級社会を否定するため階級社会に入りこむという矛盾を伊良子は抱えている。
 むずかしいことを考えない藤木よりも悩みのおおい人生なんだろうな。

 現代人の感覚だと平等ってのは当たり前のように思える。
 だが、江戸時代の階級社会では格差が当たり前の感覚らしい。
 そして格差は出世などをめぐる嫉妬心を和らげる効果もあった。
『実際、世の中が伝統化し、あの家はここまで、この家はここまでと官位昇進が決まっていたら、昇進はしたいと思うが、仕方がないというあきらめの気持ちもあって、そうは嫉妬の心が起こらない。』(男の嫉妬
 実際、幕末を生きた猪山成之は能力がありながら身分が低く出世しきれないのに、社会構造に不満を持ってないのか維新の運動に参加していない。(武士の家計簿

 不平等を理解できるのは、平等を知っている人間だったりする。
 反政府な武装集団も正義を唱えるのは、知識人が参加してからだ。
『政治や社会の不公平・不合理が見えるには、自己の中に公正で合理的なしくみのイメージがおぼろげながらでもなければダメで、それには知的な基礎や訓練が要る。』(中国の大盗賊

 下級武士の出身である福澤諭吉が「門閥制度は親の敵(かたき)」と言えたのは、平等な国を見た経験があったからだろう。
 豊かな米国を憎むウサマ・ビンラディンは豊かな家に生まれ育った。
 知らないものは憎むこともできないのだ。

 まあ、世の中には突然変異な変人・天才もいる。
 そういう人なら見えないような本質を見抜けるのかもしれない。
 伊良子清玄は天才で変人だ。

 まあ、あとは現代が読むものだから、現代向けの話を書くべきだという考えもある(北方謙三『水滸伝』ノート
 たしかに、あまりリアリティーを追求しすぎても面白くない。
 刀で、そんなに人は斬れませんよというツッコミは無粋だろう。

 だが、伊良子は気づいているのだろうか?
 階級社会を憎む伊良子自身が、すでに階級の枠内にとらわれている事を。
 伊良子たち下っ端武士は忠長に生殺与奪を握られている。
 そして、忠長も大炊頭に命運を左右される。
 果て無きシグルイの連鎖だ。


2010年3月19日(5号)
第八十景 竜門(りゅうもん)

 ついに駿河城御前試合が行われる九月二十四日がやってきた。
 この日、十一組の剣士たちが戦う。
 少なくとも11名の命日が九月二十四日となるのだ。

 だが、藤木源之助と三重は決戦の朝を安らかにむかえていた。
 敵となる伊良子清玄の必殺技・無明逆流れをまだ誰も攻略できていない。
 それでも焦りが見えないのは大きな自信があるからだろうか。
 単に開き直っているだけかも知れないけど。

 藤木にも迷いは無い。恐れも無い。
 ただ伊良子を斬るのみと決めているようだ。
 しかし、その伊良子が急に善人っぽくなったと知っても斬れるのだろうか?
 いや。藤木は斬る男だな。

 駕籠がむかえにきたのだが、藤木は歩いて登城することを選ぶ。
 風や木のにおいを感じながら歩きたいらしい。
 精神的にかなり余裕が出てきている。
 だが、藤木たちの姿にゆるみは無い。

『生きることを決意した者の美しさは
 ただ生きる者たちを圧倒する』


 藤木たちは必死に生きようとしているのだ。
 ちょっと前まで死狂いの心だったのが、前向きになっている。
 普通なら大団円がまっているのだろうが、シグルイ世界だと不幸の前フリという気がしてならない。
 生きる目的ができたあとに死ぬのは、さぞ無念であろう。
 もちあげて、叩きつけるつもりか?

 藤木と三重は竜門に挑む鯉のごとく駿府城の門をくぐる。
 急流である竜門をのりこえた鯉は竜になるという伝説がある。
 そこから実力者の李膺に認められたものは出世まちがいなしという話になって登龍門という故事が生まれた。

 ちょっと前にチャンピオンで連載していた『悪徒-ACT-(AA)』でも、鯉に竜の重ね着したのも登竜門ネタだろう。
 ポケモンのコイキングも竜のギャラドスに進化するしな。
 藤木も竜となって駆け上がることができるのか?

『戦うために生まれたのではない
 戦って結ばれるために生まれたのだ』


 カッコ良く決めているが、よく考えたら性欲を原動力にして戦っているようなものだよな。
 なんかバキSAGAにも通じる。いや、その関連づけはヒドい。
 どちらにしても、禁欲の藤木と強欲の伊良子が激突だ。
 御前試合の第一試合が始まろうとしている。
 ……本当にすんなり始まるんだろうか?
 とりあえず次回につづく。


 ついに試合当日になった。
 ここまで来て、なお話を引っ張ったりするのだろうか?
 なにしろ、他の剣士たちの話がたっぷり残っている。
 ここで、さらなる回想を始めるかも知れない。
 シグルイ世界は油断ならないぞ。

 このまま試合が始まれば、無明逆流れ編における最後の戦いになる。
 ついに長かった回想も終わり、決着をつける時がきたのか?
 でも、次回は伊良子が登城する様子で1話まるごと使っちゃいそう。
 これを十一組ぶんの剣士で繰りかえせば、登城シーンだけで22話かかるんだよな。


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