今月のシグルイ覚書(25景〜40景)

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2005年7月19日(9号)
第二十五景 戯れ(たはむれ)

 今回の「シグルイ」は微妙にワカりにくかったので、ちょっと整理してみる。
 ネタバレゆえに、コミックス派の方々はご注意を。
 コミックスの喜びを引き替えにされても、このようなネタバレが御覧になりたいと仰せられるか?



 今回のワカりにくさは思わせぶりなナレーションに原因がある。
『(前略) 夕雲(せきうん)が』
『親に疎まれ捨てられたのは』
『髷が結えぬからではない』


 ナレーションはこのあと話を変える。
 捨てられた理由が続くべきだがまったく無い。まるっきり痴呆のようなナレーションだ。
 答えらしきものは四ページ後に出現する。

『そのために己自身が捨て石となることを主君に命じられたなら』
『よろこんで仰せつかるのが士(さむらい)の本懐であるが』
『夕雲には理解できないのだ』


 この文章は微妙に前後から浮いている(あくまで微妙。普通に読もうと思えば読める)。
 体毛が一切ない身体の異常性ではない。武家社会の通念に反する精神の異常性が問題らしい。
 精神が異質と言うほうが、肉体が異質と言うよりもキケンだ。
 行動を理解することも、予測することもできなくなるためである。
 ただし、次回でごく普通に捨てられた理由が出てくるかもしれない。

 どちらにしても、身体の異常性で社会から迫害を受けている点では、虎眼先生も夕雲も同類である。
 両者の心に理解や共感という感情が浮かんでも良いではないか。
 もっとも、二人ともキチガっている可能性が高いので無理な話なのかもしれない。


 今回、伊良子清玄を目視した虎眼先生は、全てを忘れて斬りに行くのではないかと心配だった。
 勢いあまって検校さままで三枚におろす絵が脳裏に浮かぶほどの心配であった。
 しかし、ちゃんと試合を続けるあたり分別が残っているようだ。
 とりあえず、伊良子清玄の横にいる いくへの未練はまったく無いらしい。まったく眼中に無し。


 ところで、この時代は人の呼び方の基準が現代とはかなり違う。
 中国の影響で「名前」を呼ぶのは基本的に失礼になるのだ。
 伊良子清玄は仕置き編に入ってから急に「清玄」と呼び捨てにされていて、周囲の態度が激変しているのがわかる。

 ちなみに、虎眼先生の「虎眼」は実名ではなく号だろう。柳生宗厳も号である「石舟斎」のほうが有名だ。
 流派に本名をつけるのはかなり穏便でない。
 流派名を口にした人に対して「先生の名を呼ぶとは無礼!」と言って片っ端から斬らねばならぬ。ちと、物騒だ。
 うまく流派継承ができたら、次の人は二代目虎眼と号すのかもしれない。

「検校さまお抱えの剣士ゆえ
 先生は躊躇しておられる」


と牛股師範はおっしゃる。たしかに、頭蓋を砕いたりアゴを飛ばしたりするのに躊躇するわなぁ。
 当てて砕いたりすると「不作法」の謗りを受ける。あの折、恥をかかされた恨み(逆恨み)を忘れたりしないのだ。
 同じ場面になったら、いかに相手の面目をつぶしつつ、肉体をブッ壊すか。おう吐をもよおすような妄念で考え続けていたに違いない。
 積年の恨みを(赤の他人に)晴らしたあとの晴れ晴れした虎眼先生の笑顔は、処世術というより獣が牙むく行為なんだと思いました。
by とら


2005年8月19日(10号)
第二十六景 約定

 夕雲がなぜ『親に疎まれ捨てられた』のか、その理由が確定する。
 虎眼先生に打たれた夕雲の頭部は二倍にふくれ、左の眼から謎の液体が流れている。
 そして、形相が一変していた。
 一言で言うと「キシャ―――ッッ!」って感じになっている。
 立ち上がった夕雲の切先は、検校を向いていた。

『忠義を理解出来ぬ』
『夕雲の本性が剥き出しになっていたのだ』


 毎度、ワカりにくいナレーションをありがとうございます。
 本性むきだしになって、なんで検校を襲いますか?
 闘っている相手も、憎い相手も、横にいる虎眼先生ですよ。
 野獣になってスクール水着の美少女に襲いかかるならわかる。その本性、痛いほどわかる。
 しかし、遠くにいる上司を襲うというのはなんだろう。
 単に打たれて混乱しているだけではないかとも思ってしまう。

 本当のところ、夕雲は虎眼先生に勝てないことが骨にしみてわかったのだろう。
 もう、この人(剣鬼)とは闘いたくない。
 しかし、打たれた恨みは残っている。
 とりあえず、倒せそうな人を襲ってしまおう。そう考えたに違いない。

 夕雲が侍になれなかったのは、忠義を理解できなかったからだ。今回、確定した。
 えらい人に剣をむけるのはヤバイ。マジヤバイ。
 江戸時代で一番大事なのは国家の安定であり、次に藩主への忠誠で、一家の存続、自分の命だ。
 夕雲のような困った人がいると、一家断絶になったり、藩に迷惑をかけたりする。
 こりゃ、侍になれない。してはいけない。

 だが武家社会の反逆者(トリーズナー)夕雲は、蝉丸という名の中間により止められ殺される。
 蝉丸は伊良子にしたがっていた巨漢だ。全身に火傷したようなあとがある。
 手甲鉤という忍具を使っているので、忍びだろう。
 湯屋に刀を持ち込んだもの、蝉丸の仕業と思われる。

 もう一人の中間である友六は馬上筒をふところに忍ばせていたという鉄壁ぶりだった。
 火縄銃は点火しておかないと、撃てない。だから、馬上筒には火かついていたはずだ。
 火のついた火縄銃をふところに入れるのはどうかと。火傷するぞ。
 むしろ蝉丸はそれで火傷したのだろうか。


 夕雲が死んで虎眼先生のたわむれも終了した。
 検校と食事を取っている。
 でも、検校に酌をしている いくの姿を見て、めっちゃ不機嫌だ。
 ある意味、夕雲よりもキケンな虎眼先生だけに暴発するんじゃないかと心配でしょうがない。
 虎眼先生の場合、殺っちまっても乱心で片付くだろう。
 その辺、計算のうえで殺りそうで怖い。

 そのころ藤木と牛股師範は控えの間で食膳を前に座っていた。
 それこそ通夜の席のようだ。まったく手をつけていない。
 虎眼先生たちはウナギらしきものを食っているが、藤木たちの食事は安そうだ。

 安い服を着た藤木たちの前に、裃つけた伊良子が出てくる。
 虎眼先生が切れるのと、藤木と伊良子が闘い始めるのとどちらが早いのか勝負だ。
 伊良子は藤木たちに酒を浴びせかけたりと、挑発に余念が無い。
 実際に挑発するだけではなく、闘ってたおす自信が伊良子にはあるようだ。

 虎拳も速い。
 興津の抜き打ちを見極めた友六ですら、鮮明に見えぬ一撃だった。
 落とした徳利も空中で捕まえている。
 盲目とは思えない動きだ。
 伊良子は、どうやって空間を把握しているのだろう?
 音か、においか、第六感か?


 そして、一人しか使う者のない虎子の間にもどった藤木は、あやしげな文を発見する。
 藤木は、ただよう芳香から何者の文か悟った。
 さすが、妖刀・七町念仏の置かれていた刀架をなめて犯人を割り出した虎眼先生の弟子だ。
 とうぜん、手紙は伊良子のものだった。盲目なのに字も書けるのか? それとも代筆か?
 いずれにしても、一対一の決闘の申し出である。

 ついに、運命の刻がきてしまったのか?
 三年前、秋葉山で生まれた三匹の怪物たちにふたたび試練が訪れようとしている。
 藤木はいかに腕を失ったか。
 伊良子はいかに足を斬られたか。
 三重はなぜ伊良子を憎むようになったのか。
 運命の三叉路が交わろうとしている。
by とら


2005年9月17日(11号)
第二十七景 月光

 今回は牛股師範が主役だ。
『検校屋敷での魔の宴より六日後』
 師の命により牛股師範は他流の道場を訪問していた。

 怨敵・伊良子清玄が姿を見せた以上、師の身辺を守ることが必要だ。
 しかし、虎眼先生はその辺の優先順位が曖昧になっている。
 こういう上司をもつと大変だ。

 でも、検校さまの屋敷に火をかけ皆殺しにしろと命じられなかっただけましだ。
 さすがの虎眼先生もそこまで曖昧ではない。
 自分の手で直接やりたいだけなのかもしれないけど。

 他流の道場といっても無差別にまわるわけではない。
「無双」の二文字が入っている道場だけを狙っているのだ。
 この時点でページをめくらずとも、理由が読める。
 無双とは「ふたつと無い」の意味だ。頂点はひとつ。二つもいらん。
 前漢・建国の名将である韓信は「國士無雙」と絶賛された。天下第一の勇者というわけだ。

 虎眼先生は濃尾無双をうたっていた。
 圏内に「無双」が二人いるのは許せないのだ。それはもう、理不尽に許さなかったに違いない。
 なにしろ身辺警護より優先している。まさに狂人の妄念だッ!
 これには読者おおよろこび。道場主は大迷惑だ。

 ちなみに「濃尾」は美濃と尾張をあわせた範囲だ。織田信長と斉藤道三の領地ですな。
 現代風にいうと、美濃は岐阜県県の中部・南部、尾張は愛知県西部になる。

 牛股師範は、さすがに道場門下生を血祭りに上げるような無作法はしない。
 笑顔をみせて相手を引きつらせてから、巨大木刀「かじき」を振って、指導の名目で礼金を受け取る。

『無双許し虎参りと恐れられた』
『若き日の虎眼の路銀調達法であった』


 すさまじい収入源だ。
 むろん金を払わないと、道場ごと伊達にされてしまうのだろう。
 剣名を上げつつ生活費も稼げる。一石二鳥の仕事だ。
 濃尾から逃げだす兵法家も多かっただろうな、こりゃ。


 濃尾の無双系道場に挨拶しまくった牛股師範は、帰り道で奇襲に会う。
 前回、夕雲を倒した蝉丸と三名の手練が刺客である。

 だが、牛股師範は虎眼流印可を受けた剣士だ。
 三間(5.4m)の間合いも流れの握りでものともしない。
 そして、「虎眼流 星流れ」だ。
 背後から襲う蝉丸を振り返りざま一閃し、首を跳ね飛ばした。

 手元の握りを見せなかったのがポイントだろう。
「星流れ」の構えだと、剣の軌道が一定になるから剣筋を読まれやすい。
 手元を見せなければ、そういう読みは通用しないのだ。
 さすが、牛股師範は磐石である。

 そう思っていると、蝉丸の死体が動いて、鉤爪が牛股師範の足に刺さる。
(毒か!)

 な、な、な、なんだってェ〜〜〜〜〜〜〜ッッ!

 牛股師範大ピンチのまま次回へつづく。

 そして、満月である今夜は藤木源之助と伊良子清玄の果たし合いの日でもある。
 もしかして、この日に虎眼流の人たちが全員退場してしまうのか?
 虎眼先生の死因なんて老衰以外には考えられないけど、弟子の死にショックを受けてポックリ行く可能性もある。
 次回は、より無残になる予感が消えない。


 オマケで、シグルイ原作の『駿河城御前試合』復刊の情報がのっている。
 カバーは「シグルイ」イラスト!
 一巻58、59ページの見開きをもとにしているようです。
 原作はすでに買ったけど、こりゃ買いなおすか。
by とら


2005年10月19日(12号)
第27景 双竜

 先月予告のあった「サイバーシグルイ」とは、このことか!
 どうも連載でイラストを載せていくようだ。
『その動力源は「呪い」や「恨み」といった精神(サイコ)エネルギーに酷似しているという。』
 この解説文のワケのわからなさが、シグルイの真骨頂だ!
 今回は『源之助』と『無明』(伊良子タイプ)がイラスト化している。
 文章に『無残』の名が出ているので、次回はメタルの華が登場するのだろうか。


 本編は虎眼流の聖地・秋葉山昆獄神社で準備に余念のない藤木源之助からはじまる。
 源之助もアキバ系だな。
 酔っ払いは伊達にして帰すべし。
 すくたれ者のエルメス伊良子は、鍛錬によって到達し得る領域を明らかに凌ぐ跳躍で電車の網棚へ逃げるのだった。

 源之助は右手をふって抜き打ちの準備をしているようだ。
 指が手首にくっつくほど関節が柔らかい。まるで柳龍光のようだ(不吉ポイント+1)。
 虎拳で人を打ち倒せる頑強な関節でありながら、柔軟に動くこともできる。
 剛柔あわせもった肉体を作り上げたのだ。

 左手の親指で鍔をはじいて、剣を鞘から抜き飛ばし、柄を右手の人差し指と中指で挟んで斬りつける。
 源之助の新技だろうか。
 右手を柄本にもっていかなくても抜けるので、相手の意表をつくことができる技だ。
 盲人の伊良子清玄には関係ないかもしれないが、気にするな。

 伊良子にたおされた虎眼流高弟たちは、みな一刀のもとにで斬られていた。
 つまり、抜き合わせてからの一刀で決着がつくと源之助は見ているのだろう。
 技の正体は不明だが、何度も打ち合う闘いにならないと予想できる。
 入念に技を見直しているのは、最初の一撃にすべてを賭けるためだ。

 だが、やってきたのは検校屋敷の友六であった。
 友六は火縄の短筒を構えている。すでに着火済みだ。
 銃を持った相手にこれほど接近させたのは源之助の不覚といえる。
 伊良子の性根がどれほど腐り毒をもっている。それを見誤った源之助の不覚であった。

 銃に狙われた無双虎眼流は、どう動くか。
 別に子細なし。胸すわって進むなり。
 動じることなく源之助はすすむ。
 友六にとって、源之助はキケンなけものだ。
 一発で仕留めねば、反撃で斃(たお)される。
 一発で仕留めるなら、狙いは頭と心臓だ。

 だが藤木は右肩を前にした半身になる。
 右腕によって、敵の標的から心臓をかくす。
 これで狙われるのは頭部のみとなった。

 森村誠一『新撰組』に、新撰組隊士が寝るとき右腕を下にするか、上にするか議論したという場面がある。
 敵に襲われたとき、右手で刀を抜いてとっさに防ぐには右腕を上にして寝たほうがいい。
 敵に襲われて斬りつけられても、右腕を下にしていれば利き腕が残るからまだ戦える。
 さて、どっちが有効だろうという話だ。
 ちなみに「葉隠」では刀を抱いて右腕を下にして寝ろとある。「武士に左腕は不要」派だ。

 源之助は右を前にしている。とっさの防御を優先したのだろう。
 相手が銃弾ではいたしかたなし。
 つうか、脳髄飛び散っては右腕が無事でも、ちょっとこまる。


 友六の火縄が火を噴く!
 弾丸はまっすぐに眉間へッ!
 しかし、源之助はとっさに刀でガードしていた。

『源之助が弾丸を避け得たのは』
『強運と』
『攻撃部位を』
『頭部に特定することに成功したためであろう』


 虎眼流剣士はけっこう頭脳派だ。
 前回の牛股師範も 機転がきいていた。
 毎日虎眼先生の状態を見極め、機転をきかさねば生きてゆけぬ生活が虎眼流剣士を鍛えたのだろう。
 まさに常住坐臥が、生死をわける戦いの場である。

 逃げる友六を源之助は伸びすぎる『流れ』で斬り飛ばす。
 いくら何でも伸びすぎだろうとツッコむ余裕はない。
 源之助は目前の戦いに勝利した。
 しかし、自分がほんらい居るべき岩本家を離れている時点で敗北しているのだ。
 戦術で勝って戦略で負けた状態である。

 源之助が守るべき岩本家に、伊良子といくがやって来た。
 牛股師範はおらす、源之助もいない。
 血の惨劇を止めることができるのは、誰だ。
 というより、一番暴れて巻き添え被害者を生みそうなのは虎眼先生その人、という気もします。
 源之助が帰ってきたら、高弟をボリボリむさぼり喰っていそうで怖い。
by とら


2005年11月19日(1号)
第28景 変身

 伊良子清玄は検校の使いとして、芸をみせるという名目で虎眼屋敷にやってきた。
 とりあえず、深夜の奇襲というわけではないようだ。
 正面からの闘いであれば、虎眼先生に勝てるものはいないだろう。
 伊良子はそれほど己に自信があるのか。または、なにか秘策を用意しているのか?

『岩本虎眼は貴人の如く』
『御簾の向こうに座していた』


 貴人というより、動物園のオリです。
 猛獣を放し飼いにするバカがいますか? 鎖につなぐか、オリに入れます。
 ついでに、下手に目を合わせないようにする配慮だろう。
 目があって反射的に、という理由で客人の首を片っ端から刎ねていたらたまらない。
 畳だって換えなくちゃいけないし、世間体もよくない。

『三間先より漂う虚ろな気配と
 衣類に付着した尿の臭いから』
『虎眼が今』
『曖昧な状態にあることを察知していた』


 さすが、元弟子である。
 目が見えなくとも伊良子には虎眼先生の状態がまるわかりだ。
 というか、曖昧な虎眼先生はデフォルトで漏れているんですか?

 弟子でもレベルが上がると平伏して虎眼先生の口元を見ることができない状態でも、曖昧かどうか判別できるのだろう。
 藤木源之助クラスになると、臭いから虎眼先生の体調や機嫌までわかるかもしれない。
 アルコールやコーヒーで尿や血の臭いは変わる。
 虎眼流の門弟は命がかかっているからイヤでもおぼえるのだろう。
 究極的(虎眼先生クラス)には刀架(刀を置く台)をなめただけで持ち出した人間がわかるようになる。

 27景の描写によれば、三間は虎眼流の射程範囲内にある。
 客人の体は真っ二つだ。


 いくの白肌に彫った絵を見せるのが、伊良子の狙いであった。
 応援にきている濃尾三天狗たちは、虎眼先生といくの事情を知らないのか、見せることを許可してしまう。
 いくを取られたことに憤怒して獣のように身を丸めて寝ちゃう虎眼先生にですよ?
 この三バカはそんなに分離・変形したいのか?
 藤木か牛股師範が居てくれれば………

 いくの背には『瞳なき竜が』『灰色の老虎を絞め殺す姿を』描いた彫り物があった。
 T・ハリスの「レッドドラゴン」みたいな趣味をしている。
 とうぜん、虎眼先生は激怒する。いや、とうぜんなのか?
 いきなり斬りつけた。
 その刃は確実に彫り物の「竜の顔」だけを斬りとっていた。

『"岩本虎眼どの突如乱心召され』
『賤機検校さまのご愛妾 いくさまに無体なふるまいに及ばれしゆえ やむなく"』
『後に清玄は役人に対しこう答えている』


 これが、伊良子の計略だ。
 いままで辻斬りをしていたのに、急に法を守る気になったらしい。
 まあ、門弟とはちがい虎眼先生は大物だからゴマかしが効かないのだろう。


 伊良子が抜刀する。
 すかさず濃尾三天狗の一号と二号が師の前にたつ。
 一瞬にして、両断された!
 虎眼先生にッ!


 見開きで門弟二人を真っ二つだ。
 ぎゃ〜〜〜〜、やっぱり この人狂っている!
 もう、大爆笑するしかない。

 この暴挙に室内の人間はみな唖然とする。そりゃ、するわなぁ。
 だから、もっと師の気配に気を配れというに。
 藤木なら、尿の臭いが変わったとか、なにかしらの予兆を捕らえられたかもしれない。

『この夜の岩本虎眼が』
『正気でも
 曖昧でもなく』
『敵であろうと味方であろうと』
『間合に入ったもの全てを斬る魔人へと変貌をとげたこと』


 いや、それもデフォルトなんじゃ……
 むしろ、虎眼先生が生き生きとしているように感じます。
 伊良子生還は予言されているが、虎眼先生の暴風を誰がどうやって止めるのだろうか?
 急いで帰ってきた藤木が虎眼先生に左腕ぶッた斬られながら、止める可能性もありそうな。

追記 (05/11/22)
 疵面の感想でサメの鼻先うんぬんと書きましたが、実は鼻先がサメの弱点だそうです。
 掲示板では、たけさんから情報をいただきました。
『熟練猟師・ダイバーは、サメに囲まれた場合、警防のようなものでサメの鼻を小突き、脱出するとのこと。
(byゴルゴ13)』
 だそうです。さいとうたかを を持ち出されるとなんか説得力があります。

 メールでは遠藤さんから情報をいただきました。
 サメについての情報があるサイトも併記していただきました。
 情報、ありがとうございます。
 うぬぅ〜、サメの弱点は鼻先であったか。

 よく考えたらサメは嗅覚が命な生物だから鼻を大事にするように、鼻先が敏感になるように進化したのかもしれない。
 人間が金玉打たれて痛いのは、そこが大事な部分だからなんだし。
 そういえば、K-1 GPで武蔵がまた金的打たれていた。
 なんで、武蔵はあんなに金的を受けてばかりなのだろう。
 やはり、人体構造的に問題があるのかもしれない。

 話脱線ついでに、今月のチャンピオンREDにのっていた『電車男』は来月分の話だったらしい。
 掲示板でたけさんが書いている話ですね。
 私は友人に聞いて知りました。詳しい経緯は作者渡辺航さんのHP、日記に書いてあります。

 常識では想像もつかないミスだったので、私は普通に読んでいました。
 てっきり、いきなり時間を飛ばして後日談風に語る倒置叙述風な演出だと思っていた。
 今までの経緯からして、電車がなにもできないのは確定だし。
 エルメス妹とのニアミスは無いというのも、今回の話でわかる。
 なるほど、今回は読者に想像させる展開か。と一人で納得していた。バカか、俺は。


 倒置叙述というと、今回のシグルイもそうだ。
 現在の展開は、第一景につながる事件になるはずだ。

(1)伊良子といくは生存する。
(2)ただし、伊良子は右足を負傷する。
(3)藤木は左腕を失う。
(4)三重は伊良子に対し激しい憎しみを持つ。(少なくとも、憎んでいると周囲が納得する理由を得る)

 上記四点がのこったノルマである。
 現在の虎眼先生がみせる勢いなら、伊良子の右足といわず全身あまなく斬り裂くことが可能だ。
 そうなると、(1)が満たせなくなるので、どこかで誰かが止めなくてはならない。
 可能性的に席を立った三重があやしい。
 命がけで、伊良子をかばうんだけど、伊良子は三重を道具のように盾にして虎眼先生を斬る。
 なぜか まきぞえで藤木が虎眼先生に左腕を落とされる。これで、話は成り立つ。

 原作の『駿河城御前試合』には、虎眼先生が死ぬシーンがある。
 漫画版の虎眼先生は激怒しすぎて脳卒中になるぐらいしか死ぬシーンが浮かばない。
 そもそも御前試合の時点で虎眼先生が死んでいると、漫画版には書いていないのだ。
 生きていても物騒すぎる存在だから、試合には出せない。そう考えればつじつまがあう。
 富士山が爆発して溶岩をあびたりしないかぎり、虎眼先生が死ぬなんて考えられない。
by とら


2005年12月19日(2号)
第29景 盲竜

『魔剣により 重傷を負ったいくは』
『自分はすでに死していて
 地獄の光景を見ているのではと疑いはじめた』


 まさに地獄絵図だ。虎眼先生 大爆発である。
 正確にいえば、虎眼先生が自分の弟子を爆発・内臓四散させているのだが。
 思う存分に(弟子の)臓物をぶちまけ、伊良子を嗅覚面からも追いつめていた。
 魔人状態の虎眼先生が作戦を考えることのできるのか不明だ。
 本能で行動したら、結果が勝手に付いてきているのかもしれない。

 さすがに相手がヤバすぎるので伊良子は跳躍していったん外へでる。
 なんかイロイロと作戦を考えてきたようだが、単純な戦力の差で負けているっぽい。
 伊良子清玄 生涯二度目ぐらいの不覚であった。

 逃げる伊良子の着地地点を狙って虎眼先生が小刀を投げつける。
 まず、足をつぶし、のちにジックリ攻める予定だろう。
 三重に精をつけさせるための食材だが、今宵は二足獣の肝か?
 狂人とは思えない合理的な行動だ。
 一流の剣士ともなると、考えずとも体が勝手に動いて近くにいる人を斬殺できるのだ。たぶん。

 だが、伊良子は剣を杖がわりに突きたて、刀を踏まずよける。
 盲目とは思えないみごとな回避だ。
 伊良子清玄もやはり危険な怪物だった。
 その危機回避能力をなぜ いく籠絡時に発揮できなかったのだろうか。

 どうも伊良子は一度痛い目にあわないと開眼できない人のようだ。
 まるでサイヤ人か、カイジだ。一回死にかけると強くなる。
 本当に危険を嗅ぎとれるなら、虎眼道場に入門したりしない。
 ちゃんと城下町で情報収集をすれば、当主から門弟まで まんべんなく死狂っていることがワカったはずだ。

 いくが明かりを消し、月が曇ったことにより、闇が濃くなった。
 だが虎眼先生の瞳は猫科動物のごとく拡大し、闇でもまったく問題ない。
 山崎九郎右衛門も瞳孔を拡大させていた。
 虎眼流には瞳を拡大させる秘術があるのだろうか。
 人体を究極以上に鍛えあげる虎眼流は、闇夜の戦闘ができるように眼も鍛えているのかもしれない。
 となると、藤木源之助も瞳を拡大できるのだろう。やったら三重に嫌われそうだけど。

 大虎のごとき殺気を放つ岩本虎眼にたいし、伊良子清玄は盲竜となって隙をみせない。
 人外の戦いもここまで極まったか。
 そして、絶体絶命のピンチで、伊良子はさらなる覚醒を果たしたようだ。
 いくが涙を流すほどに構えが決まっている。
 これこそ無明逆流れの原型であろう。

 虎眼先生も本気の証で、流れ星の構えに入る。
 同じ相手に二度放ったことのない必殺剣だ。
 一回でいいから柳生宗矩に思いっきり放ちたいんだろうな。

 伝統の必殺剣と、新星の必殺剣が真っ向勝負だ。
 どちらの剣がより速く どちらの剣がより遠くまで届くのか?
 最大奥義が爆発寸前のまま、次回へつづく!

 もしかすると伊良子の覚醒によって、普通に虎眼先生が負けるかもしれない。
 しかし、いくら覚醒しようと魔人には勝てないだろう。勝てる気がしない。
 やはり三重がでてきて油断をするのだろうか。

 虎眼先生といっても人の子だ(それ以前に剣鬼だけど)。
「藤木の方が剣はまともだが、三重はどうやら伊良子に夢中らしいから、やはり、伊良子の方に決めるかな」
 などと、原作では親らしい思いやりをみせている。
 漫画版では、それ以前に「種」なんだけど。

 だめだ、やはり伊良子が虎眼先生に勝てるとは思えない。
 第一景は無かったことにしてください。というオチが待っていたりして。
by とら


2006年1月19日(3号)
第30景 流れ星

 虎眼先生のテンションがどんどん上がっている。
 一閃で伊良子といくの首を同時に刎ねとばせるほどのタメだ。
 濃尾三天狗を一瞬で肉塊にかえた濃尾無双 岩本虎眼である。一撃二殺ぐらいは鯉飯前だ。

 今回は、虎眼先生の生中継と、藤木源之助+伊良子清玄の回想という三次元中継だ。
 まずは藤木の回想がはじまる。
 時間は伊良子仕置きから半月後だ。
 藤木は虎眼先生の部屋で畳をふいていた。
 液体がこぼれている。虎眼先生が粗相をしたのだろうか。

 この場合の粗相は、失禁ではない。
 三重のために 四足獣を捕らえて部屋のなかで解体したのだ。
 そりゃあ、もう、血まみれの血だらけだ。
 親心とはいえ、心をむしばむだろう。
 ついでに、興津三十郎の忠誠度が下がります。従うんじゃない、慕うんだ!

 藤木が掃除をしている後ろでは虎眼先生が徳利でたわむれていた。
 虎眼先生は、とりあえず徳利を口に入れている。おもいっきり幼児化しています。
 興津三十郎の忠誠度がまた下がりました。

 すると鋭い音が響く。
 藤木がふりかえると、虎眼先生が徳利を渡してくれた。
 子供がいったん口に入れたものを渡してくる行動ににている。
 徳利の腹には穴が開いていた。
 ここで藤木がもつ「剣士の本能」がビビっと反応する。

 廊下で山崎九郎右衛門に声をかけられても藤木は素通りしてしまう。
 山崎の出番はこれだけなのだが、とてもプリティーだった。
 さびしそうな無表情になんとも言えない風情がある。

 ところで伊良子も内弟子だろうから、山崎とも同室だったのだろう。
 山崎と伊良子って、なんとなく相性が最悪っぽい。
 伊良子の股間を焼こうとするとき、ものすごく嬉しそうだったし。

『師 虎眼より授かった徳利の穴』

 そう、「授かった」のだ。
 伊良子仕置きで、藤木は木刀のつかみを見せた。
 虎眼先生は独力でつかみにたどり着いた藤木の才能を認めたのだろう。
 脳が曖昧で尿のキレも曖昧だが、剣鬼・岩本虎眼は正確に実力を見極める。
 徳利をわたしたのは藤木にたいする、卒業試験であろうか。

 徳利を普通に叩いても上部がくだけるだけで、穴はあかない。
 穴を開けるには、さらなる高速が必要だ。
 藤木は悩みに悩みぬいた末、必殺剣「流れ星」の極意を悟るのだった。

『この翌日 稽古場に現れた源之助を一目見るなり』
『師範 牛股は"大目録術許し"(免許皆伝)を与えている』


 「流れ星」を会得したことで、雰囲気まで変わったのだろう。
 でも、伊良子仕置きで藤木も怪物になったという話は、どうなった?
 人間に戻ったのか?

 「シグルイ 四巻」で、藤木は牢人者に流れ星裏拳を使っている。
 虎眼先生にもらった徳利を他に見つからないように埋めた藤木にしては、ちょっと不用意な行動だ。
 だが、もしかするとわざと見せたのかもしれない。
 有望な仲間たちにヒントを与えることで、さらなる成長を期待していた可能性がある。
 虎眼流では、師から技を盗んで自分のものにするという習慣が息づいているのだろうか。


 いっぽう伊良子も同時刻に偶然「流れ星」の理合をつかんだ。
 源之助は虎眼先生からヒントをもらい、考えて答えにたどりついた。
 伊良子は最後に見た光景と、偶然から「流れ星」の理合に気がつく。
 たどりついた場所は同じだが、過程がちがう。
 過程の差が二人の明暗をわけることになるのだろうか。


 そして、現在!
 無敵の虎眼先生だが、今回は技のネタが伊良子に割れている。
 伊良子も、この土壇場でさらなる進化をとげて無明逆流れを完成させるかもしれない。

 次回、ついに決着がつくらしい。
 おそらく「シグルイ」中盤のクライマックスだ。
 第一話につながる伏線が明らかになるだろう。

 果たして、藤木は間に合うのか?
 虎眼先生の「流れ星」は成功するのか?
 REDが月刊誌であることが、とても恨めしい。

 ところで、おそるべき指力の影響か、虎眼先生の左指まで六本なんですが…
 ………忘れましょう。
by とら


2006年2月18日(4号)
第31景 死閃

 いよいよ運命の時がやってきた。
 すでに完結している原作がある以上、避けられないのが登場人物たちの死だ。
 板垣版・餓狼伝のように、ちがう意味でキャラ(主に梶原)を殺すこともあるが、それは例外とする。
 逃れられぬ死が、剣鬼・岩本虎眼に迫ろうとしているッ!

 虎眼先生の秘剣「流れ星」と、伊良子清玄の魔剣「無明逆流れ(初期型)」が激突する。
 伊良子は以前「流れ星」を体感している。しかし、虎眼先生は「無明逆流れ」を知らない。
 一流同士の戦いでは手の内を知っているかどうかが、勝敗に大きく影響する。

 前に「第二十七景 月光」感想で書いたが、「流れ星(星流れ)」の弱点は単調な軌道にあると思う。
 横薙ぎ一閃の攻撃しかないので、自分の右側に剣を立てる構えをとれば、剣で防ぐのはたやすい。
 もちろん、その構えに対する対応策もあるだろう。
 だが、攻撃の軌道が単純なのは大きな弱点だ。

 たいして虎眼先生は伊良子の剣を知らない。
 もしかすると、牛股師範から死体の斬られかたを聞いているかもしれない。
 いや、あいにく普段の虎眼先生はあいまいだ。
 むずかしい話を理解できるとは思えない。

 ならば、覚醒した虎眼先生なら、どうか?
 いや、覚醒した虎眼先生は話を聞くまえにツボを頭に落とす。
 とても話を聞いてくれる状況ではない。
 どっちに転んでも手詰まりだ。やはり、虎眼流に未来はないのか?

 そういえば 牛股師範に落としたツボって、なんのため物だったのだろう。
 液体しか入っていないので、花瓶ではない。
 なんの意味もなく、相当量の液体を入れたツボを部屋に置くのだろうか。
 あまり考えると、「虎眼先生のおまる」という結論が出そうなので、ここで止めよう。
 なんかオチの すべてが尿になる。


 「流れ星」を知っている伊良子は、体を倒しながら斬りあげた。
 横の軌道をうまくかわしつつ、攻撃したのだ。
 涼之介、宗像、山崎、丸子。虎眼流 高弟たちの顔を割った魔剣が虎眼先生を襲う!

 勝利を確信した伊良子だったが、虎眼先生が倒れる音が聞こえない。
 曖昧 → 覚醒 → 魔人ときて、虎眼第四形態が発動したのか!? と伊良子は恐怖する。
 門下時代から、伊良子には虎眼先生にたいし失礼な言動があった。
 それでも、虎眼先生への恐怖が染みついていたのであろうか。

 ちょっとしたきっかけで人は恐慌状態におちいるのだ。
 心のどこかで、虎眼先生は地球外生物だと疑っているのかもしれない。


 這って逃げようとする伊良子の背には涼之介の亡霊がのっかる。
 なぜ涼之介なのか?
 四人いっぺんにのっかるには、伊良子の背が小さすぎるからかもしれない。
 それならイチバン重そうな丸子さんが乗っかればいいと思うのだが。
 それとも、子供を手にかけた罪悪感が伊良子の体を重くしているのだろうか。

 かつて藤木源之助に「お前は這え」「俺は翔ぶ」と言っていた伊良子が必死になって這おうとする。
 非常に因果な図だ。
 たぶん、同時刻の藤木は翔ぶように走っているのだろう。


 そして、混乱した場にトドメを刺すように三重が白無垢で登場する。
 心が壊れていると言われていた三重だった。
 血の海でも恐れずに入ってくる彼女は、やっぱり壊れているようだ。

 伊良子がきたと知ってのおめしかえだ。
 伊良子に嫁入りする気まんまんらしい。
 三重は血の海ということを どれだけ認識しているのだろうか。
 四足獣の肝をあれほど嫌がっていたのに、人間の腸はまったく問題ないらしい。
 やっぱり、心が壊れたままのようだ。


 三重の愛という名の援護射撃だ。
 これが効いたのか伊良子が息を吹きかえす。
 仕置きのときに結婚式の夢を見ていただけに、白無垢で闘志が萌えあがったのか。
 いや、見えていないんだけど、ニオイとかそんなんで。

 虎眼先生がきゅうに落ちついちゃったのは、脳が欠けたからだろうか。
 「前頭葉は、脳の中でももっとも人間らしい知的活動をつかさどっているといわれている部分」だそうだ。
 今回の場合、野獣みたいな状態になった人が、人間に戻るというのも不思議な気もする。
 虎眼先生は、さまざまな感情が爆発して脳が暴走していたのかもしれない。
 負荷を減らして、ちょっと落ちつきましたか。

 で、うどん玉の如く大脳がこぼれる。
 血の海で平然と三つ指ついた三重が、いまさら大脳でビビるのか。
 やっぱり、肉親の臓物(というか脳)はショッキングだったようだ。
 これでマイナスにマイナスをかけた状態になって、三重は第三形態「魔人」モードになるのか?
 心という器は、ひとたび ひびが入れば二度と戻りませぬ。

 個人的には剣士の命である指が切断されたシーンもショッキングだった。
 絵や楽器を趣味にする人が手をケガすると精神的にすごいダメージを受けるだろう。
 剣士も指を失うのは(すでに死に体であっても)、つらいハズだ。

 それにしても、念入りに虎眼先生を破壊している。
 虎眼先生は原作者の南条先生がモデルらしい。しかし、この仕打ちだ。
 無残すぎる。

 逆に考えると、虎眼先生を殺すことに苦労している感じがする。
 これだけダメ押ししないと殺せないのだ。
 顔を半分斬りました。
 ナニ言ってんですか、脳なんて飾りですよ。
 虎眼先生は 死にません。

 心臓付近を刺しました。
 武士は刺されたぐらいでは死にません。
 臓物がこぼれてからが、本当の勝負だ。
 切腹ってのは一世一代の晴れ舞台ですよ!

 だが、不死身の虎眼先生も剣士の生命線である右指を五本斬られて倒れた。
 岩本虎眼を倒すには、ここまでしないとダメなのだ。
 脳と心臓と指のすべてを封じて、岩本虎眼は生物として死ねる。
 いっそうのこと、脳を失いながらも生きつづけて欲しかったのだが、それはムチャか。


 ところで、藤木源之助の到着はまだか?
 まだ伏線に「伊良子の跛足」「藤木の隻腕」が残っている。
 藤木が駆けつけて、さらなる無残が展開されるのだろうか。
 まさに濃尾無双・虎眼流の壊滅だ。

 ところで、虎眼先生の瞳は、ひとたび大きくなれば二度と戻りませぬか。
 不気味な容貌のままとは、不憫な。
by とら


2006年3月18日(5号)
第32景 地獄極楽

 魔界と化した岩本家に、藤木源之助が到着する。
 だが、すべては遅いのだ。遅すぎたのだ。
 そして、藤木が左腕を斬られる予定に………

 ………伊良子清玄は帰ったようです。
 って、まだ じらされるのかよッッッ!
 ああ、もう、はやく介錯してくれ。


 帰ってみたら、肉塊と血の海の中に三重さんが血染めの白無垢を着て座っているんです。
 ドッキリだとしても、この状況を作るのはむずかしい。
 ナニがどうなるとコレになるんだ? という感じの不可解・不可能 殺人現場という感じだ。
 しかし、難易度の高い地獄絵図をみても藤木の鼓動は乱れないのだった。
 ならば いつ乱れるのだ?

 藤木は縁側に伏した師を発見した。
 鼓動が乱れまくっているようだ。
 うむぅ、藤木にとって 虎眼先生はだれよりも(三重より)何よりも大切な人だったのだろう。

「倉田英之のDVドローム」で『前回はなんと虎眼先生のフェイス/オフ場面のお隣という絶好なる配置をいただき、オソレオオキこと山のごとし、です。なんか転校生がクラス一の美少女の隣の席に、みたいな気分。』とある。

 今の藤木は、放課後のだれもいない教室で学校一の美少女(レベルアップ)が倒れているのを見つけて、介抱している気分だ。
 しかし、脳がうどん玉のように こぼれたあとだから、中身が空っぽです。
 濃尾一の美少女であっても、これは助からない。

 だが、藤木の熱き忠誠心は虎眼先生の死を受けいれない。
 マウス・トゥ・マウスで気道に詰まった血泡を吸い出す。
 前回、虎眼先生は血をノドにつまらせていた。
 藤木はそれを知るはずもない。しかし、とっさにマウス・トゥ・マウスをするのは剣士としての本能であろうか。
 または、愛だろうか?
 だが、日本一の美少女に匹敵する岩本虎眼はかえってこないのだ。
 日本にとって重大な損失である。株価にも影響が出るだろう。


 今回の三重さんですが、心という器は ひとたび ひびが入れば二度目で割れる、ようだ。
 治るとか治らないとか以前に、砕けました。ちょっと再起不能っぽい。
 でも、第一景でふつうに会話していた。驚異の回復をするのだろうか。
 虎眼先生の娘だから、同じような経験があって耐性があるのかもしれない。

 そして、地獄の亡者もショック死しそうな現場にやってきた役人・大沼官兵衛もかなりの精神ダメージを受けただろう。
 大沼は、まぶたを閉じると惨劇がうかび眠ることができなくなったかもしれない。
 あるいは いっさいの肉を受けつけなくなっただろうか。
 三重以上に再起不能になりそうな予感がする。

 いっぽう、屋根の上にいる虎眼先生の顔半分は、夜にもかかわらずカラスに喰われるのだった。
 虎眼先生を喰ったカラスがまともでいられるワケがない。
 夜に活動している時点で、すでに異常だ。
 突然変異をおこして足が増える。三本足の八咫烏になったりして。(八咫烏 参考:ウィキペディア
 

 虎眼先生をほふった伊良子清玄は駿府城にて駿河大納言 徳川忠長に目通りする。
 『駿河城御前試合』の主催者であり、作品の陰の主役ともいわれる駿河大納言忠長が ついに伊良子と接触した。
 野心高き男・伊良子と無残を愛する男・忠長がまじわる。
 これは酸性洗剤と塩素系洗剤がまじわるより――――、漫$画太郎とピエール瀧がまじわるよりキケンだ!
 なかったことにしてください。

 伊良子の剣技で血の花が咲き、忠長の鼻腔が開いて、契約完了といったところか。
 これより先は、さらなる無残が待ちかまえていそうだ。
 なにしろ、藤木と伊良子の負傷は決定事項である。必ずおきる事象だ。
 今後もまだまだ無残に血の雨がふる。

 虎眼先生は死んでしまったのだが、今後も出てくる可能性がある。
 今回見せた藤木の忠義は、どこからくるのか?
 農家出身だった藤木はどうやって武士になったのか?
 そのあたりの謎が残っているのだ。
 回想中に回想するという回想スパイラルを起こす可能性はあるが、元気に剣を振りまわす虎眼先生を見ることができるのなら、それで良い。

 それと、牛股師範のこともだれか心配してあげてください。
by とら


2006年4月19日(6号)
第33景 悪童

 今回のREDオマケはシグルイクリアファイルだ!
 山口先生も『クリアファイル、学校や職場で使って頂きたい。』と書くほどの自信作らしい。
 もう少し こう何というか、手心というか…。
 カラーで臓物出しすぎ。


 牛股師範は生きていた!
 七日ぶりに奇跡の生還だ。
 やはり、牛股師範は毒などで倒れる漢(おとこ)じゃないのだ!
 とはいえ、毒で倒れたまま放置だったので、ものすごく心配でした。
 だが、すべては遅すぎたのだ。

『師 岩本虎眼は もう この世にはいないのだ』

 無情なナレーションがはいる。
 もともと 精神がこの世からハミ出し気味の人でした。しかし、こんどこそ帰らぬ人になったのだ。
 もう虎眼先生にツボを叩きつけられたり、脇差で口をえぐられたりすることも無い……。
 牛股師範は慟哭する。
 悲しみのあまり牛になって慟哭する。

 すいません、悲しいはずのシーンなのに笑えてしまう。
 なにも、本当に牛になることは無いだろうに。本格的に牛ですよ。
 「焼肉をシグルイ風に語るスレ」も、きっと大喜びだ。


 以前、日記で虎眼先生の経済状況を考察した。
 繰り返しになるが、磯田道史「武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新」によると、三百石は現在価値で1500万円だ。
 当時は人件費が安いので、現在感覚に直すと8100万円ぐらいだ。
 今回、七十石に減俸されたので現在価値で年収350万円、現在感覚で1890万円になる。
 三重と藤木をやしない、奉公人をやとうギリギリの値段だろう。

 藤木は乱心による士道不覚悟により蟄居となっている。
 大辞泉によれば蟄居は「江戸時代、武士に科した刑罰の一。自宅や一定の場所に閉じ込めて謹慎させたもの。」となっている。
 伊良子もはいった座敷牢に閉じこめられるとは、なんという運命のいたずらか。
 士道不覚悟にしてはけっこう罪が軽い。

 山本博文『図解 武士道のことが面白いほどわかる本』『『葉隠』の武士道 誤解された「死狂ひ」の思想』などを見ると、武士は自分で命の始末ができる者のことをいうらしい。
 つまり、腹を切ってわびることができるのが武士なのだ。
 農民や町人は切腹ができないから、始末をつけてやる必要がある。
 士道不覚悟は、武士失格のことだ。つまり切腹できなかった人をさす。
 だから、斬首で始末をつけてやる事になる。

 つまり士道不覚悟で蟄居というのは、ちょっとあやしい判断だ。乱心と士道不覚悟も直接つながらない。
 一連の動きには伊良子が絡んで、不可解な判決がおりたのだろう。
 本物の武士を目指していた藤木に「士道不覚悟」をつきつけ、生き恥を晒させる。
 精神的に責めたてるつもりか。


 藤木源之助は十数年前を思いだす。
 当時、村の悪童・藤木源之介が暴れまわっていた。
 農民の子だった源之助は悪童の標的である。
 だが、農民の子が士の子に逆らえるはずもない。頭を下げて許しをこうばかりであった。

 源之助は山中で虎に出会った。
 正確には虎の幻影だ。
 幻影の虎は源之助のはらわたを引き出し、はらわたで源之助を引っぱる。

 虎の幻影とは虎眼先生のことであろう。
 源之助の内面からなにかを引き出し導いたという暗喩だと思われる。
 暗喩すぎて巨大カマキリと戦うなみに、ファンタスティックな描写になっているけど。

 そして、源之助は悪童・藤木源之介を殺害する。
 足首をつかんでぶん回し、石垣に打ちつけたのだ。
 それも片手で。
 子供が自分と同じぐらいの体重の子を片手でぶん回している。
 なんという筋力であろう。ドイルをかたてで振り回したオリバなみだ。
 虎眼先生は、これが見たかったのか!?

 源之助は士(さむらい)の復讐を恐れた父によって つるされる。
 我が子を殺され黙っているのは士道不覚悟だ。すくたれ者だ。
 正式な仇討ちでもないかぎり 人を惨殺すると切腹になるのだが、士道不覚悟よりマシだ。
 『『葉隠』の武士道』でも、そういった例をいくつかあげている。
 これが武士同士なら、返り討ちの準備をはじめるところだろう。
 やはり、農民は命の始末を自分でつけられないらしい。

 そこに一人のお武家さんがやってくる。編み笠で顔が見えない。
 特徴としては、右手の指が六本あった。
 武士が刀を抜き放つ。
 源之助をつるしているヒモを斬り、しばっているヒモを斬る。
 空中にあった源之助が落下する間に三回も斬ったのだ。恐るべき早業であった。

「この童」
「いらぬなら貰うぞ」


 とうぜん武士は岩本虎眼 本人であった。
 なんか自作自演っぽいけど、圧倒的な迫力とカッコよさにはシビれるしかない。
 もはや憧れる以外の逃げ道は閉ざされている感じだ。
 そして、虎眼先生はクールに去る。ちなみに源之助は素っ裸ままだった。クールだ。

 悪童・藤木源之介のかわりに源之助は藤木家の養子となった。
 そして、岩本家に内弟子としてはいる。
 士(さむらい)藤木源之助の誕生であった。
 それを見守る虎眼先生は満面の笑顔を見せる。

 …………って、虎眼先生がこんなやさしい笑顔を見せるなんて!!!?
 え、あれ? 俺の視力どうかしたか?
 それとも、この人は彪眼先生とか猫眼先生とかのニセモノか?
 なんですか、その優しい笑顔は。
 「一億用意してくれんか」とか言われたら、アイフルで借金してでも役立とうとしちゃいそうな笑顔じゃないですか。
 虎眼先生にこんな笑顔ができたなんて……。


 虎眼先生は「種」集めに執心していた。
 あの笑顔は会心の種を見つけた純粋な親心なのだろうか。
 なんにしても、虎眼先生への評価を根底から覆すような笑顔であった。

 なんか、他にも書こうとしていた事があったけど、ショックでぜんぶ忘れた。
by とら


2006年5月19日(7号)
第34景 竹槍

 なぜ今回はシグルイ感想を先に書くのかッ!?
 この間のオフ会遊星さん「なんか、疵面感想よりシグルイ感想のほうが量多くなって来てませんか?」と言われたので、開き直って順番を変えた ワケではありません。
 答えはで。


 今回の表紙は幼年編の藤木源之助だ。
 幼少のころから腸をハミ出すのがシグルイのたしなみである。
 年齢制限いっさいなし。


 用心棒であり一羽流の使い手・(くちなわ)平四郎が語るおさない藤木源之助の恐怖だ。
 かつて蛇平四郎は虎眼道場をたずねたことがあった。
 季節は桜の舞い散る四月である。
 風流な風景だった。死ぬにはいい日だ。

「一手 指南つかまつりたく候(そうろう)

 いきなり死亡フラグ立てちゃったよ、この人。
 まあ、死ぬことはありません。伊達になるだけです。
 というか、情報はちゃんと集めておきましょう。
 虎眼道場をたずねる途中、みょうに顔にケガをしているサムライが多いと、思わなかったのか?
 危機意識がまるで足りない。

 対応する牛股師範はしきりに頭をかいている。
 初心者は、この低姿勢にダマされるのだ。私も一巻でダマされた。
 虎眼先生に口をえぐられてから、牛股師範の低姿勢は姿を消す。
 以後は、人を威圧することがメインの仕事になる。

 牛股師範は口がさけて牛でいるほうが、危険人物だとワカるので安心だ。
 見た目で判断つかない人ってのは、危険だったとき取り返しがつかない。
 たとえば虎眼先生をふつうに暴れさせるのと、ミッキーマウスの中に入れるのとでは、被害とインパクトが三倍ちがう。

 虎眼流の門下生は百姓や町人といった連中ばかりのようだ。
 若き日の丸子、宗像、山崎も座っている。
 あいかわらず山崎九郎右衛門の目が怖っ!

 山崎は「赤ずきん」に出てくるオオカミみたいだ。
「山崎さんの目は、どうしてそんなに大きいの?」
「それはね、涼の鍛錬を見守るためだよ」
「山崎さんの口は、どうしてそんなに大きいの?」
「それはね、シュパチュパするためだよ」

 幼年編・藤木の姿もおおきな目で見守っていたのだろうか。

 蛇の相手になるのは、興津につれられた藤木であった。
 まだ入門して三年に満たない。
 しかし、入門前から同年代の子供を片手で振りまわした藤木である。
 三年でじゅうぶん怪物に育っていることだろう。

『相手が前髪であろうと』
『加減する蛇(くちなわ)ではない』


 凶悪な男であった。
 前髪とは元服前の髪型である。
 司馬遼太郎『新撰組血風録』に収録されている「前髪の惣三郎」の影響で、かなりエロっぽい印象がある。
 ちなみに、涼も前髪であった。
 前髪と聞いただけで、山崎は前かがみで ちゅぱちゅぱだ。

 他流がいどんできたときは門下生二人ぐらいと立ち合ってから師範と戦うことが多いらしい。
 門下生との試合で相手の体力をうばい実力をはかる。時には間合いを計算する。
 板垣先生も、そうやってボコボコにされたらしい。板垣恵介の格闘士烈伝

「いざ参ら……」

 蛇が最後まで言うより速く、藤木の木刀が走ったッ!
 木刀は宙に舞い、左中指と薬指もちぎれて舞った。
 さらに藤木は木刀をノド元に突きつける。
 なんという実力か!
 そして、なんという容赦ない攻撃だッ!

 虎眼流は一撃目から殺す気で打ってくる。
 虎眼先生の教えが浸透しすぎだ。
 藤木や宗像、山崎は顔をはらしている。でも、コレぐらいですんでいるのが奇跡だ。
 山崎が傷を負っていないのは、目が良いから よけているからだろうか?

「耳か鼻か」

 すごみを見せる藤木に虎眼流門下生が大喜びだ。
 とくに山崎がうれしさのあまり、こぼれ落ちそうなほど目を見開いている。
 虎眼流において相手を伊達にする瞬間は最高の愉悦なのだろうか。
 そして、わざわざ相手に希望の場所を聞く親切な藤木であった。

 ビッ

 藤木の一撃は蛇の右まぶたを破った。
 だが、浅い。

「ぬるいぞ源之助」
「しかと えぐれ!」


 あ、熱すぎッ!
 ぬるくない。ぬるくないよッ!
 牛股師範の檄がとぶ。しかと えぐれとトドロき叫ぶ。
 やっぱ、虎眼流にチョッカイかけるんじゃなかった……。
 蛇は心底後悔しているだろう。

 牛股師範のきびしい指示を受けて、源之助は狙いを定める。
 打った。
 右の眼球がこぼれた。
 しかと えぐったのだ。
 虎眼流門下生たちも、思わず立ち上がり笑顔を浮かべている。

『これが藤木源之助の初陣であった』

 優勝を決めた野球チームのように藤木を胴上げしそうな雰囲気すらある。
 牛股師範の目にも涙がうかぶ。
 たぶん感動するシーンなんだろうけど、怖すぎる。
 なに、この危険人物育成集団は?

 武士脳の恐怖だ。

 小さな おとうと弟子の勝利を祝う虎眼流門下生であった。
 こうやってみんな虎になっていくんだな……
 画面には入っていないけど、えぐられて苦しんでいる蛇のことも心配してあげてください。
「源之助が大人になった記念日だ。おぬしも飲んでいけ」と目の治療もしないで、ムリヤリ飲みに連れて行かれそうだ。

 で、蛇は復讐をちかった。
 虎眼流によってほほをえぐられたり、鼻をそがれた同好の士はすぐに見つかったようだ。
 さすが虎眼流と言うべきだろう。
 お互いに目立つから「もしや、貴公は……」と声をかければすぐに仲間が見つかる。

 でも、復讐しようという根性のあるヤツは全部で三人だったのだろう。
 たぶん虎眼流はえぐりとった肉を記念に喰うような連中なのだ。
 いくも 牛股師範に喰われていたし。
 自分の肉体が喰われるという恐怖をうけると再起不能になりそうだ。
 普通の人なら、二度と虎眼流に関わりたくないと思うだろう。

『決行されたのは九月である』

 いっしょに闘ってくれる仲間を探すのに五ヶ月かかりました。
 狙いは藤木源之助だ。
 もちろん、イチバン弱そうだから。
 やっぱり蛇も牛股師範あたりにケンカを売る気にはならないのだろう。

 蛇たちは雷雨を狙い竹槍を装備した。
 金属の刀を抜けば雷にうたれるという地の利を利用した作戦だった。
 だが、藤木は躊躇なく抜刀する。しかも、刀を高く構える。
 蛇たちのほうが動揺した。すでに気迫で負けている。

 落雷が直撃した。
 蛇の仲間二人が一瞬で焼けただれた肉塊となる。
 まるで魔人モードになった虎眼先生が門下生をブった斬った時のような、ムチャな決着だ。
 のこった蛇は腰をぬかして震えるしかない。

 蛇は藤木の頭上に龍の姿をみた。
 そして、素っ裸の藤木に斬られると心底怯える。
 全裸だと股間に修正のはいるシグルイだが、子供チン●は問題ないので無修正ノーカット全裸でお送りいたします。
 「グラップラー刃牙26巻」に出てきたチン●も皮をかぶっているので無修正で問題ないと判断されたのだろう。


 そして、話は虎眼流崩壊直後にもどる。
 藤木に最大級の恐怖を受けた蛇は、畏怖が裏返って藤木を尊敬するようになっていた。
 龍が藤木を守っている。藤木ならば仇も討てるはず。
 蛇は確信をもって藤木を信じるのだった。
 ただ、伊良子清玄も龍を守護神に持つ男だ。藤木と伊良子は互角なのか?
 そして、牛股師範は本人が牛だ。

 一方、藤木と三重は書をしたためていた。
 内容は「仇討願」である。
 子が親の仇討ちを願うのは幕府に認められている。
 弟子が師の仇を討つのも、世間的に認められている。

 届出を出すことで、正式な仇討ちとするのだろう。
 沈んでしまった虎眼流を復活させるには仇討ちしかない。
 ただ、虎眼流には次期党首がいない。
 娘の三重が首領となって、藤木と牛股師範が女人の三重に助太刀するのだろうか。

 いずれにしても無残の第二幕が開けようとしている。
 ついに腕が落ち、足が裂ける時が近い。
 でも、その前に伊良子清玄の過去話を二回ぐらいやって話を引っぱりそうだなー。

 虎眼先生が出てこないのが、こんなに寂しいなんて。
 今回の回想で、虎眼先生は道場にいなかった。
 藤木が初陣をするころの虎眼先生は、すでに曖昧だったのだろうか?
by とら


2006年6月19日(8号)
シグルイ感想  第35景 討人(うちびと)

 虎眼先生の血を吸った三重の打ち掛けに、人面が浮きあがっているッ!
 怪奇現象とか、怨霊なんて生易しいものじゃなくて、虎眼先生が物理的に復活しそうな迫力だ。

 この服を着ちゃった日にゃ、虎眼先生が抱きついてくるような強さで体に巻きついて、全身ポッキポキになるだろう。
 で、腹がさけて臓物(なか)から若返った虎眼先生がでてくる。
 これぞ忍法・虎眼転生なり。

 前回ラストの「仇討願」は三重が書いたものだった。
 女人の身でありながら親の仇を討とうとする。天晴れな心意気だ。さすが武人の娘である。
 見かたを変えれば、親子そろって いかれちまってる。 パキィ(※ 虎拳)


『仇討願書を受け取った掛川藩目付 柳沢頼母(よりも)は』
『ただちに藤木源之助を召喚した』


 願書を出すとは、入試に似てそうろう。
 仇討ち確率のランキングをみて、願書を出すかどうか決めるのであろうか。
 否、利で行動を決めるは武士にあらず。正気にて大業はならん! パキィ(※ 虎拳)


 失礼いたしました。

 目付は藩士を監察する役割である。
 虎眼道場はしょっちゅう道場破りを伊達にして道に放りだしていたはずだ。
 目付とは事後処理で話をする機会も多かろう。
「のう、最近の虎眼道場は、ちと張り切りすぎではござらぬか」
「手加減するは、相手の剣士にとって失礼でござる。剣の面目がたちませぬ!」
 きっと、こんな感じだ。あんまり文句を言うと 抜き打ちがきます。
 掛川藩では胃の薬がよく売れるにちがいない。

 藤木は大刀を渡して登城する。
 安袴がとっても寂しい住みこみの貧乏侍であった。
 岩本家の推定 元年収は8100万円以上なんだから、もうちょっとイイ服を用意してあげようよ。

「しかるに岩本家は藤木源之助…
 其方(そち)を跡目にする旨 すでに虎眼より届け入れられておる!」


 後継者がちゃんといるんだから、仇討ちなんかするな。という事らしい。
 裏の事情を考えると、相手の伊良子が徳川忠長に召抱えられているのもマズいのだろう。
 将軍家のお抱え者に手を出すのはためらわれる。

 藤木は自分が跡目になっていたことを、はじめて知った。
 普段はツボを頭に叩きつけるような先生だが、好意をかくしているだけだったのだ。
 なんか、虎眼先生がメチャメチャいい人になっている!

 まるでクラス一の暴れん坊が毎日牛乳を持って帰るので、後をつけたら箱の中でぎっしりとノラネコを飼っていたの図みたいだ。
 これぞ、インターネット殺人事件さんが指摘していた「「そして何より恐るべき点は、これまたものすごい勢いで虎眼先生が美化されはじめたことであります。」事件である。

 虎眼先生が藤木を認めたのは、伊良子仕置きで例のつかみを見せたときだろう。
 「シグルイ 3巻」十二景で、藤木のつかみに対し虎眼先生が反応している。
 虎眼先生がとっても いい人だと知らなかった当時は藤木の心配をしたものだ。
「ぬしは、それで儂に並んだつもりか!」
 と虎眼先生が叫んで、藤木の左腕がふっとぶ悪夢を見てなんど目覚めたことか。
 だって、つじつま合うし。


 藩のえらい人はよってたかって藤木をせめる。
 その中に次期武芸師範役 候補の生野陣内がいた。
 虎眼存命中は怖くて口も手も出さなかったのだろう。
 しかし、今はちがう。

「当道者に討たれた岩本様が」
「果たして家中一の使い手であったかどうか…」


 藤木が抜き打った。生野陣内、即死!
 セリフの最後が「…」だから、しゃべりきる前だろう。
 師を侮辱 → 斬る
 脳髄で考えて斬っていない、脊髄の反射で斬っている速度だ。
 反射で抜き打ちできるようにならないと一流の虎眼流ではない。

『この報告を受けた掛川藩家老 孕石備前守は』
「虎眼流錆びてはおらぬようだな……」
『一言洩らすのみであった』


 孕石の右目に斬られたあとがある。
 虎眼流とは因縁が深いのであろう。
 なれていると言うか、あきらめすら入っているような感じだ。

 常識的に言って城内で抜刀してはいけない。したら、切腹だ。
 しかし、自分や師を不当に罵倒されたら、言い返すことが必要だ。
 反論できないと、根性なしって事で士道不覚悟になる。
 山本博文『『葉隠』の武士道 誤解された「死狂ひ」の思想』によれば、「城内でなければ斬って捨てるものを」と言い返したのが好例と葉隠にあるらしい。
 ちょっと、セコい。

 しかし、藤木はごまかしが効かぬ男である。
 考えるより先に斬っちゃう。城内であっても斬りすてちゃう。
 口先だけの男ではない。本物の曲者(くせもの)なのだ。
 そして、戦国の気風がのこる江戸初期では、武士に曲者を期待していた。
 戦場で活躍するのは命知らずの曲者である。
 藤木の行動は法を超えたところで合格なのかもしれない。

 また、武士の場合、大刀は渡しても脇差を持つことが許される場面がおおい。
 「花の慶次」も秀吉暗殺計画は脇差だった。
 今回の藤木もそうだ。
 「範馬刃牙」で素手によるテロを完成させたJ・ゲバルのように、虎眼流は脇差による斬撃を完成させた恐怖のテロ集団になりうるのだ。
 おまけに素手でも強い。

 変に処罰して、虎眼流が集団テロリストになったら、ものすごくこまる。
 命がけでこまってしまう。
 だから軽めの処分で妥協したと思われる。


 一方、伊良子清玄は滞在先の駿府藩剣術師範 岡倉三巌の妻・蜜に風呂の世話をうけていた。
 せっかくのサービスシーンである。
 失明する前の伊良子ならば、タダでは済まさない。
 しかし、現在の伊良子は藤木のことばかりを考えていた。
 なんか急に夢枕獏作品になってしまったような感じだ。

 伊良子の脳内設定では藤木に負けていない。
 仕置きのときは だまし討ちで負傷して、周囲を門弟に囲まれた不利な状況で戦ったのだ。
 負けのうちに入らないと計算しているらしい。

 だが、ふんどし姿で貝殻をもつ藤木という記憶が伊良子に屈辱感をもたらせる。
 背後にいる山崎九郎右衛門と丸子彦兵衛もなんか意味あるのだろうか?
 とにかく、伊良子と藤木のあいだにはナニかあったらしい。
 虎眼流が抱える因縁の闘いが、ふたたび始まろうとしている。

 それにしても、使わないんだったら、チンポを山崎九郎右衛門に焼いてもらえばよかったのに。
by とら


2006年7月19日(9号)
シグルイ感想  第35景 同胞(はらから)

 若き虎眼流の剣士たちは袋井宿遠州灘にきている。水練だった。(参考
 船上には牛股権左衛門を先頭に、藤木源之助・伊良子清玄・丸子彦兵衛・山崎九郎右衛門がつづく。
 なんで牛股師範は"かじき"をかついでいるのだ。
 本物のカジキかサメでも倒すつもりだろうか?
 無双許し虎参りのついでかもしれない。

 藤木はなぜか鎧姿で、伊良子はかっこつけて船べりに手をかけている。
 そして、丸子は舟をこいで肉体労働だ。
 九郎右衛門だけが泳いでいる。
 これって、なんの罰ゲームですか?

 むしろ、九郎右衛門だけ水練の修行だろうか。
 なにしろ、「見つかれば一発退場の変態性癖」という名の獣を心に飼っている男だ。
 精神修練がだれよりも必要だ。
 虎眼流の麒麟児・近藤涼之介が入門し、九郎右衛門の内なる獣がさらに育つのはしばし後のことであろう。

 ちなみに、時期は『虎眼に裂かれた牛股の口の傷が』『まだ新しい頃である』
 舟木道場のぬふぅ兄弟を倒し、生皮はぎとった後ぐらいだ。
 人を斬った後では、夜うなされたり 剣の気迫がかわる可能性が高い。
 作家・隆慶一郎も人を一人斬れば初段相当といっていた。
 下手人である藤木と伊良子は、犯行をごまかすため水練を理由に掛川から離れたのかもしれない。

 残った宗像進八郎は、元侠客のつてを使いニセ情報を流し、学のありそうな興津三十郎が事務手続きをする。
 完璧な布陣だ。
 虎眼先生が指示を出したのだろうか。
 弟子の動揺まで計算にいれた細やかな心づかいである。
 さすが、御仏のような慈悲をもつ虎眼先生だ(最近、ダマされています)。
 もっとも、仏は顔の皮はぎとって来いなどと言わないだろうけど。


『虎眼流"水鎧"は』
『水圧と息苦しさの中 手探りで鎧を脱ぐ』
『訓練の目的はいかなる状況でも平常心を保つことにあり
 虎子たちの稽古の中では安全な部類に入る』


 つまり鎧を着けている藤木が水鎧の稽古をする。
 なんとなく、「スマキにして東京湾にしずめる」という連想をしてしまう鍛錬だ。
 …………これが安全な部類なのか?

 二十二景(シグルイ 6巻)に登場した二輪は、もっともキケンな稽古の一つだと言われている。
 互いに死ぬ覚悟と準備をして、無事に終了すると涙した。
 雰囲気的に、死亡率 80%ぐらいだろうか。
 10回やると、16人ぐらいが輪切りになる(2人プレイなので)。

 "水鎧"は、たぶん死亡例が少ないのだろう。
 虎眼流が慶長六年ごろから道場を開き毎年一回"水鎧"を行ったとする。
 寛永元年までの二十三年で死者二名だとしても、死亡率は10%以下だ。
 内弟子五人が死んでも普通に月見をやる虎眼流なので、二名の死者など数に入らないんだろうな。(参考:シグルイ年表


 今回は事故がおきた。
『南蛮胴の緒の結び目が』
『鬼の如き指の力で絞めつけられていて解けない』


 消去法で犯人は牛股師範になっちゃうんですけど。
 藤木より指の力が強いと断言できるのは、牛股師範しかいない。
 技ならともかく、指の力は伊良子より藤木のほうが強いだろう。

 ただ、ヒモは水を吸うとほどきにくくなる。
 ほどけない海パンのヒモと、たまらぬ尿意にはさまれて地獄をみた経験を持つ方も多かろう。
 そんな時は、逆に考えるんだ「海パンだから濡れても平気」と考えるんだ。

 話をもどす。
 意外にも藤木を助けたのは伊良子であった。
 ただ、準備よく小柄らしき小刀を用意している。
 伊良子だけが、藤木の身にナニが起きたのか、知っている感じだ。
 すべて伊良子の計画だろうか?
 技だけではなく、人格においても優れているとアピールしたかったのかもしれない。


 その後、虎眼流剣士たちは海亀の産卵を見学する。
 感動的なシーンだけに、にあわん。
 皆さん、けっこうロマンチストだとは思う。なにかに命をかけたりする行動は、現実主義者の行動ではなく、ロマンチストのものだ。
 けど、本当に情緒的なことをやられると似合わない。
 なにしろ、ネコに牛乳をあげるよりも、輪切りにするほうがにあう男たちである。
 伊良子まで感動しているっぽい。むむぅ。

 でも、山崎九郎右衛門だけは、海亀の卵に食欲を感じていそうだ。
 九郎右衛門の眼球を好んで食す嗜好は、このとき生まれたのか?
 球形のものを見ると口に入れたくなるのかもしれない。


 伊良子清玄は牛股師範のいった「同胞(はらから)という言葉をかみしめていた。
 生まれついての侍というだけで威張っているクズどもと、虎眼流剣士はちがう。
 おのれの肉体を鍛えて、武士になろうとしている。伊良子清玄と同じなのだ。
 伊良子は藤木に友情を感じていたのかもしれない。

「藤木源之助は生まれついての士(さむらい)にござる」

 身分ではなく、心は士(さむらい)というつもりだったのだろう。
 しかし、伊良子は誤解したようだ。
 好意を持ちはじめていただけに、憎さ百倍である。ツンデレが逆転して、デレツンだ。
 伊良子が藤木にいだく、本気の殺意はこの時に生まれたのだろう。

 これで、和解への道は断たれた。あとは命をかけて闘うしかない。
 決着の場は、掛川に設けられた仇討場へうつるッ!
 よいよ、鍛え抜かれた二人の剣士に更なる痛みがふりかかろうとしている。

 って、牛股師範はどうするの?
 毒はちゃんとぬけたのだろうか?
by とら


2006年8月19日(10号)
シグルイ感想  第三十七景 封じ手

 三重の悪夢による藤木源之助 vs. 伊良子清玄のシミュレートがはじまる。
 虎眼流の"流れ"をとる藤木に対して、伊良子は無明逆流れの構えだ。
 流れ vs. 無明逆流れは、山崎九郎右衛門と伊良子ですでに実現している。(シグルイ 4巻 十八景)
 無明逆流れは、『速度 間合 共に「流れ」を凌駕する斬撃』なのだ。

 結果はフェイス・オープンだ!
 藤木の顔が真っ二つ。まさに虎眼先生の惨劇を再現している。
 大脳がうどん玉のように こぼれ落ちないのが、最期の良心だろうか。
 三重の悪夢だけに、思い出したくもない無残な記憶が浮かびあがったと思われる。

 なお、藤木が「流れ星」ではなく「流れ」を使っていたのは、三重に「流れ星」の知識が無いからだろう。
 さすがに虎眼流の究極奥義は娘にも教えていないらしい。

 構図的に虎眼先生=藤木だ。
 これは藤木に対する信頼感をあらわしているのだろうか?
 三重は、ファザコンからはかなり遠い存在だ。
 むしろ、自分を拘束する存在としての虎眼先生=藤木なのかもしれない。
 けっきょく結婚相手すら自分の思い通りにならないのだし。
 岩本虎眼の呪縛から解放されたいと、ひそかに思っているのだろうか。

 そして、三重は両方の乳房を伊良子に引き裂かれる死に様を夢で見る。
 これもある意味エロ妄想なんでしょうか?
 いくが虎眼先生にされた仕打ちを三重も知っているのなら、同じ(か、それ以上)の事をされると恐れていそうだ。
 伊良子が復讐の闇討ちを続けていれば、牛股師範は乳首をそがれた状態のさらし首(さらし乳首)になっていたのだろう。
 よくワカらんが、なんか武士的に屈辱の極みって感じだ。


 三重さんが純潔を保っていたのは、当然のように虎眼先生のおかげだった。
 夜這いに行ったら、真っ二つだ。あるいは、三つかそれ以上に斬り別けられる。
 成功しても、失敗しても、肉塊に変身だ。
 なにしろ超一流の剣客だから、あやしげな気配があれば確かめる前に斬る。
 事後に、斬ったものがなんなのか、検分するのが虎眼流だ。
 確認は門弟が行います。

『虎眼邸流内で死体が発見された場合』『その犯人として最初に疑うべきは外部の者ではない』シグルイ 4巻 十七景)
 牛股師範の行動がマニュアル化した背景には、多数の経験があるのだろう。
 虎眼邸ちかくにある桜の木の下には多数の死体が埋まっているにちがいない。
 牛股師範が検死を得意としているには、それなりの理由があるのだ。
 習うより、慣れろ。

 唯一生きたまま三重の部屋にやってきたのは藤木だけだった。
 しかし、藤木は36景で入手した貝殻を置くだけで帰っていく。
 殺気(性欲)がないから無敵の虎眼センサーに引っかからなかったのだろうか。
 藤木がヘタレというワケではなく、忠義の心ですな。
 フンドシ一丁で入ってきた理由は定かじゃないが。


 三重は藤木を「様」づけで呼び、家老の孕石から夫婦の確約をもらえていると伝える。
 冷静な藤木も目が輝く。
 しかし、笑わない。
 伊良子との勝負では笑ったのに、三重と結婚では笑いません。
 ひょっとして優先順位が、伊良子 > 三重 なのか?
 剣に生きる人間は、武骨じゃのう。


 で、伊良子との決戦に向けて藤木と牛股師範が特訓中だ。
 方法は、牛股師範を逆さ吊りにする!
 逆流れの特徴である下段からの斬り上げをシミュレートしているのだ。
 考えは理解できるが、シュールな絵だ。

 牛股師範の口から血が出ているんですけど、大丈夫なんですか?
 逆さ吊りは、重力で頭に集まった血が脳の毛細血管を圧迫して死にいたるとカムイ伝で書いていた。
 ことの真偽はともかく、毒で死にかけていた人を逆さ吊りにしたら健康に悪いことぐらいワカる。
 決戦前に牛股師範が倒れないか、心配だ。

[脇差にて下段斬りを封じると同時に]
[清玄の首があるべき位置に大刀が伸びている]


 股間を守りつつ、伊良子の首を狙う。
 攻防一体の二刀流が勝利の鍵だ!
 虎眼流の技は片手で行うものが多い。28景で虎眼先生も二刀流を使っていた。
 もともと虎眼流には、二刀をつかう型があるのかもしれない。

 今までの虎眼流は、作戦を考えるときに「相手より速く」「相手より遠くへ」としか考えていなかった。
 つまり、力技で相手をねじふせる。
 作戦は常に「ガンガンいこうぜ」で正面突破だ。
 だが、ついに正面突破以外の作戦をあみだしたのだ。

 敵より先に攻撃すれば防御はいらぬ的な虎眼流も、ついにガードをおぼえた。
 でも、ちょっと虎眼流らしさが消えた感じだ。
 防御ってのは、相手の攻撃を前提にしているのだ。つまり受身の戦法である。
 やや積極性を失っているかもしれない。
 この作戦は吉と出るのか、凶と出るのか?

 そして、牛股師範の毛細血管が心配だ。
 でも、口から出血しているので、よけいな圧力は外に逃げているのかもしれない。
by とら

2006年9月19日(11号)
シグルイ感想  第三十八景 敵討(あだうち)

 ついに血戦の当日だ!
 予定では死者一名、負傷者二名になる。あとは、どういう流れで無残が発生するかが問題だ。
 のこった虎眼流の門弟たちに見守られながら、若先生(藤木源之助)は出陣する。
 うしろに従うのは牛股師範と三重の両名であった。

 牛股師範が最後尾と、すごく地味なポジションにいる。たぶん、三人の中でイチバン強いのに。
 まだ毒が抜けきっていないんでしょうか。
 やっぱり、虎眼流の正式な跡目である藤木に見せ場を与えているのだろう。
 虎眼先生に口を斬られても文句一つ言わなかった牛股師範らしい細やかな配慮だ。
 文句を言わなかったのは、斬られたから発音できない状態だったのかもしれないけど。

 駕籠にも馬にものらずに藤木たち三人は仇討場へ向かう。
 身分ある侍は正式な外出時には(家に仕えている)供を荷物もちとして連れて行くらしい。(参考:山本博文『図解 武士道のことが面白いほどわかる本』)  お供がいないのは、虎眼流としての理由なのだろう。
 牛股師範が荷物持ちだというオチは却下する。

 見物客の中に藤木の実兄がいて、声をかけるのだが、藤木は無視する。
 貧農の三男・源之助はすでに死んでいるのだ。
 一度死んだ男・藤木は本日二度目の死をむかえるのか、否か!?
 ところで、牛股師範の関係者はどうした?
 原作だと牛股師範に奥さんがいる。漫画版にもいるのだろう。
 顔を出して声をかけてもイイと思うのだが。

 そして、血戦の場にッ!?
 伊良子はすでに到着しており、藤木たち一行の様子を観察している。
 ボクシングでは後から入場するのがチャンピオンだ。
 とりあえず戦闘前の格付けは藤木のほうが上らしい。


 藤木は鎖帷子などの防具をつけていない。伊良子は用心深く いくに確認させる。
 鎖帷子ごと刀で斬るというのは非情に難しい。
 舟木のぬふぅ兄弟は空中兜割りを完成させていたが、あれは実戦ではない。
 やはり、実戦で成功させるのは難しいと思われる。
 ちなみに鎖帷子の下には衝撃吸収などを兼ねた厚手の服を着ることが多いので、鉄棒で殴ってもダメージは少ない。

 伊良子は冷静に藤木攻略を考えている。
 もっとも無残な死をあたえようと考えているっぽい。


 一般の見物人は気楽なもので、侍同士の死闘を楽しみにしている。
 実際、決闘・仇討だけじゃなくて、切腹も一大イベントとして盛り上がるらしい。(参考:山本博文『殉死の構造』)
 江戸時代は、娯楽のセンスが現代と ちょっと(かなり?)違うらしい。

 見学人には家老・孕石備前守の三男・雪千代もいた。
 座っていても周囲の人間より頭一つデカい。まさに偉丈夫だ。
 そして、すさまじいまでの斬られ顔をしている。
 まさに四つか八つにコマ斬れされそうな感じの相をした美形だ。
 おそくとも2007年中に臓物をまきちらして死ぬと思われる。

『孕石家の下女三名を妊娠させたのが十三の時という逸話を持つ』

 このムダに豪快なエピソードがダメ押しだ。
 虎眼先生が存命であれば、次のページで惨殺されている。
 もちろん、見開きでバランバランだ。
 雪千代の内臓鑑賞は仇討ち編が終了した後のお楽しみですね。

 ところで、雪千代という名前はあきらかに幼名だ。
 月代(さかやき。頭のてっぺんを剃る武士の髪型。参考)も剃っていないので、働いていないと思われる。
 虎眼流の内弟子たちは藤木と涼以外は月代を剃っている。実は働いているのだろう。
 興津三十郎あたりは普通にお城でソロバンはじいていそうなイメージがあるんだけど、実際どうだったのだろうか。
 逆に山崎"ちゅぱ"九郎右衛門は、城勤めができていたのかどうかアヤシイなぁ。

 藤木が月代を剃っていないのは、今のところ剣の道に集中しているためだろう。
 城勤めになったら剃ることになると思われる。
 また、貧農の子供で、武士の養子という立場が就職口を減らしているのかもしれない。


 それはともかく、試合がはじまった。
 藤木は練習どおりに左手で小刀をいつでも抜けるようにかまえている。
 たぶん、下段の防御は完璧だ。

 だが、伊良子の刀は下段にむかう途中でハネ上がり、上段の構えで止まった。
 体に防具をつけていないことが、逆に下半身の守備強化を物語っていると考えたのだろうか?
 いきなり想定外の構えをとられてややピンチ気味の藤木であった。
 次回へつづく。

 逆転の秘策としては、逆立ちをすれば下段の攻撃と同じになる。
 特訓時に牛股師範がやっていた姿が伏線だった。
 逆立ちで対応するのだッ!
 って、逆立ちすると手が使えないので、たぶん負けます。


2006年10月19日(12号)
シグルイ感想  第三十九景 土壇場

 土壇場とは『首切りの刑を行うために築いた土の壇』のことだ。
 上段に高く構えた伊良子清玄の姿は、まさに科人(とがにん)を断罪する首斬り役人である。
 しかし、対する藤木源之助の表情に曇りはない。

 孕石雪千代も藤木をほれぼれと見ている。
 もしかして、雪千代って男もイケる口なのか?
 こやつもシグルイ住人である。
 右の睾丸は男用、左は女用と使い分けているのかもしれない。恐ろしい男よ。
 死亡フラグがちょっと下がりました。

 伊良子が殺気を飛ばす。
 剣の熟練者には藤木が斬られたと見えるような殺気だった。
 雪千代もちゃんと見えている。実は剣の熟練者だったらしい。
 一見、雪千代の死亡率が下がった気がするけど、戦いに参加できる能力を持ったことは罠にはまったも同然だ。
 刀に手をかけたときが、死ぬときだ。

 伊良子の挑発に対し、藤木が刀をかつぐ。
 見学に来ていた舟木一伝斎が頓狂な声をあげた。
 さすが、体験者はリアクションが一味ちがう。
 なおつきそっているのは、娘の千加であろうか。
 千加の活躍(?)は四番勝負「がま剣法」で見ることができる。
 それって、何年後だ?


 だが、今日の藤木は刀を担ぐだけではなかった。
 さらに体をひねる。
 完全に相手に背をむけ、後頭部をさらした状態だ。
 これは究極のひねりが加わった、トルネード流れだろうか?

『虎眼流"紐鏡"』
『紐(ひも)は氷面(ひも)である』


 藤木はこっそり刀にうつる伊良子の姿を見ていたのだ。
 けっこうセコい虎眼流であった。
 だが、命がかかった場面でセコいとかカッコ悪いとかいう場合ではない。
 勝利のためなら、どんな小さなことでもなりふり構わない虎眼流に、勝利への狂気を感じる。

 観客のざわめきに伊良子の聴覚が乱された瞬間、藤木が飛ぶ!
 左回転の流れではなく、右回転だ。
 飛猿 横流れッ!
 地面すれすれを刀が走る。

 伊良子はとっさに『片手念仏鎬受け』でガードした。
 藤木の剛剣を止める、唯一の手段だったらしい。
 激しい戦闘という意味で「鎬を削る」という慣用句がある。
 剣術の流派によっては、鎬で斬撃を受けたりはじいたりして防御するのだ。

 高橋華王『武道の科学』、 田口武一『刃物はなぜ切れるか』などによれば、鎬の役割は二つある。
 一つ目が、刀の強度を上げるため。
 もう一つが、斬った物が刀身にはりつかないようにする機能だ。
 鎬ではりついているモノを浮かせて、はがしやすくするらしい。
 穴あき包丁でキュウリを切ってもはりつかないのと理屈は同じらしい。
 ただ、肉と野菜をいっしょにするのは、どうかと思う。
 こういう説が出ているってことは、鎬がなんのために有るのか、よくワカっていないのだろう。

 なんにしても、伊良子は鎬を利用した技で助かった。それで十分だ。
 しかし、藤木は刀を止めただけで安心できるような男じゃない。
 藤木は鍔迫りで、まいったを言わせることなく、伊良子を地面に押しつける。
 二人がはじめて試合をしたときも、鍔迫りの攻防があった。
 今回は藤木有利の展開で、試合が進んでいる。藤木の逆襲が現在進行形ではじまっている。

 だが、この後に悲劇が起きたことをシグルイ第一景は物語っている。
 伊良子はいかなる秘策で、この死地を脱することができるのか!?
 次回へつづく。
by とら


2006年11月18日(1号)
シグルイ感想  第四十景 土雷(つちらい)

 参ったを言わせてくれぬ藤木得意の"鍔迫り"だッ!
 刀を押しつけつつ、ヒザで伊良子の体を圧迫する。
 伊良子にとって二重に苦しい状況だ。

「若先生が勝ちまする!」

 大坪が声を上げた。
 藤木はすっかり若先生で定着しているようだ。
 牛股師範も「源…」と言いかけながら、若先生と言いなおしている。
 伊良子のように「若先生」を強要しなくても呼ばれているのは、人望の差だろうか。

 汚いマネをすることなく、堂々とした勝ちっぷりだ。
 牛股師範も大満足である。
 笑顔で横顔をみせる牛股師範がえらい男前で、惚れてしまうかと思った。

 だが、三重さまは呆けていたッ!
 たれてる。ヨダレたれてるよッッッ。激ヤバだ。
 白無垢きて血の池で三つ指つきそうな雰囲気がある。

[見てはいけないものを見たと思い]
[牛股が視線を戻すと]


 牛股師範すらが視線をそらすほどの狂気が三重についていた。
 ショックのせいか、せっかく男前になった顔が武骨に戻っている。
 むしろ、虎眼先生に正対しているときの表情に近い。
 三重さまは女子ではあるが虎眼先生の一子だ。今は曖昧だけど、いずれ覚醒する時がくるだろう。

 牛股師範が背後の怪異に気をとられているスキにえらい事が起きていた。

[清玄の脚が大蛇のごとく源之助にからみ]
[口と鼻を塞いでいる]


 さすが寝業師・伊良子清玄だ。
 体のやわらかさを利用して相手に絡みついている。
 近代格闘技においても難攻不落といわれているマウントポジションに足技で対抗するとはッ!

 これって、あさりよしとお細腕三畳紀』にも、こんな返しかたする人がいたよな。
 ちなみに、『細腕三畳紀』のプロレス話は餓狼伝のパロディーだ。たぶん。

 伊良子の足が藤木の呼吸器をおおう。
 呼吸できない状況の鍛錬を虎眼流"水鎧"でおこなっていたためか、藤木はあまり動じていない。(シグルイ 七巻 三十六景
 だが、伊良子は攻撃手段を変更した。
 足指で藤木の眉間を突き刺す。
 こやつ、足指まで鍛えておるのかッ!?

 目を狙われなかったのは幸運である。
 もしかすると、伊良子が狙わなかったのかもしれないが。
 伊良子としては、自分のほうが力量が上だと証明して勝ちたいはずだ。
 あまり卑劣な手は使いたくないにちがいない。


 藤木がゆるんだスキに、伊良子は逆転してマウントポジションをとる。
 速攻で殺す気の伊良子だったが、藤木にも策があった。
 組み伏せられた状態からの脱出技、虎眼流"土雷"だッ!

["土雷"は組み伏せられた状態から 踏み込みと全身の"反り"を用いて]
[瞬時に拳を内臓にめり込ませる柔の技だが]
[源之助はこれを柄頭にて行ったのである]


 マウントポジションを取られたときはブリッジをして相手のバランスを崩し、顔面を相手から遠ざけるのが重要だ。
 それを発展させて打撃を打ち込む技にしたのが土雷らしい。
 近代格闘技を上回る虎眼流である。

 しかも、「腹部に打ち込む」ではなく「内臓にめり込ませる」打撃だ。
 攻撃力が高いとか低いという問題ではなく、攻撃力が異常というべきか。
 腹筋の壁とか関係なしに、腸に拳がめり込む。
 しょっちゅう臓物をブチまけている虎眼流だからこそ、内臓に的確なダメージを与えられるのだろう。

 ブリッジをすると、相手も浮き上がるわけだから、拳に対する相対速度は落ちる。
 右手で殴る前に相手を左手で押しているようなものだ。
 だから打撃力自体は低いのだろう。ただ腰の力がスゴイので相手を飛ばせるのかもしれない。
 餓狼伝で、姫川がやっていた腰飛ばしの技は虎眼流"土雷"だったのだろうか。餓狼伝13巻 105話


 吹っ飛ぶ伊良子にトドメをさす好機であったが、家老・孕石を巻き込むことをさけて藤木は動かない。
 惜しい。実に惜しい。
 虎眼流の破壊力だと巻きこまれたら、即死だ。デジタルに生か死になる。虎眼流は中途半端を許さん。
 刀の間合いを調節できる虎眼流であっても、万が一を考えたら、攻撃できない。

「参れ清玄」
「臆したか」


 藤木が声をかける。
 盲目の伊良子だから、飛ばされた後は位置や方向がワカらないのだろう。
 声をかけたのは、伊良子を孕石から遠ざける狙いもあるだろうが、対等に戦いたいとの思いもありそうだ。
 そして、いまだに「清玄」と名前で呼ぶ藤木であった。
 好敵手に対する親愛の情ものこっているらしい。

 藤木を強敵をみなした伊良子は、必殺のかまえをとる。
 右手の人差し指と中指で柄をつかみ、左手は刀身をつかむ。
 そう、この構えこそ虎眼流の最大奥義「流れ星」だ!
 まさか、伊良子が流れ星を使うのか!?
 驚愕の展開で、次回へつづく。


 虎眼流の秘奥義を衆目の中で使って、技バレしてしまおうという意図も伊良子にはありそうだ。
 地味にひどいことをする。
 門下生に目隠しを着用させてまで守った必殺技なのに。

 そして、恐怖の記憶がよみがえって動揺する舟木一伝斎であった。
 また"がま剣法"屈木頑之助も試合を見守っている。
 これは、今後も『駿河城御前試合』シリーズをつづけていくというメッセージだろうか。
 コミックでも五巻からシグルイ・シリーズという表記になっている。(五巻修正点チェック

 藤木も対抗して、流れ星同士が真っ向からぶつかったりするのだろうか?
 で、伊良子はいつ「無明逆流れ」を出すんだ?
 もったいぶりすぎ。
by とら


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