曹操(そうそう)は頓丘(とんきゅう)県の令(長官)を辞任し、実家に帰っていた。
はじめて行った行政だったが、けっこう上手くやれたと思っているだろう。
ここで、自分の経験と書物の理論を照らしあわせてみる気なのかもしれない。
経験+知識=智慧だ。
また来るべき乱世にむけて、兵法書を読みなおしているのかも。
狩をしたり勉強をしたりと、充実した自分磨きをする曹操だった。
セレブです。優雅な生活だな。
だが、悲しい事件もおきた。
曹操の才を誰よりも早く認めてくれた、祖父の曹騰(そうとう)が亡くなったのだ。
宦官であり、財産を築いた曹騰だが人格は高く評価されており悼む人も多い。
それにしても、でかい屋敷だな。
お墓ではないと思うけど。
曹家の繁栄っぷりがよくわかります。
まあ、この時代の豪族・名族のすごい人は、数万の人間を配下にしている。
曹騰は、まだ慎ましいほうなのかもしれない。
葬式ということで、夏侯惇(かこうとん)、曹仁(そうじん)、夏侯淵(かこうえん)、曹洪(そうこう)の四天王も集まった。
親戚ではあるのだが、四天王たちも曹操の心のうちが理解しきれないらしい。
曹騰の後ろ盾は、曹操にとってありがたかったのだろう。
ところで、曹仁がとうとつにハゲましたね。
見事にツルッツルだ。
この十数年で曹仁の毛根に何があったのだろう。
→
年月って、残酷だね。
まるで別人だ。
元のパーツがほとんど、どこにも無い。
曹操は婚約者である丁美湖(ていみこ)と正式に結婚することとなる。
それにしても、この丁美湖はすさまじきツンデレだ。
昔から、中国で男を破滅させるのはツンデレ女と相場が決まっている。(参考)
曹操も気をつけろ!
また、曹操は葬式の余興をしていた歌妓の卞玲瓏(べんれいろう)にもひかれる。
ちなみに、真ん中の画像で卞玲瓏の後ろにある人の形をしたものは曹騰の亡骸だ。
曹騰(もしくは、曹操の父・曹嵩)の遺体をつつむ銀縷玉衣(ぎんるぎょくい)は、1973年に発掘された。
2008年に開催された大三国志展でも展示されている。
おじいちゃんの前でHする曹操って、人としてどうよ?
と現代人は思ってしまうが、子供をのこすことは重要なのだ。
宦官を訴えようとして逆に殺された陳蕃(ちんばん)だって、親の墓の傍らに住んで墓守を二十年していたが、その間に子供を5人作っている。(三国志の迷宮)
卞玲瓏は曹操に天下取りの野望をたくす。
皇帝を生みたいのだ。
その卞玲瓏が曹操の前に目をつけていた男がいる。
名を董卓(とうたく)という。
いきなり、世紀末覇者っぽい雰囲気を出している男だった。
董卓は西の果てである西涼の太守をしている。
シルクロードの入り口でもある、西涼のあたりは異民族の強兵が多い。
質も量も恐るべき軍隊を董卓は率いている。
侠として民の暮らしを間近に見ている劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)たちはある変化に気がついた。
民が武装し訓練をしておるのだ。
どうも、張角(ちょうかく)が指導者である太平道という新興宗教の信者たちらしい。
太平道が軍事力を集め、なにを狙うのか?
劉備は関羽に張角の真意をさぐるよう頼む。
関羽は頭もいいし、腕もたつ。度胸もあるし、顔も広い。
使者として申し分がない人だ。
ためしに、太平道へ行ってみたら、さっそく知り合いがいた。
関さん、顔 広っ!
関羽は張角と面談する。
張角は天下取りの野心なく、求める声に応じているという。
こいつも劉備とおなじく『袋』の人間なのだろうか?
宗教家だから、なんか浮世離れした言動をしている。
張角は自分の異能力を見せつけるかのように、劉備のことを言い当てたり未来を予言したりする。
関羽が後の世に神となると予言する張角を、関羽は「佞言断つべし」と退けた。
宗教者の問答はイマイチわかりませんよ。
曹操のもとへ ひさしぶりに張奐(ちょうかん)がやってくる。
今後の方針について重大な問題が持ちあがったのだ。
夏侯惇たちは曹操に兵を集めるようすすめていた。
はるか南では、孫堅(そんけん)が2万の兵を集めている。
北には劉表(りゅうひょう)の1万5千、南には袁紹(えんしょう)の1万と袁術(えんじゅつ)の8千だ。
各方面に力を蓄えるライバルが多数いる。
対抗せずに座していると、差が開くばかりだ。
はやく競争に参加しないとマズい。
夏侯惇の意見は、そんな感じだ。
情報をきっちり集めているし、誰に目をつけているかという選択も見事だ。
ただ、周辺の事情しか知らない。
東にある洛陽のさらに東の東で力をたくわえる董卓のことは情報にないのだ。
張奐は、かつての部下である董卓の脅威を伝えにきた。
亶公の護衛で張奐は首都・洛陽にいただろうし、情報も集まってきたのだろう。
力をたくわえた董卓は、いつ首都に攻め上がり天下を狙うかわからない。
董卓以外にも問題がある。
武装化をすすめる太平道も反乱をいつ起こすかわからん。
ならば、曹操もはやく兵を集めろ。と、夏侯惇はつめよる。
「兵に常勢なく 水に常形なし」
「よく敵により変化して勝をとるもの これを神という」
かたわらに控えていた少年が突然発言をした。
孫子の虚実篇『故兵無常勢,水無常形;能因敵變化而取勝,謂之神。』だ。
水に形が無いように、軍(兵)の勢いも一定ではない。敵に対応して変化することが、神妙というのだ。
いま対応すべき敵は、国家を破壊する董卓である。
周囲の動きよりも、主敵の設定こそが重要だ。
戦略でもっとも重要な主敵の設定をとくこの少年は名を荀イク(じゅんいく)と言った。
主敵の設定は政治の問題だ。(名将たちの戦争学)
だから軍人属性の夏侯惇には気がつかない問題だ。
やみくもに兵をあつめるよりも、董卓の野望を未然に止める手段を考えるのが重要である。
『故に上兵は謀を伐つ(そこで軍事力の最高の運用方法は、敵の策謀を未然に打ち破ることである)』(孫子(AA) 謀攻篇)ですな。
曹操の軍師になりたいという荀イクの才にみなが驚愕する。
あらゆる将が欲しがるけどめったに入手できない戦略のできる軍師だ。
曹操の破天荒な活躍っぷりを聞いて参加したくなったのだろうか?
荀イクもまた、常人では使いこなせない破格の人なのだろう。
曹操は荀イクの才を試すように、曹操の頭の中がわかるかと質問する。
荀イクはしばし考え、正解をみちびく。
早いうえに正しい!
「乱をもって乱を制す!」
曹操は、兵をあつめるよりも世を乱すことを考える。
『蒼天已死(蒼天すでに死す)』は、国家はすでに終わっているという意味らしい。
これを各地にばら撒く。
地方の野心家たちは、押さえつけるものがなくなり、暴れだすだろう。
各地の群雄と個別に戦ったら、弱小勢力の曹操は勝てない。
だが、バトルロワイヤルになった場合なら、うまく立ち回ることで勝ち残っていくこともできる。
最弱が最強を倒すには、この作戦しかない。
混戦になれば、董卓の軍勢も戦闘により磨耗するだろう。
曹操の策により、各地は動揺する。
そして、太平道は国家を倒し自分たちの世を作るべく動き出す。革命(天命を革(あらた)める:参考)を起こす気だ。
太平道は、自分たちのシンボルカラーである黄色の頭巾をつけたことから黄巾賊と呼ばれ、彼らの反逆を「黄巾の乱」という。
乱世の英雄になるだろうと言われた曹操が、乱世を生み出した。
ここから、英雄・曹操の戦乱の人生がはじまる!
今回の話は、蒼天航路(文庫版)2巻「その三十五 官能の歌姫」から「その三十九 群龍,目覚める」まででした。
◆ 蒼天雑学 その6
・ 登場人物
曹操(その6)
頓丘(とんきゅう)の令に任じられたあと、中央に呼び戻され義郎に任じられた。(魏書 武帝紀)
古学に明るいという理由だった。(武帝紀・注『魏書』)
曹操は勉強家であり「成長してからよく学問に励む者は、ただわしと袁伯業とだけだ」と言っている。(武帝紀・注『英雄記』)
袁遺(字は伯業)は袁紹の従兄に当たる。
・丁(てい)氏(その1)
昔の日本や中国では、歴史書に女性の名前をのせることが少ない。
そのため、実家の姓で呼ばれることが多い(中国では夫婦別姓)。
丁氏も姓しかわからない。
曹操の正妻である。なかなか気性の激しい人だったようだ。
・卞(べん)氏(その1)
もとは歌妓であったが、二十歳のとき、譙(しょう:曹操の本籍地)にいた曹操は彼女を家に入れて側室とした。
・荀イク(その1)
字は文若(ぶんじゃく)という。名門の出であり、若い頃から評判が良かった。
正史における活躍は永漢元年(189)、二十七歳で孝廉に推挙され、守宮令に任ぜられたところから始まる。
・劉備(その2)
前漢・景帝の子、中山靖王劉勝の後裔である。(蜀書 先主伝)
中山靖王劉勝には子や孫が百二十余人いた。後裔を名乗る人が多数でてもおかしくない。逆にいうと劉備の自称は怪しい。
幼くして父を失ったが、母とともにわらじを売ったりむしろを編んだりして、生計をたてた。(蜀書 先主伝)
ただ、深刻な貧乏ではないようだ。劉備は遊学もしているし、おしゃれ大好き。内職をして家計のたしにしていたのだろう。
・ 黄巾の乱と太平道について(その1)
道教 源流のひとつと言われている。
黄帝と老子を信奉する黄老思想をもっていたようで、「中黄太乙(ちゅうこうたいいつ)」という神を信じていた。
きっと栄養ドリンクはユンケル黄帝液を愛用しているにちがいない。
・参考
Wikipedia:劉勝、道教、老子、黄帝(更新2009/5/15)
光和七年(184)甲子の年。
曹操30歳(数え年)、劉備24歳。雄飛の年だ。
曹操(そうそう)の策略により、黄巾の乱が勃発した。
乱世こそ曹操が英雄として飛躍できる場だ。
世が乱れると、実力がモノを言う。
作中はさらっと流されていますが、党錮の禁が解除されている。
つまり、就職禁止処分となっていた気骨ある士大夫たちが解き放たれたのだ。
いままで いくら上奏しても得られなかった成果である。
狙ってやったとしたら、スゲェぞ。
また、ここで党錮の禁を解いていなかったら、漢王朝は数年後に崩壊していたかもしれない。
緊急事態ということで、三公の上位職である大将軍をたてた。江戸時代なら同じ臨時職の大老ってところですね。
皇帝の正妻である何皇后の兄・何進が任命される。
これで皇帝に集中していた権力がすこし、家臣たちにわけられた。
権力分散の成果だ。
そこに名門出身の袁紹が駆けつける。
引き連れるのは私兵九千だ。
さらに、陳留の黄巾党二万を制圧してきたらしい。
前回、兵数が一万いたらしいから、戦闘で千を失ったのだろうか?
どんな戦巧者でも無傷ってワケには行かない。
倍の敵を倒して、損害一割ならたいしたものだ。
何進は袁紹と協議して、兵力をふりわける。
その間、外の将たちは立ったまま待機だ。
人を見下していると、こういう部分で横暴な態度がもれてしまう。
曹操は兵三千を預けられる。
仲間たちは少なく、私兵は百ほどらしい。
……少ないですね。
一応、家は金持ちなんだが、上級金持ちじゃないのだろう。
三千の兵といっても、練度も士気も低いらしい。
だが、曹操は至弱よりはじめて、至強にいたると豪語するのだ。
曹操は強行軍をすることで訓練とし、三千の兵を二千に絞りこむ。
残った兵には倍の恩賞をはらう。
曹操は戦いながら、精鋭を育てあげるつもりだ。
あずかった兵は国の財産なのだから、理由なく減らしちゃダメだ。
戦場に着いたら、数が減っていることがばれて管理能力に疑問をもたれる。
精鋭を育てるにしても、問題あるんじゃないか?
だが、曹操は私兵を百と言ったところに策略を感じる。
のちの展開を見ると、訓練度の高い私兵と思われる部隊は百より多い。
だから、百ってのは過少申告だろう。
でも、過少申告すると与えられる兵糧が減る。
だから、あずかった兵を減らし、そこに申告していない兵を埋めこみ、数を合わせる気かもしれない。
そうすれば、三千の精鋭兵が誕生する。
曹操は積極的に実戦を経験させる。
同時に敵の情報も探るのだ。
一手打つことで、二つ三つの効果をえる。
稀代の軍略家としての面目躍如だ。
曹操たちが行くのは激戦の地・潁川(えいせん)郡だ。
ここでの責任者は皇甫嵩(こうほすう)である。
黄巾党と対峙しているのに居眠りしていた。ある意味、豪胆な人だ。
曹操の父・曹嵩(そうすう)と同じ名前(嵩)なので、曹操は微妙に親近感があったかもしれない。
皇甫嵩は一見無能そうに見えるが、曹操の実力を見ぬいている。
人を見る目はあるのだ。
さらに、曹操が皆を仕切り、みなが曹操に頼っている現状も流している。
度量の大きい人なのだろう。
自分で手柄をあげなくても、結果さえ出せればいい。
部下の活躍は上司の活躍だ。
曹操は自ら働く人だが、皇甫嵩は部下に働かせる。
なかなか油断できないタヌキ親父だ。
下手をすると、曹操は使いつぶされるかもしれない。
そのころ、劉備たちは地道に人助けをしていた。
この世は、黄巾党の天下だ、ヒャッハー! と暴れる悪党どもを張飛が一撃で解体する。
今日も黒い血の雨が降るぜ。深夜だけど赤色は自主規制だ。
DVD化したら、赤になってて欲しいな。
かつての仲間である侠(きょう)も、守るべき存在である農民も黄巾党になってしまった。
自分たちは、今後どう行動すればいいのか?
知力の低い張飛には吼えることしかできない。
天下を取る(=国をのっとる)つもりの劉備は、国を立て直すという名目で活躍する気だ。
正義の名のもと、大義名分で戦うのが人望を得る近道と判断した。
なので、劉備は義勇軍に参加するつもりだ。
至強の体内に寄生して、内臓を喰らいつくすつもりか!?
ヘタすると、黄巾党よりも危険な劉備たちであった。
黄巾党と戦っている曹操は、敵のパターンに気がついた。
天地人の三段構えで行動している。
まず"人"が体を張って敵の攻撃を止める。
つぎに"地"が敵の動きを制する。
そして、"天"が敵の攻撃をしてトドメを刺す。
防御・拘束・攻撃のパターンだ。
天地人は普通の軍隊では採用できない戦法だ。
なにしろ、ひとり倒すのに1〜2人が倒れる。
すさまじい消耗戦となってしまう。相手より数が多くないと成立しない。
まあ、そこはカルト教団の強みがある。
信者の命をゴミのように捨てて勝利を得るのだ。
こういう常識外の作戦に気がつき対策をとることができる。
常識破りの曹操らしい柔軟な発想だ。
名づけて「捨身飼虎の陣」である。
仏教用語っぽいと思ったら、やっぱり仏教の説法が由来だったらしい。(捨身飼虎)
仏教も、また外来の新興宗教だ。
新興宗教である太平道に、仏教用語をぶつける。曹操なりのユーモアだろうか?
ついでに言うと、大反乱を防ぐために小反乱を起こすという曹操の作戦もユーモアかもしれない。
もし奪わんと欲すれば、まずは与えるべし。というのはシグルイ6巻 30景に出てきた、奥義の秘密だ。
最近知ったんですが、これって『老子』が元ネタなんですね。
「將欲奪之,必固與之(まさにこれを奪わんと欲すれば、必ず固くこれを与えよ)」(老子・36章)
つまり「治めんと欲すれば、まず乱すべし」と言うわけだ。
黄帝と老子の思想を大事にする連中を、老子の策でハメる。曹操流のユーモアですか?
敵のパターンがわかってしまえば、対応もできる。
曹操は敵の"天"を集中的に倒す作戦に出るのだった。
フグを食わんと欲すれば、まず毒を除くべし。
ところで、アニメ版は弩(ど)を使わず、弓矢で戦っている。
日本では弩が普及しなかったので、なじみが薄い。
初心者にもわかりやすくするため、弓矢にかえたのだろうか?
諸将からの信頼と実戦経験を増やす曹操であった。
そこへ、増援部隊がやってくる。
前回、名前だけ出ていた孫堅だ。南方より強兵をひきいてやってきた。
紫色の髪に碧眼をしている異形の将である。
南方よりやってきた孫堅は信義を重んじ、快活に意見を交換し、即断する男だった。
曹操は孫堅に対し、ライバルの気配を感じる。
グレートはグレートを知るのだ。
今は頼もしい味方だが、敵となったら怖い。
曹操と孫堅は互いに意識しあうのだった。
今回の話は、蒼天航路(文庫版)2巻「その四十 ただ今参上!!」から「その四十三 第3の男」まででした。
◆ 蒼天雑学 その7
・ 黄巾の乱と太平道について(その2)
道教系の宗教は不老長寿と、うまく行くなら仙人になることを目指す。
太平道は病を治療する不老長寿のアプローチで民心を集めたようだ。
反乱に宗教的な結びつきが加わると、規模が大きくなりやすい。(中国の大盗賊・完全版)
なお、太平道がスローガンにしていた「蒼天すでに死す 黄天まさに立つ」なのだが、イマイチ意味がわからないらしい。
五行の移り変わりは木→火→土→金→水の順番になる。
相克(弱点攻撃)をする場合は、火→水→土→木→金だ。
太平道が土属性の宗教を自称していたのは問題ない。土の色は黄色で、方位が中央。
信仰する神は中黄太乙だし、黄老思想の道教系だ。
だが、黄は火の赤から移りかわる。
土が弱点攻撃をする場合は、水の黒でないと倒せない。
蒼つまり、青を意味する木属性は土属性にとって相性が悪いのだ。
漢王朝は火属性だと思われていた。名前にサンズイがついているけど、火属性だ。
だから、弱点である水属性を避けて、首都「洛陽」の名前を漢代では「雒陽」としていた。(文帝紀注・魏略 )
火属性の王朝から土属性の王朝に移りかわるのは、自然な流れで問題ない。
なら、なんで「赤天すでに死す 黄天まさに立つ」にしなかったのだろうか?
これに関して、作家の荒俣宏さんが独特の解釈をしている。
ちょっと長いけど、以下に引用します。
『太平道がマジカルな治療だけでなく、予言や占いでも人心をつかんだ事実は、「蒼の世はすぎ黄の世となる。甲子の年こそ天下に大吉が兆す」の一文に明白にあらわれている。こういう政変予言分を讖緯書(しんいしょ)と呼ぶ。中国には古くから多くの予言書や、予言を含んだ流行歌などが、存在してきた。こうした讖緯書を解釈し、予言の意味を説明するのも、道教系の占い師たちだった。
蒼とは、五行思想にある木火土金水(もっかどごんすい)の五元素のうち、木をあらわす。木は樹の性質をもち、春をあらわし、また青色をも意味する。そして漢王朝は木=蒼の性質をもつ王朝としているのである。ところで五行には相性(そうせい)と順序とがあって、木−火−土−金−水の順に循環している。したがって正当な王朝交代は、木の次の火、すなわち火の性質(南、夏)をもつ王朝でなければならない。けれども太平道は土のシンボルである黄色を旗印にした。蒼と黄は順の組み合わせではなく、逆の組み合わせ、つまり「相克」になっている。この相克の逆順は、木−土−水−火−金というふうにひとつ置きになる。革命はこの相克関係が成り立つと成就する。だから、張角たちが漢王朝を力ずくで倒すということは、漢が黄色に対し相性の悪い色、すなわち蒼(=木)の性質をもつ王朝でなければならない。』(読み忘れ三国志)
ちょっと、独創的すぎてトンデモな説明になっていますが。
ヘビ・カエル・ナメクジの三すくみの場合、ヘビが天下を取るには、本来自分の弱点であるナメクジを打倒すべく、カエルをナメクジであると断定して倒す。という感じだろうか。
ちょっと、自分勝手な理屈だよな。
一番シンプルに考えると、「蒼天」ってのは「今の世」をさしていると考えればよさそうだ。
作品のタイトルにある「蒼天」も、「今の世」のことだと考えれば問題なし。……たぶん。
(更新2009/5/22)
曹操(そうそう)と孫堅(そんけん)は黄巾賊の討伐で実力を発揮していく。
だが、二人はまだ皇甫嵩(こうほすう)の部下にすぎない。
どんなに頑張っても、釈迦の掌にいる孫悟空、鵜飼いの鵜だ。
いまだ雌伏の時なのが惜しい。
だから曹操は実戦経験と効率的な調練方法の獲得、そして人材育成と名声獲得を狙っているのだろう。
欲張りすぎじゃねェか?
対する孫堅は、ズバリ金を欲している。
これは曹操よりも早くスタートしたため、部下も経験も名声もあるていど得ているからだろう。
曹操と孫堅は黄巾賊の食糧砦を攻める。
大軍の弱点は食糧(と補給線)にあり。
少人数よりも食の消費が多いので、補給にちょっとでも問題が起きると大ピンチなのだ。
リアル系の戦記物ではたいてい出てくる言葉なので、おぼえておくと通っぽさを演出できます。
守るのは百戦錬磨の張曼成(ちょうまんせい)だ。
ちなみに、脱いでもスゴいぞ。鎧きろよ。
まさに難攻不落の要塞と化している。
曹操と孫堅の上官である厳忠(げんちゅう)は錐行(すいこう)の陣で突撃を狙う。
錐行の陣ってのは中央突破の陣形だ。
攻撃のときは、横一列に並んだ横陣が強いと言われる。全員が攻撃に参加するので、攻撃力が高い。(参考「戦術と指揮」)
反面、横の連携を取るためスピードが出にくい。
また、移動すると陣形が崩れやすく、敵に中央を突破されやすい。
スピードの出ない弱点を改善するのが縦に伸びる縦陣だ。
この陣だと横の連携をとる必要がないので速く動ける。
渋滞学(AA)の理屈にもあっている優れた陣形だ。
反面、先頭の部隊しか戦闘に参加できないので、強い部隊がいないと簡単に粉砕される。
弾丸陣(錐行の陣)は縦陣の改良型でドイツのグーデリアン将軍が考案したらしい。
先頭の隊が突き破った穴を後続が広げるように進む、中央突破の陣形だ。
でも、攻城戦に近い戦いで中央突破を狙うのがおかしいよな。
案の定、厳忠の隊は崩れるのだった。
あ、ところで前回は登場しなかった弩が今回は登場していますね。
拠点防衛用は弩で、移動する歩兵は弓という描写にしているのだろうか?
敵が追い討ちにはやって陣形が乱れたスキを曹操は見逃さない。
混戦の中で、精鋭となった自軍を突撃させる。
『敵の居ないところへ前進し、敵の薄いところを打撃せよ。敵が守っているところを避けて、敵が予期していないところから攻撃せよ』(by 曹操、「名将たちの戦争学」より)
混戦の中で、張カンがいち早く、敵の大将に迫った。
天地人で構成されている黄巾賊システムでいうなら、この大将こそ、天の天だ。
コイツを倒せば、女王を失ったミツバチのごとく、この地の敵はみな倒れるだろう。
さすが、歴戦の勇士・張奐(ちょうかん)だ。
でも、矢が刺さっているッッッ!
やっぱり、刺さっているのがダメだったッッ!
戦っているさいちゅうに、血が吹き出てますよ。
あと、しばらく戦場に出ていなかったブランクも大きかっただろうな。
それに、年も年だし。
ああ、なんか思い返すと負ける要素だらけじゃないか、この人。
無理させすぎました。
一歩おくれて夏侯惇がやってくる。
怒りの一刀だが、張曼成も強いのでなかなか届かない。
だが、張奐が最後に振り絞った一投がきっかけで、夏侯惇は勝利する。
「漢王朝、曹操軍の将・張奐! 張曼成を討ち取ったり!」
夏侯惇は張奐として名乗りを上げ、張奐への手向けとする。
初陣の曹操軍が活躍できたのは歴戦の張奐がいたことも大きいだろう。
張奐を失うことは、頼れるものを失うことだ。
自立への決意でもある。それは頼るべき、王朝からの自立の覚悟も育てるかもしれない。
重要拠点だけあって、黄巾賊の増援は早い。
張奐という支柱を失った曹操は、ここで決定的なダメージを与えておきたいだろう。
敵に兵糧を渡すわけには行かない。
ならば、焼く!
敵も味方も関係なく、すべて業火で焼き尽くす。
曹操は、この苛烈な策を荀イクに出させる。
もちろん自分で思いついていたのだろうけど、未来の軍師を鍛えるのだ。
孫堅はこの策を思いついていたのだろうか?
とにかく、孫堅は煙を見ただけで、その策をさとる。
「三軍は気を奪うべく 将軍は心を奪うべし」
「愛民は煩わさるべきなり」
自身の先祖とする孫子の兵法で曹操の策を解説してくれる。
「七 軍争篇」と「八 九変篇」ですな。
敵を倒す場合、兵の士気をうばい、将軍の冷静な心をうばう。
また、将軍にありがちな危機五種のうちひとつが、部下を愛しすぎることだ。
敵の心を砕き、部下すら見捨てる冷酷さは孫子の推奨する行動である。(参考:「孫子」)
ついでに言えば謀攻篇「ゆえに上兵は謀をうつ、その次は交をうつ。その次は兵をうつ」だ。
「敵の計画を破壊する > 敵の外交を絶つ > 敵兵を討つ」ということらしい。
曹操は敵の食を絶つことで、行動計画を破壊した。
前回、はりきって出陣したのに出番のない劉備・関羽・張飛であった。
原作では活躍したんだけどな。
そういえば、孫子でも「兵は拙速を尊ぶも…」「兵は拙速を聞くも…」 あ、さすがにしつこいですね。
まあ、出遅れるなってことだ。
(お詫び:文中、孫子の引用を間違えていました。読者の方々に大変なご迷惑と誤解を与えまことに申し訳ありません。情報を提供していただいた唯野さんに感謝いたします。2009/6/10修正)
そして、暗君・霊帝が亡くなる。
世界に大いなる傷跡をのこしたまま……
次回、世界の崩壊は止まるのだろうか。
今回の話は、蒼天航路(文庫版)2巻「その四十四 騎兵に退路あり」から3巻「その五十一 崩御」まででした。(極厚蒼天航路だと2巻)
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蒼天航路 1巻 DVD
◆ 蒼天雑学 その8
・ 登場人物
前回は時間が足りず人物編がありませんでした。というワケで二回分の内容となっております。
・曹操(その7)
光和の末(184)、黄巾の乱が起こった。曹操は騎都尉(現代風にいえば県警察のトップぐらい)に任命され、潁川の黄巾賊を討伐した。済南(せいなん)国の相(国は郡とほぼ同等。相は郡の太守(知事)にあたる)に昇進した。
アニメ5話のエピソードは済南国の相だったときのもの。
黄巾の乱が起きて、せっかく世が乱れたのに、のんびり行政やってたらテンポ悪いよね。
・荀イク(その2)
今回の舞台である潁川は荀イクの住んでいた場所だ。
黄巾賊の討伐をした曹操のうわさを聞いていたことは間違いないだろう。
また、地元の人として直接会って助言をしたのかもしれない。
荀イクは容姿端麗な偉丈夫であった。(注『典略』)
禰衡が言った悪口によると、荀イクは風貌だけなので弔問にでも行かせるのが適任。(注『平原禰衡伝』)
陳寿評によると、『すずやかな容貌、道理をわきまえた態度、王佐の風格を備えていた。』
とにかく、すごい美形だったようです。
・劉備(その3)
霊帝の末年、黄巾の乱が起り、州郡はおのおの義兵を挙げた。劉備は仲間をひきつれ校尉の鄒靖(すうせい)に従って黄巾の賊を討伐し、手柄を立て、安喜の尉に任命された。
・孫堅(その1)
字を文台という。おそらく孫武(兵法家の孫子)の子孫なのであろう。
若くして県の役人となった。つまり、地元ではそれなりに名のある家だったようだ。
17歳(満15〜16歳)のとき、父といっしょに船に乗って銭唐(せんとう)に出かけた。
海賊の胡玉(こぎょく)たちが岸辺で略奪物の分配をしていたため、人々は恐れ船が進まない。
孫堅は海賊を討伐しようと、兵士たちを指図して攻めるようすを見せた。
賊は官兵が捕らえに来たと思い、財貨をおいて逃げだす。
孫堅はそれを追いかけ、首を一つ斬ってもどってきた。
以上の記事から孫堅の特質がいくつか推測できる。
・自分の進路を邪魔する相手を許さない気質だ。
・土地カンの無い場所でも、目前の情報でなんとかする。
・相手の気がゆるんでいるスキを見逃さない。
・遠目に見て、大人か子供かわからないほど大きい体つきだった。
・逃げる賊の首を取るなど、足が速い。
体力抜群の暴れん坊という姿が見えてくる。
その後、賊を倒すなどで功績をあげる。
黄巾の乱がおきると中郎将の朱儁(しゅしゅん)に召され、参戦する。
宛の城(まち)では先んじて城壁を乗り越えるなど奮戦し、勝利した。
・皇甫嵩
けっこう名将だったらしいですよ。機会があればそのうちに書きます。多分ないだろうけど。
・ 三国志の軍制について(その1)
この辺はまだまだ勉強不足なのですが、わかる範囲で書きます。
日本の軍制とはけっこう違っているし、三国志の展開にかかわる要素だから重要なのだ。
軍隊は大きくわけると、国(君主)の兵と私兵がある。
国の兵は、国が戸籍管理をしていて、労役として働かせる部隊だ。
兵士専門の戸籍(兵籍という)もあり、その家の子は代々兵士を務める。
こういった兵籍は専門職なんだけど、特別強くない。
おまけに兵士は社会的に低く見られているので、自慢にもならないのだ。
『中国では昔から「よい鉄はクギにならぬ、よい人は兵にならぬ」と言う。』(中国の大盗賊・完全版)
国の兵は、会社における自分のパソコンといった感じだ。
好きにしていい権限はあるけど、勝手をしすぎるなよ。エロ画像とか拾ったりすんな。
また、退社したり部署が変更になったら、パソコンを返さなくちゃいけない。
こういうシステムが中央集権下の軍制だ。
メリットは戸籍管理をしているので、直接呼びかけて兵の大動員ができる。
私兵は文字どおり、武将が一族や地域の人間を集めて作った軍だ。
国の兵と比べてどっちが強いのかわかりにくいが、私兵のほうがやや強い傾向にあると思える。
清代の太平天国をしずめた湘軍は、国の兵が弱かったので結成された私兵的な軍だ。
やはり、指揮官が知り合いだったりしたほうが、士気が上がりやすいのだろう。
軍隊というものはピラミッド型の組織だ。
ひとりの人間が千人や一万人の人間を動かすことはできない。
五人組みの『伍』などを最小単位にして、百人、千人といった部隊を組みたてていく。
ちなみに千人の部隊は『曲』というらしい。
蒼天航路によく出てくる「前曲」といった表現は、前衛千人隊のことだろう。
私兵も同じように、家や個人を最小単位として組みたてていくのだろう。
たとえば李典は賓客数千家を要していたらしい。
ちなみに、こういう私兵の話をするときは、たいてい李典が例に出されます。
盗賊団も土地を似たようなもので、黒山賊の張燕は最大時で百万の人間をかかえていた。
私兵のデメリットは、まず戸籍の把握ができないところにある。
ちゃんと調査しないと実数が把握できない。
だから、戦争になったときに兵力を出し惜しみされる可能性がある。
日本だと江戸時代までは私兵型に近い軍編成をしていた。
各藩はそれぞれ自分たちの兵をかかえていたのだ。
明治維新のころ、外国の列強に負けない軍を作るために、国民を直接管理できる中央集権型の国家が必要とされた。
だから、廃藩置県で地方分権を解体し、中央集権にしたのだ。
中央集権型になった日本は日清戦争・日露戦争で兵の大動員ができるようになっている。
だが、私兵最大のデメリットは、言うことを聞いてくれないところにある。
けっきょく兵に命令を出しているのは、将軍なのだ。
会社に持ち込んだパソコンで仕事をさせているようなもので、こっそり勝手なことをされてもワカりにくい。
また、兵糧などは国もちなので経費もけっこうかかる。(漢代も国が払うという資料を見たことはないんですが、たぶん払っているだろう)
金を払って虎を養い、あげく噛みつかれたのでは泣くに泣けない。
もっとも、国の兵が言うことを聞くのかというと、それもまた……(つづく)
(更新2009/6/1)
中平六年(189)、皇帝・劉宏(霊帝)が崩御する。享年三十四歳だった。
曹操三十五歳、これより先は修羅の日々だ。
新しい皇帝となったのは、霊帝の長子である劉弁(劉辯・りゅうべん)だった。このとき十七歳だ。
父親に似て暗愚っぽい顔立ちをしています。
実際にしっかりしていない人だったらしい。とくに受け答えがニガテだ。
なのに名前が弁論の弁(辯)ってのは皮肉だよな。弁当の弁なら似合ってたのに。
劉弁の母親が何太后(かたいこう)だ。
7話に出てきた大将軍・何進(かしん)の妹にあたる。
この兄妹が宦官のあつかいについての意見が合わない。
何進(とその腹心になった袁紹)は宦官たちを抹殺しようと考えている。
だが、何太后は宦官を生かしておきたい。
リアル兄妹とは、いがみあうモノなんですよ(え〜
まじめな話をすると、何太后は女なので直接官僚たちに会えない。
だから何太后が政治にかかわろうとすると、中継ぎをする宦官たちの力がどうしても必要になる。
他の理由もあるかもしれないが、私の手にはあまるナゾだ。
袁紹に決断を迫られても煮えきらない何進は、ダメっぷりを発揮する。
魔王・董卓(とうたく)をふくむ各地の群雄に招集をかけたのだ。
王朝の終わりが見えた……
兄妹間の確執なんだから、平和的に話し合いでなんとかならんのでしょうか。
袁紹から「董卓も呼んだよ!」と聞いて、曹操はニヤリと笑う。
火の熱さを知らず、火中の栗をひろおうとするのはアホだ。
だが、友が火に手を入れようとするのを黙って見ているのもアホである。
曹操はちゃんとした計算をしているのだろう。
董卓の軍事基盤は西の涼州兵にある。
ところが現在は北の并州牧に就任中だ。
つまり最大の武器から切りはなされている状態らしい。
黄巾の乱時点よりも、董卓は御しやすくなっているかも。
董卓を倒すため、曹操が賭けをしたのだろうか。
何進は宦官を殺す決断ができないままだった。
ぎゃくに宦官に滅多突きにされて殺される。
まるでハリネズミのような姿となって何進は息絶えた。
何進を殺された袁紹は、逆襲するため暴走気味に宦官抹殺をはかる。
こうなったら、法も秩序もあったものじゃない。
暴力なれしていない人がヒステリックになった結果、必要以上に血が流れたという感じだ。
ちなみに、このとき宦官と思われる人間は有無を言わさず殺してしまった。
ヒゲがないだけで宦官とみなして襲いかかったため、ヒゲのない普通の人は股間を丸出しにして宦官じゃないとアピールしたそうな。
生きのびるためなら、ナニをさらすのが、ナニほどのことか。
宦官・張譲(ちょうじょう)は皇帝をつれだし、修羅場から逃げだす。
暴力だけで知のない董卓を操り、生き延びるつもりだ。
だが、董卓の無法の量は張譲の予想を超えていた。
董卓は、張譲を拷問して殺す。
張譲の死体が吊られている。
かつて、水晶の死体を吊るして辱めた因果がめぐってきたかのようだ。
皇帝権力に寄生して生きてきた宦官・張譲は、よるべき皇帝権力を軽んじたため滅びる。
宦官が存在しつづける限り、このパターンは繰り返されるのだ。
軍隊の力を背景にし、董卓は皇帝を手中におさめる。
とりあえず、じゃまな何太后は乳をもみ殺し、劉弁も殺す。
そして、劉弁の異母弟である劉協を皇帝にする。
のちの献帝である。このとき九歳だ。
董卓は文字どおり皇帝をようすることで、暗殺のリスクも避ける。
皇帝ごと斬り殺すような無法でないと董卓は倒せない。
ちなみに、皇帝の前では剣を外し、クツを脱ぎ、小走りで走るのが作法だ。
董卓はいきなり、作法を破っている。
これでは暗殺できないじゃないか!
袁紹はとっても悔しがるのだった。
今回の袁紹は輝いているぜ! ネタ的に!
董卓に反逆するのは袁紹だけではなかった。
丁原(ていげん)も董卓に逆らう。
配下の呂布(りょふ)が居るから超強気だ!
無敵最強の飛将・呂布を召喚する。
電撃をまとって、地下(?)から呂布が登場する。
大爆発だ!
なにやってんの。電気はどこから出しているんだ?
疑問も全部ブッ飛ばす呂布であった。
出た勢いで、呂布を呼んだはずの丁原もフッ飛ばしてしまう。
下段右側の天井に突き刺さっているのが丁原です。
こりゃ、立ち位置を間違えたな。
まさか足元から出てくるとは思わんよ。
呂布のやったことは、床を破って出てきただけだ。
でも、その爆発と電流地獄でウムを言わせぬ強さアピールとなっている。
ブライアン・ホークだって片手で撲殺できそうだ。
まあ、呼ばれて出てきたものの、呼んだ本人を殺しちゃったので、ちょっと困っているんだろうな。
そして、声は小山力也だった。
声にも凄みがあるぞ。
今日は小山力也デーだッ!
主人を殺してしまい出てきたものの、呂布はやることのない。
なので(?)董卓のスカウトにホイホイのってしまう。
敵対勢力がいなくなったので、董卓軍はお約束のヒャッハー!状態になる。
だが、曹操は暴虐の裏にある董卓の政治を見抜いていた。
やはり、董卓はただの暴君ではない。
曹操は初めて出会う強大な敵を相手にヤる気じゅうぶんだ。
反董卓連合を結成するための檄文を各地にとばす。
盟主は袁紹だ。
いきなりオチがついた気がするけど、大丈夫なのか?
次回から、董卓との戦争がはじまる。
今回の話は、蒼天航路(文庫版)3巻「その五十一 崩御」から3巻「その五十八 群雄,立つ」まででした。(極厚蒼天航路だと2巻)
(更新2009/6/5)
初平元年(190)正月、皇帝と首都を手中におさめた董卓(とうたく)にたいし群雄 立つ。
曹操(そうそう)三十六歳、今年 はじめて死線をさまよう。
曹操が捏造した密勅(皇帝が秘密裏に出した命令)で関東(函谷関(かんこくかん)以東の地)の群雄が挙兵する。
董卓は関西(函谷関(かんこくかん)以西の地)の人なので、これは関東と関西の対決でもあるのだ。
日本だけでなく、中国でも関東・関西の対立は根深い。
あつまった群雄たちは、密勅がニセモノだと気がついているのだろう。
基本的にコイツらは現・皇帝に敬意を払っていない。
蒼天航路には出てこないエピソードだが、すこしあとで袁紹は別の皇帝を勝手に擁立しようとすらする。
この戦いの根本は、群雄の争いにすぎない。
もう、時代は乱世となっているのだ。
曹操の軍勢はわずか五千にすぎない。しかも、最近集めたばかりで訓練度も低いだろう。
なので、諸将から軽く見られている。
唯一、曹操の実力を認めるのは張邈(チョウバク)だけであった。
ちなみに、張邈(字:孟卓)は曹操の親友であり「わしがもし帰ってこなかったら、孟卓のもとへ身を寄せろ」と家族に言ったほどだった。(魏書「呂布伝」)
人数はすくないが黄巾の乱で活躍したおかげで、曹操の知名度は高い。
ついでに曹操は短期間で兵を鍛えあげるノウハウを確立している。
数はすくないが精鋭だ。
精鋭兵は速度や持久力・隊列の組みかたで見ていればすぐにワカるだろう。
董卓を直接知らない将たちは油断しまくっている。
曹操は崖の上で咆哮し、兵の士気を高めるのだった。
そのころ董卓は洛陽から西の長安へ遷都することを考えていた。
関西人だから本拠地に近いところを首都にしたいのだ。
雄渾なる地・長安は赤眉の乱で破壊されてから、まだ復興しきっていない。
官僚たちは遷都したくないのだが、董卓がこわいので逆らえません。
関東の軍勢を撃破するため、董卓の将・徐栄(じょえい)が先鋒となる。
徐栄の突破力は連合軍を一撃で粉砕しかねないほどだ。
袁紹は腹をすえて退却しようとする。
腹をすえて、退却なのか!? おかしくね?
まあ、とうぜん曹操は退却を許さない。
剣を突きつけて止めるぜ!
曹操は人に丸投げしないので、俺が止めてやるぜと出陣する。
だが、徐栄はやっぱり強い。
曹操のいとこ夏侯惇(かこうとん)は左目を射抜かれてしまう。
しかし、この程度で夏侯惇の心胆を寒からしめるものではないっ!!
曹操軍は奮闘して、徐栄を退けることに成功する。
まあ、見えないところで曹操軍はけっこうな被害を受けているんだろうけどな。
損害で軍を維持できなくなったのか、曹操は戦略を見直す必要に迫られる。
とりあえず、袁紹にもっとマジメに戦えよと喧嘩をうることで自由を手に入れた。
目的を達成するためにあえて喧嘩を売る。まさに策士だ。
連合軍の大半は東に集まっている。
いっぽう、南から攻めあがる軍がいた。孫堅(そんけん)だ。
諸将のなかで唯一董卓に勝っている軍でもある。
孫堅に対抗するため、董卓は猛将・華雄(かゆう)を派遣した。
進軍をつづける孫堅軍には若き軍師・周瑜(しゅうゆ)の姿があった。
周瑜、このとき十六歳(満14-15歳)である。
しっかりした少年だな。倍以上の年月を生きているオレより しっかりしてそう。
周瑜は孫堅の長男・孫策の親友だ。
孫策の出番はまだですかのう。
周瑜はレッドクリフの主人公になったから、ちょっと頭にのってんじゃなかろうか。
孫堅軍をたすけ華雄を討ったのは夏侯惇だった。
左目を失ったばかりだけど、負傷を隠し右側にスキをつくって倒したぜ!
猪突猛進の男に見えるが、夏侯惇はけっこう知性派だ。
曹操は配下を細かくわけて各軍にもぐりこませ、曹操軍の名を広める作戦にでた。
これも、狡猾・残忍・勇猛な曹操軍の名が知れわたっているからできる。
曹操はつねに一手先、二手先を読んで行動する。
ならば、曹操は董卓の行動をどう読むのか!?
次回へつづく。
今回の話は、蒼天航路(文庫版)3巻「その五十八 群雄,立つ」から3巻「その六十三 曹操はどこだ!?」まででした。(極厚蒼天航路だと2巻・3巻)
◆ 蒼天雑学 その9
前回は時間が足りず雑学がありませんでした。なので、前回の分も混じっています。なお、今回も次回も時間がありません。
・ 登場人物
・曹操(その8)
黄巾の乱で活躍したあと、宦官や外戚の専横としばしば衝突する。一族に災難をもたらすことを心配した曹操は、郷里に引っこむ。20年ほど世間から離れ、天下がすみわたるのを待つつもりだったらしい。(武帝紀・注『魏書』『魏武故事』)
西方で韓遂らが反乱を起こしたため、召しだされ典軍校尉(てんぐんこうい)となった。このとき、霊帝が崩御する。
曹操は袁紹たちの大げさな行動の危うさをとくが聞いてもらえなかった。(武帝紀・注『魏書』)
董卓が台頭すると、曹操を驍騎校尉(ぎょうきこうい)にして今後の相談をしたいと持ちかけられる。
曹操は姓名をかえて逃げだす。曹操の一名である「吉利」は、このとき使ったのだろうか?
冬十二月、己吾(きご)において旗あげした。この年は中平六年(189)である。
わざわざ正史にこう書かれているのにはワケがある。他の群雄よりも一月早く挙兵しているのだ。
おそらく曹操は反董卓連合の結成に深いかかわりを持っているのだろう。
袁紹らは董卓の軍を恐れ進軍しなかった。
曹操は、張邈の将・衛茲(えいじ)、群雄のひとり鮑信(ほうしん)らと進軍する。
そして、徐栄と戦い敗北した。
曹操は、矢傷を受け馬を失い死ぬところだったが、曹洪(そうこう)に馬をもらい生きのびる。
鮑信も負傷し、弟が戦死した。
徐栄は、曹操が少数でありながら奮戦したのを見て、攻めきれないと判断し、帰還する。
・霊帝(その2)
死ぬ前にいくつかの問題行動を起こしている。
皇帝が私的に使うお金は、国の行政資金とは別口になっていた。
霊帝は自分の金を稼ぐため、官位を売ることにする。これにより王朝のシステムが上から崩壊したのだ。
また、州の行政をおこなう刺史(しし)を、軍事力も兼任させる「牧(ぼく)」に変更する意見を採用した。
これにより地方の自治がすすみ、群雄割拠の原因となる。
王芬(おうふん)、許攸(きょゆう)、周旌(しゅうせい)らが、霊帝の廃位と合肥候(誰のことか不明)擁立を計画するなど(曹操は計画に誘われるが反対した。けっきょく計画は失敗する)、そうとう問題のある皇帝だった。
(更新2009/6/12)
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