とら日記(04年2月)

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2004年2月27日(金)
 3週間かかりましたが、Fateは、とりあえず終了した。
 できるかぎりのヒマと睡眠時間を削ってプレイしておりました。
 そんな訳で今ごろ仮面ライダー剣みています。むぅ、今週は幼女の回か。
 Fateで意外な人がマスターだった場合、オンドゥルマスターナンデスカと驚きましょう。
 Fateでも站椿(たんとう)の単語が出てきて、ちょっとシンクロニシティーだったりする。漢字は違いましたが。

プレイ時間
 結局プレイ時間は51時間チョットだった。
 これで、来週からは平日も4時間以上の睡眠が取れるようになるってものさ。
 あ、水・木はゲームに関係なく、そんなモンですが。

 ちなみに私のハンドルネーム「とら」は、本名に由来しておりティーゲル藤ねえは、他人とは思えない。私を虎と呼ぶな(by ジーザス)って感じで。


2004年2月24日(火)
アニメ十二国記 感想(45) 東の海神(わだつみ) 西の滄海 転章
 一週間遅れで申し訳ない。転章といっても最終回です。
 原作の歩みが亀のそれにも及ばぬ現在に置いて続編製作の確立はかなり低いと思われます。

 墓の前で王さま二人が斡由(あつゆ)が最後まで偽善を張り通せていれば名君だったかもしれないと言っております。
 でも、やっぱりムリだと思う。
 人である以上、失敗はするのだ。そして、万人に好かれる人間なんていない。
 斡由は自分の失敗を無かったことにしようとし、自分を嫌う人間を消し去ろうとした。
 そういう行為を行っているうちは、やっぱり名君の器ではないと思う。
 少なくとも、無限の命を持つ世界の王には向かない。最終的に誰もいない廃墟の王になってしまいそうだ。
 陽子も尚隆も、自分の無力を知っているからこそ名君になりうる存在なのではないだろうか。

 陽子が「もう一人の自分」と闇の存在を思い浮かべたときに、電波杉本が出てくることを期待してしまった。
 人間って、怖いと思っているものほど頭に思い浮かべてしまうらしい。

 そして、原作にはなかった楽俊の慶留学が決まって一件落着。
 なんとなく幸せそうな感じでいいですね。やっぱり楽俊がいないとこの物語は殺伐としたものになってしまう。

 なお原作では泰麒失踪事件の顛末と、それに関わる陽子たちの活動を描いた「黄昏の岸 暁の天」が出ています。
 また、日本にいる泰麒の話は新潮文庫「魔性の子」で書かれています。読む気があるのなら、「魔性の子」は最優先で読まないとかなり後悔します。
 解説は大沢在昌で、血の香るバイオレンスと大絶賛しております。

 アニメでファンになった方は小説にも挑戦してみてください。
 小説だけに内面描写が詳しくなっていて、より深い趣があります。電波杉本は活躍しませんが。


2004年2月18日(水)
バジリスク〜甲賀忍法帖〜 第二十六殺「三対三(その二)」感想
 ネタバレ感想と3巻感想は、後日書きます。

 恐るべきは薬師寺天膳よ。原作を読んでいても なお想像を絶する復活を遂げるとは。
 というか、体内に雨夜陣五郎を飼っていたのか?
 それとも祖父の雨夜陣三郎か?

 今回ほどド肝抜かれる展開はなかった。あんなものを見せられては鵜殿丈助だって、棒で殴られて血が出るというものだ。
 だた、アレで若さは保てない気がするのですが…。
 あと、耳を切り落とされたら復活できないという弱点が出てきた。

 まず目が出てくるのは、周囲の状況を確かめるためなんだろう。
 死体が単体で置かれている状態で、常に天膳の復活は行われてきた。
 つまり、天膳最大の秘密を隠すために、体内天膳は目から目覚めるのだろう。

 しかし体内天膳は実にいい。
 きっと金玉をマッサージして常に伊賀の精を補充しているのだろう。
 天膳が助平なのは能力の副作用に違いない。

 おかげで、どんどん人相が悪くなる朱絹姐さんとか、手ずから夫の妾を刺殺する阿福さんの印象が薄くなった。

 しかし、体内天膳には脳の修復はできないのかもしれない。
 復活した天膳(本体)は脳がさらに うかつになっている可能性がある。
 可能性どころか、確実に。


2004年2月15日(日)
 Fateを買って1週間が過ぎた。
 合間を見てちょくちょくやっています。とりあえず1週目が終わって、2週目入っています。
 バトルロイヤルは一人倒れて六人になったところ。
 久しぶりに、同人やる気出ています。

 油断すると忘れてしまいそうだが、バジリスク3巻の変化は火曜日にまとめて書くとして、「ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間」の感想を先に書く。
 原作の「指輪物語」を三時間の冒険活劇に仕立てているのがみごとだ。
 まあ、長い話を思いっきり縮めたので(あれでも)ちょっと説明不足になっているところもある。
 私が「指輪物語」を読んだときの感想は「神話の終わり・滅びの物語」だ。
 なんでそう思ったのか、という部分は残念ながらカットされているのだ(トホホ)。
 まあ、指輪を滅ぼしてもいい事ないなんて言われたら見ているほうも気が乗らないだろうし、しかたあるまい。

 映画冒頭で説明があったとおり、フロドの継承した「ひとつの指輪」は他の19の指輪を統べる指輪である。同時に19の指輪に力を与えている。
 エルフ・人間・ドワーフはその19の指輪の恩恵で繁栄してきた。つまり、指輪を滅ぼすということは、自らの繁栄を捨てるということでもある。
 この時点で指輪を持っているのはエルフ族だけだ。だから、裂け谷の主エルロンドは西に去るといっているし、ローリエンの奥方・ガラドリエルは指輪を前に激しく野心を燃やしてしまうのだ。耐えましたが。
 ドワーフのギムリがエルフのレゴラスと仲良くなるのは、奥方の魅力(魔力)にとらわれエルフ萌えにされたからなんだが、映画ではカットですか?
 ローリエンを発つ前にお土産をもらうのはフロドだけではなく、みんな貰うのだが、ギムリは奥方の御髪を所望する。すっかりメロメロなのだ。
 ついでに言うと、ギムリの父・グローインはビルボと一緒に旅に出たドワーフだ。
 火をつけるのが得意という以外にあまり目立たない人でしたが。

 話はそれたが、フロドの行う試練は自らも滅ぼす滅びの行為であり、すべて丸く収まるような物ではない。
 現実的な判断をすれば、ひとつの指輪は冥王・サウロンを滅ぼすために使うべきだ。映画だと、サウロン専用仕様になっているっぽいので無理かもしれないが。
 ただ、指輪を使ってサウロンを倒しても、魔力は残り第二のサウロンが生まれるだけだ。
 まあ、だから指輪を抱いて魔と心中しようというのが、この物語なのだ。

 で、その損な役を押しつけられたのが主役のフロドなのだ。
 指輪の魔力は野心を刺激する。
 ボロミアなんて、指輪に触れもしていないのに魔力に取りつかれている。
 野心はあまりないけど意志が強い、という微妙なフロドの人格は、任務にピッタリだったようだ。
 映画ではフロドが指輪を所有してから、誰にも触らせていない。
 ガンダルフも直接触らないようにしているのが、いい感じの演出だ。

 話もフロド一人の視点で進む原作とは違い、多角的に見せてわかりやすくしている。
 逆に推理小説を読むような多重の伏線がなくなったのは惜しいが(でも、ストーリーがわかりにくい)。

 サルマンとの対決とか、ガンダルフにも見せ場が多くいい感じだ。
 ちょっと気になったのは、鷹の王・風早彦グワイヒアを呼ぶために蛾を使っているのだが、蛾の飛行速度では一生を使ってもたどりつけない気がする。
 サウロンには飛ぶ敵が多いので空は必ずしも安全ではないとわかるのだが、もっとグワイヒアに乗って移動すればいいのに。その方が早いですよ。
 やっぱ、王さまをタクシー代わりにするのはマズイのか?


2004年2月11日(水)
アニメ十二国記 感想(44) 東の海神(わだつみ) 西の滄海(終章)
 終わるの、早ッ。
 オマケ企画とはいえ、もう少しじっくりと放送してください。

 父を幽閉し、影武者を立て州をのっとった斡由(あつゆ)は、現在の地位に満足できずに国をのっとりたいと思うようになっていた。
 そのための実行手段が陰湿なのは、斡由の本性が陰湿だからだろうか。

 死にかけ六太は地下をさまよい歩くうちに追っ手に遭遇する。
 追っ手の中に尚隆がいた。
 それだけで、六太は泣きそうなくらい うれしいのだ。おんぶだって、せがんでしまう。
「東の海神 西の滄海」は直球ド真ん中の少年狙いか?

 連れ戻された六太を更夜(こうや)がむかえる。成り行きで延王が忍び込んでいるとバレる。
 色々あって荒みきっていた更夜は、斡由が逆賊になろうと国が荒廃しようとかまわないという。
 自分を認めてくれた斡由さえ良ければいいんだ。斡由が死にたいのなら、それでもいい。
 完璧なまでのヤケクソだ。
 まあ、本当に心が荒んでいるなら、世界なんて滅んでしまえと思うかもしれない。

 更夜がここまですさんでしまったのは、主の斡由も影響していると思う。
 斡由は基本的にポジティブ思考なんだが、どこか心根が腐っている。
 その腐った部分を人には隠しているのだが、更夜はその本性をかなり知ることになった。
 汚れた仕事ばかりやっていけば、心の荒廃は進むだろう。
 六太を逃がす手助けをした女官を妖魔に喰わせて始末するときの「もう、慣れた」というセリフは本心ではない。すでに十分すぎるほど心が荒れているからわかりにくいだけで、また少し心は荒れている。

 それでも、この世界で自分を必要としてくれる人は斡由だけだから、更夜は彼の元から離れられない。
 そんな更夜を尚隆はしかりとばす。
 王は民に豊かな国を与えるためにいるのだ。民が国が滅んでもいいと思うなら、王はどうすればいいのだと。
 しかし、妖魔に育てられた自分には住むべき国は無いと更夜は言って立ち去る。
 言外に逃げるなら勝手にしろとの意を込めて。

 六太は斡由と面会し、弾劾裁判が始まる。
 次々とあらわれる証拠物件に、民を犠牲にしても勝利しようとする斡由の策略が明らかになり、斡由は配下の前で崩れさる。

 信頼と尊敬と讃美を武器に部下を統率していただけに、そこが崩れると斡由政権は終わりなのだ。
 だが、強力な自分専用・自己弁護機能を動かし、周囲が悪くて自分は被害者だと納得する。でも、周囲を納得させられないのが欠点だ。

 そこに追い討ちをかけるように尚隆が正体をあかし、斡由に剣を突きつける。
 一騎打ちで、どちらが王にふさわしいか比べよう。そう尚隆は提案する。
 しかし、剣客としても一流である尚隆に勝てるとは思っていないのか、斡由は敗北を認める。
 脳内補完では補えない実力差が二人の間にはあるようだ。

 だが、不用意に背を見せた尚隆をみて、斡由は斬りかかる。
 しかし、六太の放った妖魔によって斡由は命を落とすのだった。
 尚隆の見せたスキって、わざとなのだろうか?
 そこまで悪いことを考えていたとは思えないけど。

 更夜は、妖魔を止めていた。斡由を見殺しにしたのだ。
 自分が人の世界では暮らせないと知りながらも、それを望んでいた。
 尚隆は、更夜に妖魔をみても人が怖がらないような豊かで平和な国を作ると約束をする。

 なお更夜は犬狼真君となって「風の海 迷宮の岸(アニメ版)」にも登場している。
 500年近くたっても、まだ人の世界で暮らすことはできないようだ。
 まあ、多少は人間の知り合いもできているし、平和な暮らしなのではないだろうか。

 長々と続いたアニメ十二国記も次回の総集編+おまけで最終回。
 原作のほうはまだ続いているので、続きが気になる人はそちらを見てください。
 現時点では、見てもあまり解決にならないのだが。
 渇いたノドには、あまりに少ない水なのさ。


2004年2月9日(月)
 とりあえず、コミケの申込書は投函した。どんなカットかは、夏コミのカタログで御覧あれ。
 これで、落選したら笑えないけど、笑えます。


 で、昨日書きたいことを羅列したので、そこからどれに手をつけるか。
 とりあえず今日の「スティール・ボール・ラン」の感想を。
 ちなみに、2回からの感想を書いていなかったのはつまらなかったからではなく、暇がなかっただけだ。

 スタート前の緊張の瞬間だ。
 何かが起こる波乱の予感があってたまらない。

 ジョニーとディエゴ・ブランドーが共に若き天才ジョッキーと言われている(た)のは、偶然だろうか?
 6部冒頭の事故ですら偶然ではなかった荒木ワールドでは、ジョニーの事故も偶然と片付けていいものか、判断に困る。
 二人とも、恋人が原因でトラブルに見舞われているのだし。

 今回のジョニーは「回転」というか、滑ってぬめっているようにも見える。
 回転、すなわち、うずまき。そう、カタツムリだッ!
 あの動きを見せたジョニーはヒトマイマイと化す可能性がある。いや、絶対に無い。

 1話をみて砂男(サンドマン)の走りに、「逃げるんだよォ!スモーキーッ!」という既視感(デジャビュ)を強烈に感じた。
 そして、そのまま自分の足で走るらしい。
 馬と競争して勝つ人間をテレビで見たことがある。短距離ならヒトは馬に勝てる余地がある。
 しかし、馬は(比較的平らな地面を)速く真っ直ぐいつまでも走る方向に進化した動物だ。
 持久戦になれば、人はサルでしかない。いや、サル関係ない。

 とにかく、2本足は4本足には勝てないのだ。
 いやカメには勝てる、とかつっこまないでください。
 コースにどれだけ山や森や湖があるかで、砂男(サンドマン)の活躍は決まるのだろう。


2004年2月8日(日)
 みなみ先生Fateをやれと言いながら、しょっちゅう一方的に感想を言われるのが悔しくて買った。
 バジリスクの3巻を買ったら修正箇所があってちょっと感想書きたい。
「ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間」を見たら予想以上に面白くて原作との比較をしつつ感想書きたい。
 今PRIDEをやっている。ミルコ倒れた。最初の15分ぐらい見逃しちゃった。(UPしている最中に決着ついた。ミルコ強し)
 Zガンダムはとりあえず、ミッションモードをクリアした。
 コミケの申込書を書かねば。

 さて、どれから始めよう?

アニメ十二国記 感想(43) 東の海神(わだつみ) 西の滄海(3)
 更夜(こうや)が、血をブチまけるなんて麒麟の性質を知らないのか、などと言っているが、まったくその通り。
 驪媚(りび)はちょっと先走りすぎたような気がする。
 自分の命を賭して六太を解放しようと思った行為は立派だと思うのだが。

 しかし、城内の女官の助けもあって、根性で六太は逃げだす。
 逃げて迷った地下の牢獄で六太は反乱の首魁・斡由(あつゆ)の父親と出会う。
 監禁されていた斡由の父は、六太に斡由の隠されていた本性をかたる。

 彼は物すごい偽善者で、常に自分が讃美されていないと気にいらない人だったのだ。
 その反動で、失敗することを恐れ、ごまかそうとする。
 高すぎるプライドに縛られた、ある意味では不幸な人なのだ。

 私は斡由が好きではないが、気持ちは理解できる。
 人に尊敬され、賞讃を受けるのは気持ちがいい。
 逆に人に自分の欠点を指摘されれば、不愉快だろう。
 だから、人格を作って、頭の良さそうなところを見せたり、いい人ぶったりする訳だ。

 そういうのは理解できるし、自分にも思い当たるフシがある。
 問題なのは、作っている自分が本来の自分から大きくズレた時だ。

 斡由は、そのズレが許せなかった。
 そして、そのズレを自分の努力で埋めるだけではなく、周囲に埋めさせようとした。
 自分の失策を指摘するものは、ことごとく抹殺する。
 それも直接自分で指示するのではなく、更夜のような人間を利用して、責任だけはとらないように巧妙に仕組むのだ。
 それは、オウム教団の仕組みにも似ている。
 自分を受け入れない世界に対し、自分が悪いと考えず、世界が悪いと考える。
 そして、自分より弱い立場の人間に手を汚させ、自分は知らん顔をする。

 そんな訳で、私は斡由が好きではないが、気持ちは理解できる。
 理解はできるが、共感も同情もない。
 斡由のような人間は、実はどこにでもいる。(と、自分の所の掲示板を荒らされて知った)
 まあ、そんな訳で、私は斡由にならないように、自分の非は素直に認めて、他人は自分を賞讃するためにいる無知な存在と思ったりしないように心がけようと思っている。

 まあ、思わなくても基本アホなんでボロ出まくりなんですが。


2004年2月3日(火)
バジリスク〜甲賀忍法帖〜 第二十五殺「三対三」感想
 朧は目を閉じていても朧だった。
 なんというか、人のやる気を萎えさせる(ちょっと違う)。
 絶妙のタイミングで声をかけたり、情をみせたり、知らないうちに甲賀衆を翻弄している。
 室賀豹馬の死体に対する仕打ちを非難するさまとか、上手く論理を摩り替えている。けっこう論客としても優秀なのかもしれない。

 朧を見る朱絹姐さんの恨みのこもった目が今週のベストショットだと個人的に思います。
 いいですね、朱絹姐さんは。
 どんどん、怖く美しくなっていきます。もう、可愛らしくはならんだろうが。

 薬師寺天膳に化けていると、性格までアレになるのか、如月左衛門が「天膳の死体を見せてから殺す」なんて回りくどいことをいっている。
 役になりきる人なんでしょうか。
 前回も朱絹の心をみごとに演じきっていたし。

 死体は野ざらしになれる人が多いなか、愛する人に埋めてもらえる筑摩小四郎は幸せなのかもしれない。
 天膳がふんどし一丁なのに比べて、ずっと幸せだ。
 でも、薬師寺・うかつ・ふんどし・天膳(すごいぜ、どんどん異名が増えていくッ!)はいつまでも死体でいる男ではないらしい。
 というか、耳たぶの丸ポチってピアスではなかったようだ。
 三殺を読んでいたときから気になっていた謎が、次回あきらかになるのか?


 ついでに「ランペイジ」の感想。
 掲示板で功夫さんに次の情報をいただきました。
 南斗の神と北斗の神が碁を打っているところに旅人が…という話は、確か三国志演義にあったように思います。
 曹操が魏王になった前後、易占の達人管輅が登場する前に彼の紹介をするエピソードが二、三紹介されていて、その中の一つだったかと。
 たしか、囲碁に夢中になっている隙に酒飲まして肉食わして、「施しをした」という既成事実をタテに寿命を延ばしてもらう…そんな話です。

 あ、あと、個人的には「益徳」が好きです。
「翼徳」だと「関羽」と合わせて翼の両翼…なんか出来過ぎてて笑えてしまいますので。
 三国志演義が出典だったら読んだはずですが、すっかり忘れていました。
 そんな訳で、演義にはのっとった話作りみたいですね。
 神仙の争いになりそうなことを言っていますが。本宮ひろしの「天地を喰らう」みたいなものか?
 ちなみに私はゲーム(ナムコのFCゲーム)で三国志を知って、「天地を喰らう」で誤解したクチで、三国志マニアの中では最悪な部類です。

 市川猿之助のスーパー歌舞伎・三国志は劉備が女性らしいですね。
 まあ、だから「ランペイジ」もさほど奇抜ではないのかも。
 張飛が主役の三国志物語は、三国志演義の前身「三国志平話」が有名だ。
 あと、北方謙三「三国志」と安能務「三国演義」も張飛が主役だと思う。

 ついでに張飛の字について。
 翼も益も発音が入声の「yi」で、近いので間違えたらしいという話を聞いたことがあります。裏は取っていないので、信用できませんが。
「三国志平話」では当て字や誤字が多く、司馬懿も違う字になっていたりとテキトーなんですが、まあその辺で間違ったというのはありそうな話です。
 ちなみに、「羽翼」とそろうと皇帝を補佐する人材を指し、やはりできすぎかもしれない。
 漢高祖の劉邦が「太子にはすでに羽翼が整ってしまった」といったのが初期の例だったと思います。やはり、できすぎだ。

 でも、益徳も因縁深いとは思います。
 結局、劉備たちはんでって州(蜀)に落ち着いたわけだし。
 これは、こじつけか。


2004年2月2日(月)
 バキ外伝の補足をします。
 愛藤遊彩さんに、帝王切開の由来についてのサイトを教えてもらいました。
 ちなみに私は「大辞林 第二版」で、面白いほうの話が載っているのを確認して書きました。
 今見ると「大辞林」の説明は自信なさげですね。

 さらに、犬谷さんに掲示板で教えていただきました。
私はアラビア語をかじっているんですがね、以前アラビア語の辞書を何気なく見てて「帝王切開」という単語を偶然見つけたんです。何ていうと思います。

アマリーヤ・カイサリーヤ って言うんです。

アマリーヤは「手術」、カイサリーヤは「カエサルの」或いは「帝王の」という意味なので「カエサルの手術」とアラビア語では言うことになります。

「カイサル」というのは(アラビア語にとって)完全に外来語なので「分ける」だとか「切開」という意味は無く、ただ「カエサル」のことを指すだけです。

帝王切開法がいつアラブ世界(イスラム世界)に入ってきたのか等、詳しいことは調べていませんが
 う〜〜ん、言葉というものは色々と面白いものですね。
 ちなみに、2月が28日しかないもの、半分はカエサル(シーザー)のせいです。(参考
 ここには書いていないが、当時のローマでは奇数のほうがいい数字だったらしい。
 だから、カエサルもアウグスタスも自分の生まれ月を奇数にしたらしい。

 ココイヤドクガエルも調べたんですけど、いいサイトがなくて紹介しませんでした。
 正確に言えば、いいサイトはあったのだが、ページが消えていました。(Googleキャッシュ
 毒性については間違いないようです。
 ただ、生物最強の毒というのはちょっと言いすぎかも。
 昔チャンピオンで連載していた「マリオネット師(小山田いく)」で、最強の毒物・ボツリヌス菌の話がありました。そっちはスプーン一杯で人類皆殺しにできるそうです。
 即死じゃないし、空気を嫌うのでそんな心配しなくてもいい菌ですが。

 達人産婆・小倉ツネさんのモデルと思われる人はおスミさんで、一万人の赤ちゃんを取り上げたそうです。

 まあ、最強の毒がどうとか、モデルが誰とか、あまり面白くないんで、寝たら忘れてください。
 マクベスの話もよけいだったよな〜(反省

 忘れなくていい話は、木賃ふくよし(芸名)さんが教えてくれました。
 こちらのサイトにバキ外伝の感想が書かれています。
 必読。


2004年2月1日(日)
アニメ十二国記 感想(42) 東の海神(わだつみ) 西の滄海(2)
 斡由(あつゆ)のいうことにも理があるように感じる。そう言う陽子はやっぱり騙されやすい人なのかもしれない。

 しかし、国の要である延麒・六太を拉致監禁した斡由の野望があきらかになる。
 王を恐喝し、王の上の権限を持つ上帝をつくって、その座を自分によこせと言うのだ。
 王の座を望めばあきらかな反逆だ。しかし、この方法なら一応 法に触れない。
 法斡由は有能な男だけに、法の隙間をみごとに狙ったのだ。

 六太と同じ牢にとらえられていた驪媚(りび)はこれを聞いて激怒する。
 王なら悪政をしけば麒麟が死んでコケるが、上帝なんて作ったらコケようがないので、地獄はいつまでも続くというわけだ。

 人の言うことを全然聞かない斡由は、この手のツッコミも軽くかえす。
 仕方がないので六太は更夜(こうや)に斡由を説得するよう頼んでみる。
 しかし、更夜は幼少時に斡由にひろわれた恩義があり、斡由の望みをかなえてやりたいと思っている。説得不能だ。

 ところで現在の更夜は15、6歳ていどの外見だ。
 幼少時にひろわれたのだから、10年ぐらいは仙席にいれずに育てられたことになる。
 仕事をするには、15歳ではまだ幼い。
 つまり、この年齢は斡由の美的趣味なんだろう。
 14歳ではまだ早く、17歳では遅い。
 聖闘士 星矢では17歳が一番光り輝く年齢といっていたと思うが、斡由の考えは違うようだ。

 斡由の暴挙を防ぎ、六太を自由にするため、驪媚は六太の角を封じる糸を切る。
 それが同時に自分の命を絶つ行為であっても、国のため あえて彼女は糸を切ったのだ。

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