今週の『真・餓狼伝』感想(21〜30)

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2013年7月11日(32号)
第二十一話 / 決着

 長かった死闘もついに決着だッ!
 早く救急車を呼んであげて!
 しかし、明治37年(1904年)には救急車なんてないのだ。……たぶん。
 この時代、夜中に怪我や病気をしたら朝まで耐えるか死ぬしかないんだろうか。

 立っているのは前田光世だ。
 倒れたままなのが丹波文吉であった。
 つまり、この勝負は前田光世の勝ちである。

 勝った前田も重傷だ。
 肋骨は折れて皮膚を突き破り、左腕も折れている。
 顔面ははれて、左目が黒ずみパンダ顔になってしまった。
 たぶん、「パンダのこ」の乃仔に好かれますね。

 文吉が目突きを敢行していれば、右目は潰れていただろう。
 なぜ、文吉は目潰しをしなかったのか?
 答えは前回書かれていたのだが、今回も解答編だ。
 ちょっとくどいな。

 と、思ったら父・丹波久右衛門が登場だ。
 この人、本当に脳内にでてくるの好きだな。
 それだけ文吉にとって大きな存在ってコトなんだろうケド。
 文吉は父に目潰しをしなかった理由を語る。

「あの人はさあ」
「たとえ両目くり抜かれたとしても」
「技を解くような人じゃないもの」


 そりゃ、スゲーな、オイ。
 目は生物にとって最大の弱点だ。
 異物が入っただけで反射的に体が反応する。
 本能的な反射の動きを意志で押さえつけると言うのかッ!?

 前田はえらく高い評価をされているようだ。
 文吉も、前田にはかなわないと素直に言っている。
 でも、文吉は十代後半の若さだ。
 これから伸びていく。
 10年後に闘えば、今度は勝てるかもしれない。

「文吉は」
「またいつか」
「前田君と闘いたいのじゃな」

「…またいつか」
「闘いたいね


 目をつぶさなければ、万全の状態の前田光世ともう一度たたかえるかもしれない。
 これも、理由のひとつのようだ。
 新たな動機が判明した。

 そもそも丹波文吉が講道館に勝負を挑んだのは、父の無念をはらすためだったようだ。
 しかし、全身全霊をかけて闘っているうちに、恨みの心は消えてしまったらしい。
 尊敬できる相手と全力で闘う。
 そこで生まれた感情は、丹波文吉の人生を照らす光となるのだろうか。

「丹波」
「耳には届かんとは思うが」
「俺も」「お前と同じ気持ちだ」


 そして、前田光世もおなじく丹波とふたたび闘いたいと思っている。
 丹波は失神したままピクリとも動いてないんですが、なぜ同じ気持ちとわかったのだろう。
 むしろ、話してもいない気持ちがワカってしまうほどの会話を、二人は肉体で行ったのかもしれない。
 耳には届かなくとも、この言葉は文吉に届く。

 同じ気持ちだ。などと言うと、なんか愛の告白みたいだけど。
 ホモっぽい感じになっているけど、それは気のせいだ。
 ちゃんと届いていないぞ!


 長かった死闘も本当にこれで終わりのようだ。
 来週は一回休みで、次回から新章がはじまる。

 講道館への復讐なかばで敗北してしまった丹波文吉は、どこを目指すのか?
 そもそも講道館に対する恨みは、どこから生まれたのだろう。
 父・久右衛門と大きく関わっているようだが……

 そして、前田光世はどうなるのだろう。
 歴史的に言えば、この年の11月に前田光世は海外に旅立つ。
 そして、祖国を思いつつも日本に戻ることはない。という運命が待っている。
 二人が望んだ再戦の機会はない、のかも。

 前田は世界を相手に闘いつづける。
 そして、レスリング以外の闘いで無敗を守るのだ。
 丹波文吉は誰と闘うのだろう。
 う〜ん、コレは放浪フラグっぽいな。

 第一話の表紙には数多くの猛者が登場している。
 とりあえずヤツらがいるから、文吉も迷うヒマなく次の相手と闘えそうだ。
 もっとも、そうやって目先の相手と闘っているスキに前田光世が海外に行っちゃうのだろうけど。
 文吉も同じ気持ちで、前田を追いかけて海外に行っちゃったりして。


2013年7月25日(33号)
第二十二話 / 武人

 丹波文吉と前田光世の長かった死闘も、ついに決着だ。
 路上で朝まで放置されたら死ぬ。
 明治時代じゃ、夜になったら出歩く人も少ないだろうし、誰にも発見されず死んでしまいそうだ。

 だが、現場に駆けつける男たちがいた。
 なんで駆けているんだ?
 夜道を走るのは危険と言う気がする。
 せめて提灯ぐらい持てばいいのに。

 横山作次郎六段、三船久蔵三段、富田常次郎六段の合計15段トリオだ。
 まさか丹波にトドメを刺しにきたのか?
 こんな怪物たちを相手にしたら、万全の状態でも危ない。

 横山たちは前田の帰りが遅いので心配になって探しにきたらしい。
 走り出したのは、気持ちのあせりからだろうな。
 うっかり提灯も忘れたのだろう。
 そして、横山たちはボロボロになって歩く前田を発見した。
 とりあえず前田はこれで助かりそうだ。

「三船」
「獏山先生じゃ」
「たたっ起こして道場に来てもらえ」


 う〜む、空気投げの天才三船久蔵も、この三人のなかだと若輩者だから使いっぱしりさせられるのか。
 どんな偉人も駆け出しで苦労していたころがあったってコトですね。
 で、明治の救急医療は医者を叩き起こしてきてもらうのか。
 昔の医者は大変だ。

 横山は前田に勝負の結果を尋ねる。
 前田は文吉を絞め落とした。
 つまり、前田の勝利ってことだろう。
 だが、トドメは刺していない。

「おう富田!! 丹波の息の根 止めてこいッ 講道館を狙った奴の末路を教えちゃれ!!」

 殺るのかよ!
 まだまだ武士の精神を宿している。
 武術ってのは、だいたい相手をきっちり殺しておくものだ。
 技術漏洩を防ぐ意味でもトドメは重要である。

 明治になって生まれた講道館・嘉納流柔術は、そういう殺伐とした武術から脱却する道を選んだハズだ。
 でも、急に人間は変わんないよね。
 とくに横山は他流から講道館に入門した男だ。
 思想の根本が武術家のままなのだろう。

「止めてくださいッ」

「………あいつは」
「今宵の月のように」
「清々しいくらい」
「実に正々堂々とした」
「武人でした」


 前田が制止をかけた。
 横山とちがって、前田は講道館で柔術を学び始めた純血種だ。
 武術と言うよりも、スポーツ的な思想を強く持っているのかも。
 戦う術ではなく、生きるための道 ……柔道の心だ。

 前田の武人でした発言で、横山と富田の表情がかわった。
 険しい表情が、さわやかになっていく。
 これは、理解(わか)ってもらえないかもしれないけど戦うっていいなぁ、って状態か。

 殺伐とした武術家であっても闘いのなかで理解しあえるときもある。
 横山と富田にも憶えがあるのだろう。
 前田は重傷だけど、みんなイイ顔で月を見上げていた。

 でも、それは置いといて、ちゃんと勝ったんだろうなと横山が前田に念押しをする。
 前田は、まだ勝負の途中だと言う。
 また丹波文吉と闘うまで、誰にも負けないと宣言するのだった。
 この思いが、前田光世の無敗伝説を作っていくのか!

 そして、問題の核心である"なぜ丹波文吉が講道館を狙うのか"という情報を確認する。
 文吉の父・丹波久右衛門と嘉納治五郎の間にナニがあったのか?
 前田たちにとって、大きなナゾが残ってしまった。


 そして、またまた回想シーンがはじまる。
 死闘の二年前、丹波文吉15歳である。
 福島県にわき市で父・久右衛門と修行する日々であった。

 まだ、文吉の目の下にある裂傷がない。
 激しい実戦を繰り返すのは、もうすこし後なのだろう。
 文吉も修行をはじめて6年目だ。
 そろそろ、新しい段階に進む必要があるらしい。

 次なる文吉への試練とはッ!?
 道場破りだッ!
 過激な、修行ですね。
 負けたら伊達にされたり、半殺しにされたり、殺されたりするヤツですか。

 板垣先生なんて、取材に行ったつもりだったのに準道場破りの扱いをされてフルボッコにされたコトがある。
 はたして丹波文吉は無事に家に帰ることができるのか?
 遠足と同じく、無事に家に帰るまでが道場破りだぞ!
 帰り道、待ち伏せされていないか注意だ!


2013年8月1日(35号)
第二十三話 / ボッコレ親父

 丹波文吉15歳、はじめての道場破りである。
 穏やかでない初体験だ。
 勝っても負けても無事ではすまなさそうな経験ができそう。

 とりあえず勝利して水戸名物のあんこう鍋に舌鼓をうつ丹波親子であった。
 文吉が予想以上に強くなっていたおかげで、連戦連勝して負傷もほとんどない状態らしい。
 真李天流柔術、千里(?)心明流柔術、北内道場などで勝利を重ねている。

 丹波親子は、まだ講道館とは戦っていないようだ。
 わざと避けているのか、たまたま水戸に道場が無いのか。
 そして、時代に取り残されつつあるとはいえ、まだ柔術の諸流派が道場を構えている時代だと言うコトがワカる。

 だが、やっぱり柔術は落ち目の存在だ。
 少ない門下生をめぐって道場ごとに争っている状態だろう。
 道場破りにあったなどと言うウワサが流れたら死活問題になりかねない。
 だから、北内道場では容赦ない逆襲があった。

「か…かまわぬ」
「全員で囲むのじゃ――――ッ」


 でたァ――――ッッ!
 道場破り名物の全員で袋叩きだ!
 というか、本来道場破りに来たら、普通に試合に負けてボコボコにされるか、試合に勝ったけど全員で袋叩きにされてボコボコにされるかの二択になる。
 勝っても、袋叩きにされないように闘争経路を確保しておく事も武術家にとって必要な才だ。
 餓狼伝だと松尾象山が逃げるの非常に上手かったな。

 じゃあ、他流と戦うことは全く無いのかと言うと、それも違うようだ。
 「東天の獅子」によれば、ちゃんと事前に話をして出稽古をすることは結構あったらしい。
 丹波親子はアポなしの本格的道場破りだったので、袋叩きにされそうになっているようだ。
 なんで出稽古って形にしなかったんだろう。
 丹水流・本家は断絶したも同然なので相手にしてもらえないってコトか?

 北内道場は全員で袋叩きの計を発動した。きたない道場だけに汚い!
 だが、丹波久右衛門は卵に仕込んだ煙幕で混乱をつくり脱出する。
 丹水流秘伝の蕃椒(ばんしょう:トウガラシの異称)と馬銭(まちん:マチン科の薬用植物)による煙幕だ。

 武術は戦場や生活で必要な技術だから、薬や活法なども教える場合が多い。
 柔術家が骨接ぎとして整体も行っている事もその一例だ。
 餓狼伝の竹宮流も薬草のあつかいも学ぶと原作にはある。
 薬物使用は、以前に指摘のあった須玖根流と丹水流の関連説を補強する材料にもなりそうだ。(18話感想

 単純に闘うというだけでなく、どこか忍者っぽい丹水流であった。
 この煙幕タマゴを使っていれば、前田光世との死闘で目をエグる・エグらないで葛藤することもなかっただろうに。
 あ、でも途中で上着を脱いだから煙幕タマゴをもっていても使えなかったか。

 文吉は話の途中で敵の存在に気がつく。
 名誉回復を狙う柔術家が丹波親子を狙っていたらしい。
 だが、文吉があっさりと四人を倒す。
 そして、のこる一人は……

「師匠あとはお願いします」

 父・久右衛門に投げた!
 いきなりのムチャぶりである。
 久右衛門は当然動揺してイヤがるが、相手が待ってくれない。
 襲いかかる男を久右衛門は崩して倒し、腕を極めた!
 華麗ではないが、堅実に勝っている!

 天才・丹波文吉の相手をしているうちに久右衛門も実力をつけていたようだ。
 息子に鍛えられる親父という逆転現象がちょっとユーモラスですが、嬉しい誤算ですね。

 ぼっこれ(ダメ武人)と言われていた久右衛門だが、そんなコトはなかった。
 つまり、今までは努力が足りなかったってコトなんですかね。
 いや、練習相手がいなかったほうが大きいのかも。
 どっちにしても、ちゃんと磨かないと能力は発揮できないってコトでしょうか。
 ……私も更新サボらないようにしないと。


2013年8月8日(36+37号)
第二十四話 / 蟷螂

 丹波文吉15歳と父・久右衛門のぶらり道場破りの旅もそろそろ終点のようだ。
 紀州にいる丹水流分家に到着である。
 むかえるのは久右衛門の甥・剣三郎だ。
 ひさしぶりの登場ですね。(2巻 9話

 文吉たちは陽明館や三善館の鹿山角之進などを撃破してきた。
 そして、やっぱり走って逃げることもあるようだ。
 たぶん丹水流は走って逃げるために持久走を早くに取り入れた柔術なんだろうな。
 強敵である鹿山を破ったと聞いて、剣三郎は文吉の腕前を見せて欲しいという。

 文吉の強さはズバ抜けていた。
 紀州丹水流の門弟がつぎつぎと投げられ、極められていく。
 そういえば、この頃の文吉は打撃を使用していない。
 前田光世との死闘では打撃が大きな武器となっていたのだが……
 後にナニか事件があって、打撃も使うようになったのだろうか。

 勝利を重ねる文吉は末席にすわる少年に気がついた。
 年齢は文吉とおなじか すこし下ぐらいだろうか。
 他の門弟に比べると身体が小さい。
 だが、髪をやや長めに伸ばしているのが謎だ。

 そして、顔を横に走る刀傷が印象的である。
 明治の世でありながら、斬りあった経験があるのだろうか?
 しかも、こんな少年が。
 詳しい事情はワカらんが、なぜか文吉を暗い目でにらみつけている。

 すこし後、傷のある少年・京太郎は、同門の連中に蟷螂を喰わされそうになっていた。
 文吉は声をかけるコトで、いじめっ子を追いはらう。
 だが、京太郎は感謝の言葉など言わなかった。

 京太郎は蟷螂の上半身をかじって喰ってしまう。
 やっぱり、腹はグロいから残したんだろうか。

 そして、落ちている小枝を拾うと、スルドい振りで文吉に斬りつける。
 鎌をもったカマキリこそ最強といわんばかりの攻撃だ。
 獲物は小枝でも文吉の皮膚をわずかに切り裂いているのか?

「丹水の名を賭けて」
「勝負しろ丹波文吉」


 しかも、なんか挑戦してきた!
 賭けるものが文吉だけ極端に大きい気がする勝負だ。
 常識的に考えれば受けないほうがイイのだろう。
 でも、文吉は受けちゃいそうだ。

 疵面の京太郎はどんな過去を持つ剣士なのか?
 丹波はデビューしたてにも関わらず、刀を相手に戦うことになりそうだ。
 そして、カマキリってどんな味がするんだろう。
 緊迫の次回へつづくのだった。


 真・餓狼伝の1話表紙には文吉以外に5人の男が出ている。
 そのなかに刀を構える疵面の男がいた。(1巻
 ヤツは京太郎の成長した姿だろうか?
 髪型・雰囲気は似ているのだが、疵の位置がちがう。
 別人なのか、疵が薄れたころに、別の疵を作ったのかハッキリしません。

 どちらにしても、獅子の門で言えば芥菊千代みたいな感じの、暗くてネチっこい執念オーラを感じる。
 タイマン張ったらダチになってしまうタイプなんだろうけど、そこに行くまでが重く険しい道のりっぽい。
 仲良くなったら二人でカマキリ喰ったりするんだろうか。


 前回感想でいただいたコメントより
> 丹波親子が出稽古形式にせずアポなしの本格的道場破りをしている理由ですが
> 丹水流の伝統的な修行の一環として道場破りをしている以上
> 出稽古ではなく本格的道場破りをするのが伝統だからではないでしょうか?

 分裂や衰退をしている丹水流なので、どっかで伝統を間違ってしまった可能性もありますね。
 たとえば流鏑馬ですが、あれって本来は進行方向の正面にある的を撃つものだったそうです。
 それを徳川吉宗が復活させたときに、進行方向の横にある的を撃つようにしちゃったとか。(弓矢と刀剣

 現代日本柔道の投げによる一本を狙う柔道という伝統も戦後になって作られたものです。(木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
 丹水流の道場破りと言う伝統も、どっかで間違って伝わった可能性がありますね。

> 親父様が武に目覚めた事が、悲劇につながっていくんでしょうかねぇ
 これは大いにありますね。
 ハンパに強くなったせいで、自信過剰になって失敗するのは良くあることです。
 ここから生じた事故を、文吉が講道館のだまし討ちと受け取る可能性もありそうですね。

 しかし、久右衛門さんの死(?)に関する謎にいくと思いつつ、いきなり横道にそれましたね。
 久右衛門さんの謎が解明されるのはいつなんだろう。
 ちなみに、秘奥義・虎王は正体があかされるまでに10年かかりました。


2013年8月22日(38号)
第二十五話 / 剣士

 真餓狼伝は今週お休みなんですが、ちょうど先週の更新を私が休んだので、先週の感想を書く!
 丹波文吉15歳が今宵向き合うのは同年代の少年だ。
 相手は黒岡京太郎、帯刀している!

 二本差しだよ!
 めちゃ武士度高いな。
 明治三十年代だから、銃刀法違反というか廃刀令に違反しているよね。
 夜の人通りが少ない時代だろうから、見つかる確率は低いだろうけどキケンな行為にちがいない。

 ヤる気(日本刀装備じゃ、殺る気だよね)じゅうぶんの京太郎だが、文吉は戦う気が無いようだ。
 丹水流の同門だし、真剣で戦う必要もなかろう。

「廃刀令知らねーのかよ」

 戦闘マニアの丹波文吉に言われてしまった。
 ……やっぱ、刀ダメですか。
 実際のところ、廃刀令の実行ってどんな感じだったのだろう。
 刀をもっている人間は、ほとんど元武士だったのだろうけど、こっそり帯刀していそうだ。
 明治になっても辻斬りとかがあったんだろうな。

 京太郎の黒岡家は代々小柄の家計だったらしい。
 丹水流に入門して長剣を学んだ黒岡一族は強くなった!
 峰隆一郎の剣豪小説だと、低い位置からの斬撃のほうがリーチが長くなって有利だとある。
 小兵の長剣はあなどれない魔剣なのかも。

 だが、時代はうつり刀の装備は禁じられた。
 黒岡一族の誇りは失われる。
 誇りをうばわれ、京太郎は狂ったのだろう。
 うん、あきらかに狂っている。刀振り回しているし。
 キチガイに刃物を地で行っている。

 でも、刀の時代が終わったのは、幕末の動乱で気がついてほしかった。
 銃器が発達したおかげで、鎧が役に立たず軽装の機動力によけるほうが生存率が上がり、それゆえ刀が活躍できた逆転現象もあった。
 しかし、時代の流れとして刀は廃れていく。明治の人だって、それは感じていただろう。
 でも、ワカっていても、流れに逆らいたい人もいるはずだ。
 ムービーの無いドット絵のシンプルな2Dゲームが好きだって人もいるんだし。ちょっと、ちがうか。

 京太郎が大声でわめきながら刀を振り回していたせいか、馬に乗った警官に見つかった!
 なんの言い訳もできません。
 速攻で病院(精神の)に連れて行かれてもおかしくない。
 いや、明治時代は精神科医なんて整っていないか。

 ヘッポコのくせに刀を装備している警官を、京太郎はゆるせない。
 京太郎は警官を挑発して抜刀させる。
 警官はいきなり京太郎に斬りつけた。
 この警官も、かなりイカレた人ですね。
 日本刀は人間を狂わせるのだろうか……

 警官の抜き打ちを京太郎ははじき返す。
 鋭い一撃で警官は刀をはじかれ、馬に刺してしまう。
 刺された馬が当然のように暴れる。
 これはキケンな状態だ。
 だが、京太郎はひるむことなく、馬の首を一閃して斬りおとすのだった。

 馬を斬るとは、とんでもない腕前だ。
 人間で言えば体を二つ重ねて両断する二つ胴ぐらいできそう。
 剣鬼の末裔だけに、すごい使い手だ。

 正直いって、文吉はこんなんとは戦わないほうが良さそうだ。
 剣と素手じゃ圧倒的に素手のほうが不利なんだし。
 それでも、戦わずにいられない餓狼の心をもつのが文吉なのだろうけど。

 京太郎が武器の使用を辞さないのなら、文吉も武装したほうが良さそうだ。
 せめて手甲などの防具を装備しておかないと。
 丹水流の必殺技である煙幕卵を使用するのもアリだろう。
 倒れている警官から拳銃をぬきとって使用したら、ちょっとアウトだろうけど。


2013年10月3日(44号)
第二十六話 / 武士

 しばらく休載だった真・餓狼伝が復活だ!
 でも、主人公・丹波文吉は出てこないぞ。
 おいおい。
 ……実に餓狼伝らしい展開じゃないか。
 主人公は餓えた狼だ。つねに出番に餓えている。

 前回、警察官の乗馬を切り殺してしまった黒岡京太郎は和歌山東警察に連行されていた。
 明治三十年代の警察だから、法の運行とかもテキトーなんだろうな。
 怪しいヤツを捕まえて拷問で自白をとれば有罪確定と考えていそうだ。
 もっとも京太郎の斬馬は現行犯逮捕だった。
 冤罪とかの心配はいらない。

 廃刀令の世にあっても武士であろうとするのが京太郎だ。
 縛られた状態で警官にケンカを売り、相手の斬撃で自分の縄を切らせ、拾った箸を武器にして逆転する。
 すごいな、剣状のものさえ持てば無敵かよ。
 だったら常に箸ぐらい携帯していれば、24話でカマキリ喰わされそうになることもなかっただろうに。

「秀(すぐ)れたる剣士ば ゆー者は」
「小枝一本」「箸一本」
「持てば」
「刀にも金棒にも変えよる」


 ここで登場したのが警視総監だ!
 すごいエラい人が出てきたぞ。
 刃牙の園田警視正よりも、ずっとエラい。
 つうか、警察のトップだ。

 そして、警視総監も箸でふがいない警察官のヒゲやメガネを斬ってみせるのだった。
 この人も達人だ。
 部屋に剣士が二人。勝負でしょう。

 なお、このころ(1902年ごろ)の警視総監は大浦兼武である。
 作中では名前が出てこないがWikipediaにのっている写真とそっくりなので、大浦で間違いないだろう。
 実在人物をいじるのはキケンだから名前を伏せているのだろうか?

 警視総監の望みで、二人は真剣勝負をする事となる。
 その攻防は互角ッ!
 いや、警視総監のつかう技は示現流だろう。
 なんども斬りあっているのは、京太郎が示現流の強みを消していると言うコトなのかも。

 警視総監は戊辰戦争西南の役で戦ってきた実戦経験者であった。
 西南の役で、警視総監は黒岡喜八と戦った。
 喜八は黒岡京太郎の父である。

 小兵ながら負け戦でも凄絶に戦いつづける喜八の姿は武士の鑑であった。
 警視総監はまるで、共に戦った戦友について語るように話す。
 タイマンはったらダチ、ってコトなのだろう。
 もちろん京太郎ともすでにダチだ。

 だが、黒岡喜八は三年前に自害した。
 武士としての生きかたを奪われた喜八は、生きる目的を失っていたのだ。

 どう死んだのかは言及されていないが、やっぱり切腹なんだろうな。
 武士にとって最高の死に方は討ち死にで、次が主君に命じられての切腹だとは、『死ぬことと見つけたり』のセリフだ。
 太平の世じゃ戦争が無いから、殿に諌言しまくって憎まれて切腹申し付けられるしかない! ってことらしい。

 自主的に切腹だと価値がさがりそうだけど、武士と言うのは自分で自分に始末つけられる者のことだ。
 切腹は武士の証ですね。

 警視総監は武士が活躍できる場を作るから、それまでガマンしてくれと熱く約束するのだった。
 つまり、それって戦争するよ宣言なのか?
 武士らしい活躍をするには戦争しかないよな。
 イイ話のようで、物騒な話であった。

 そして、丹波文吉は姿どころか名前すら出てこない。
 かろうじて表紙にはいますが。
 そんなんだから格闘漫画界のグラビアアイドルなんて言われるんだよッ!(※ まだ言われていません)
 文吉は京太郎と一緒につかまって留置場で放置されているんだろうか。
 次回までに復活すれば良いのだけど。


 江戸幕府を倒した薩長連合が薩摩幕府などを作らず、廃藩置県で中央集権をしたのは国民皆兵にしたかった点がある。
 藩ごとに兵を集めて、集合して戦うのは足並みがそろわない。
 オマケに装備も戦闘方法もちがうから統一した動きが取れない。
 今年の大河ドラマ『八重の桜』でも、他藩は銃が旧式なうえに火薬の配合が古くて困るといっていたシーンがある。
 攻める薩長連合にしても、いろいろと連携が取れなくて困ったことがあっただろう。

 諸外国と互角になるためには、確実な兵の動員と統一された訓練が必要だ。
 人数的には少数である職業戦士=武士は近代的な軍隊にとって不要な存在である。
 西欧で騎士が廃れて行った現象がおくれて日本にも発生したってコトだ。

 滅びゆく武士の悩みは丹波文吉もかかえているハズ。
 なんだけど、文吉は今、なにをしているんだろう。
 今回はじめて読んだ人は確実に主人公は京太郎だと誤解しただろうな。

 誤解をとくためにも、最初から読んでもらう……
 ……じゃなくて、次回からキッチリ活躍してもらうしかあるまい。
 思い返すと、第一話からすでに主人公誰よ? ってぐらいに丹波文吉の出番って控えめだった。


2013年10月10日(45号)
第二十七話 / 黒岡の剣

 黒岡京太郎が拘留されていたころ、丹波剣三郎ひきいる紀州丹水流では総道場生勝ち抜き戦が開始されようとしていた。
 勝者は丹水流交流会の出場資格を得る!

 丹波文吉と父・久右衛門は丹水流本家の人間だから別枠で参加できそうなんだけど。
 文吉が勝ち抜いたら、剣三郎の道場から出場できる人間がいなくなってしまう。
 わりと空気読まずに勝利をかっさらうのが丹波親子だから、いいのか。
 細かいことを気にしていたら道場破りや、闇討ちなんてできません!

 文吉は久右衛門にストレッチを受けながら、京太郎の黒岡一族と丹波との因縁を聞くのだった。
 試合前とは思えない緊張感の無さだ。
 それだけ文吉の強さは図抜けているみたいだしな。
 でも、油断禁物だぞ。

 黒岡家は丹水流の分家だった。
 本家・丹波と黒岡はライバルなのだ。
 当時は剣術全盛期だった。
 え〜と、江戸末期ごろだよね。
 物騒な時代なので剣術が大流行していた時期だな。

 丹波久右衛門と黒岡喜八は同年代の友となる。
 のちに京太郎の父となる喜八は、当時10歳にして剣の達人であった。
 久右衛門はこのころから才無しのぼっこれ(壊れた)武道家である。

 だが、喜八の剣術を見ているうちに、久右衛門は彼の剣術を読めるようになってきた。
 のちに理論派となる久右衛門の土台は、この幼年期につちかわれたのだろう。
 でもって、下手に天才的な友人を持っちゃったから、才能に対する自信をなくしちゃったんだろうな。
 武術理論はしっかりしているんだから、ちゃんと修行していたら人並み以上の実力になっただろうに。

 さらに大きな問題があった。
 幕末の動乱を生き延びたのは丹波文吉、久右衛門の親子と黒岡京太郎の三人のみだ。

「…他は全員 明治の変革で」
「死んでしもうた」


 ほぼ全滅かよ!
 って、剣三郎はノーカウントなのか。
 というか、にわき藩の丹水流が全滅したってコトなのだろう。
 前に久右衛門が、父や5人の兄弟は戊辰戦争で死んだと言っている。(2巻 九話
 東北の藩だから、最新の銃で武装した薩長連合に虐殺されたんだろうな。

 次回は秘められた丹波家全滅の歴史が語られるのだろうか?
 鉄砲の前に武術は無力であり、武を学ぶ虚しさを知ったのかもしれない。
 武吉と京太郎はどちらも時代に置き去りにされた存在だ。
 二人は、仲良くなれると思うんだけど。
 武を極めようとする限り、二人は戦う運命なのかもしれない。


2013年10月17日(46号)
第二十八話 / 父の汗

 紀州丹水流の総道場生勝ち抜き戦もクライマックスだ!
 もう、クライマックスかよ。
 さすがに選手入場から初めて全試合を中継するワケには行かなかったようだ。

 丹波文吉は飛びつき腕十字で雲藤を倒し、決勝進出を決める。
 やっぱり、文吉はまだ打撃をマスターしていないようだ。
 小兵ゆえの身軽さを利用してアクロバティックな戦いをしている。

 ところで、丹水流の道衣は現代の柔道や空手と同じくズボンのすそが足首まである。
 もっとたけが短いタイプが当時の主流だったハズだ。
 長いズボンは蹴り技の多様と共に普及していったらしい。
 丹水流には蹴りを含む打撃要素があるのだろう。

 決勝戦は文吉 vs. 能見だ!
 選手紹介が無いから能見が強いのか弱いのか、さっぱりワカりませんが。
 本家からきた文吉にとって、紀州はアウェーである。
 よくぞ決勝まできたもんだ。

 決勝戦までのあいだ、父・久右衛門が文吉の体をマッサージしている。
 丹水流の回復術らしい。
 剣三郎は、回復術など役に立たない技術だと言う。

「武は」「寝る間も惜しんで稽古に稽古を重ね体を痛めつける」
「これに尽きます」


 古い考えだ。
 少なくとも近代スポーツでは適度な休息をとったほうが筋肉の発達に良いとされている。
 昔の人だから根性論を言っているのかもしれない。
 ただ、経験を積み重ねて完成していった武術では、筋トレを不要とするものが多いのだ。
 紀州丹水流は当時としてもちょっと変わった流派なのかも。

 決勝戦は延長戦に入った!
 ずいぶん近代的なシステムですね。
 柔道でも戦前の高専柔道は決着がつくまで終わらない制限時間無しだ。
 現代の相撲だと立合い前の仕切りに制限時間と待った罰金があるが、昔はなかった。
 江戸時代の相撲は仕切り中に出て行った人が、帰ってきてみたらまだ立合いが始まっていなかったと言う笑い話があるぐらいだ。

 丹水流はスポーツとしての形式を整えつつあるのかもしれない。
 もしかしたら、嘉納治五郎の影響があるのかも。
 文吉が嘉納治五郎をうらむことになるエピソードはいつになるんだろう。

 とにかく、延長戦がはじまる!
 だが、すでに能見は息を乱していた。
 文吉は汗をかいているが、呼吸がみだれていない。
 これは余裕の投げ! アンド、袈裟固めっぽく押さえて、左ヒジを極める!
 見事な複合技で文吉の一本勝ちだ!

 文吉の勝因は疲労の少なさだった。
 どー見ても回復術のおかげですね。
 剣三郎はグヌヌと怒るしかなかった。

 優勝した文吉は勝利の余韻にひたるヒマもない。
 警察官の馬を斬殺して逮捕された黒岡京太郎がいた!
 もう出てきたのかよ。

 というか、乱入する気か?
 素手部門だけでなく、剣道部門もあるんだろうか?
 さすがに素手で剣道と勝負するのはムリだよな。
 オマケに真剣を装備されたら、道場が血の海になりますよ。
 次回、どうなる?


 武術は健康術や医療とも関わりがある。
 回復術って充分に実戦的だとおもうのだが……
 板垣先生が所属していた空挺部隊も富士山一周での休憩時間にクツ紐ゆるめたりとか回復のテクニックがあったし。
 そういった回復の知識を知ったら富士山一周も楽勝で、一度も座らずにクリアできたと板垣先生は言っていましたが、……やっぱ刃牙の作者だよね、この人の言動は。

 イブニングで連載している自転車漫画『のりりん』で、疲労には筋肉の疲労と心肺系の疲労があって、筋肉の疲労は回復しにくいけど、心肺系は回復しやすいって話があった。
 丹水流の回復術も呼吸を整えて、心肺系を回復させる術なのかも。

 剣三郎はヘタに戦う才能があったから、直接戦闘に関わらない部分を軽視しているのかもしれない。
 久右衛門は古流の武術と、近代のスポーツを両立させることのできる逸材だ。
 武術とスポーツの両立は、嘉納治五郎も目指しているかもしれない。
 そうなると、久右衛門の功績を嘉納治五郎が盗んだ(と文吉が思っている)可能性があるのだが……
 真相はいつごろワカるんだろう。


2013年10月24日(47号)
第二十九話 / 剣に、父に、丹水に。

 紀州丹水流の総道場生勝ち抜き戦に丹波文吉が優勝した!
 そのめでたい瞬間に、黒岡京太郎が出現する。
 警察用の馬をブッた斬る罪状でつかまったが、起訴されないですんだようだ。

 現代風に言えばパトカーを爆破したようなもんだよな。
 直せないほど粉みじんにした。
 未成年とはいえ、放置していいものだろうか。
 損害金額って現代換算でどれぐらいだろう。
 騎兵隊って日露戦争でも活躍していたし、馬はまだ現役なんだよな。
 ……高そう。

 紀州丹水流の剣三郎は丹水流の看板に泥をぬったと京太郎に鉄拳制裁をくわえる。
 武術は指導者の技量が高ければ体罰など必要ないという説があります。(「オリンピック選手に体罰」が行われる謎を解く
 いっぽう柔道の木村政彦はシゴキともいえるほどの壮絶な練習を受けていた。(木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか)
 教える牛島辰熊は超一流の技量を持っていた。
 武術者ではないが会計の家系である加賀の猪山家ではソロバンで頭を殴るようなスパルタ教育をしていた。(武士の家計簿

 個人的に体罰は良くないし、非効率的だと思う。
 ただ、教わる側の意欲や教える側の必死さなどで、体罰が生じてしまうのは避けられないのかも。

 剣三郎は京太郎に破門を言いわたす。
 門下生が文吉に負けたから気が立っているんだろうな。
 太浦警視総監がとりなそうとするが、剣三郎は聞く耳をもたない。

「引っ込んどれッ」
「ワシは署長とは昵懇ぞッ!」
「余計なコト言うとクビ飛ばすぞッ!!」


 うわっ……
 知らんとはいえ、警視総監になんてことを。
 昵懇の署長のほうがクビ飛ばされちゃうよ。
 このへんの権威主義的な言動は武士らしさの悪い部分でしょうね。

 相手が何者かを剣三郎が知ったら、どんな謝罪をするのだろうか。
 丹水流の超必奥義・南無三宝落日土下座(高い跳躍から一回転して頭を地に叩きこむ土下座)が炸裂だな!

 ところで警視総監の名前が大浦ではなく、太浦になっている。
 本名丸だしだと、多少問題があるのかもしれない。
 あるいは、『レッドクリフ』に登場したオリジナル武将と同じような意味で、死亡フラグかも。

 時代に捨てられ生きる目標のもてない京太郎は自暴自棄になった。
 京太郎の言動に、みな多少なりとも動揺している。
 剣は早い時期に捨てられた。
 柔術もいずれ捨てられていくとの予感がある。明日は我が身だ。
 少なくとも文吉の父・久右衛門は武の終わりを感じていたから、文吉に学問をさせていたのだ。

 だが、そこに口を挟むのが文吉です。
 文吉は若いから、まだ武の立場をワカっていないのだろう。
 でも、怖いもの知らずの行動が物事を動かしたりもする。
 こんな大人、修正してやれ! これが若さか……

 難しいことはわからんが、とりあえず……
 闘やらないか!
 文吉は京太郎の父・喜八が残した刀を踏み折って挑発するのだった。
 京太郎が怒りのあまり福本伸行絵みたいに、ぐにゃっているッ!

 これは確かに勝負するしかない流れだが……
 勝負したら全部解決するのだろうか?
 夢枕空間に引きずりこんで闘えば理解しあえるのが餓狼伝なのだ。
 しかし、折れた刀は元にもどらないぞ。

 京太郎や時代に取り残された武士の無念を浄化することができるのか?
 丹波文吉 vs. 黒岡京太郎
 この戦いは、素手 vs. 日本刀となるのか!?


2013年10月31日(48号)
第三十話 / 拳対剣

 日本刀は武士の魂だ!
 その魂を踏んで折ってしまうのが丹波文七です。
 この暴挙には道場生たちも声が出ない。

 黒岡京太郎の刀は父の形見でもあった。
 刀だって消耗品なので、よほどの名刀で無い限り使えばけっこう折れる。
 まあ、「折れる」と「折った」の間にはそうとうな差がありますが。
 武士の魂ってヤツの信憑性はともかく、形見を折っちゃうのがマズいよな。
 文吉は知らないのだろうが大問題だ。

 だが、折った文吉のほうが逆ギレ気味に京太郎に食ってかかる。
 京太郎の襟をつかんで引きずりおこし怒鳴った。

「お前は"時代"と闘いてーのか!?」
「"強えー奴"と闘いたいんじゃねーのかッ!?」


 あまり口が上手くなさそうな文吉にしては、ストレートにわかりやすい。
 時代に取り残されるとか、武士の時代が終わったとか、それはそれだ。
 "強い奴と闘いたい"ってのが餓狼の心である。
 それは戦国時代だろうが、明治だろうが、平成だろうがかわらない。
 宮本武蔵も、丹波文吉も、丹波文七も強い奴と戦うために放浪するのだ。

 そんなワケで、文吉のセリフこそが餓狼伝シリーズのテーマであり、餓狼伝シリーズが描いていく物語ですね。
 宮本武蔵も、丹波文七も、どちらかといえば時代に置いていかれてしまった男だ。
 それでも放浪しながら強さをもとめて闘いつづける。

 前田光世は闘いつづけていたけど、強さを求めていたのかというとワカらない。
 もしかすると、人口過剰で海外に移住せざるをえなかった同胞たちの誇りのために戦っていたのかも。
 だとしたら強さは手段であって目的にならない。
 真・餓狼伝の主人公が前田光世ではない理由が、動機の違いにあるのかも。

 京太郎と闘いたい。
 そう主張する文吉に、太浦警視総監が質問する。
 京太郎とは素手同士で勝負するのか、と。
 文吉の答えは、拳対剣で勝負だ!

 無謀な挑戦に太浦警視総監がのったッ!
 東京で総理がまっているけど、試合の立ち合い人になると宣言する。
 拳対剣 勝負への興味 > 総理 かよ!
 薩摩隼人の血が騒いだら、誰にも止められない!

 真剣じゃさすがに危ないので、京太郎は木刀を使用する。
 たが、丹波文吉は素手で戦う。
 木刀でも打ち所が悪ければ、死ぬッ!
 むしろ安心して全力で打たれたら死亡率が上がりそうだ。
 まさに命がけの"死合"である。

 丹波文吉の丹水流には素手で刀と戦う方法があるのだろうか?
 無かったら、良くて骨折、悪くて死亡だ。
 丹波文吉、初めての死合が始まろうとしている。


 予想通りではありますが、やっぱ素手で武器と戦うことになったか。
 それでいて餓狼伝シリーズの主題を宣言する。
 京太郎との戦いは大きな意味を持ちそうだ。

 丹水流は素手で刀と戦う技術をもっているのだろうか?
 江戸時代は喧嘩両成敗である。
 喧嘩をしたら穿鑿、つまり理由や動機を聞かずに二人とも切腹させるのだ。

 たとえば、浅野くんと吉良くんが喧嘩していたとする。
 現代なら「どっちが先に手を出したの?」「浅野くんです」「浅野くんは、なんで手をだしたの?」「吉良くんが何度も嫌がらせをしてきたので、ガマンできずに爆発しました」「吉良くんはなんで浅野くんに嫌がらせをしたの?」と原因を探るだろう。
 江戸時代なら「喧嘩したか。じゃあ二人とも切腹!」で終わる。
 むしろ、両者切腹にならないと武士の一分が立ち申さぬとなって話がややこしくなるのだが、それはまた別の話だ。

 ならば、喧嘩=切腹を回避するにはどうすればいいのか?
 刀を抜かなければ良いのだ。
 二人とも刀を抜くと喧嘩が成立する。
 一方だけが刀を抜けば乱心だ。
 これで切腹は回避できる。

 だが、問題がひとつある。
 相手が刀を抜いて襲いかかってきたときに、応戦しなかったら すくたれ者(臆病者)と言われる可能性があるのだ。
 『葉隠』聞書十(63)に、同僚の喧嘩に駆けつけ助太刀をした男の話がある。
 喧嘩に助太刀しても処罰される。「しかし、同僚が喧嘩をしていると聞いてそのままにしておけば武道を取り失うと存じ、その場に駈け付けました。同僚が討たれているのを見ておめおめと帰ったとしたら、命は生き延びるかもしれませんが、武士道はすたります。武士道を守って大切な命は捨てました。」と覚悟して助太刀をするのだ。
 奉行はこの男の話に感動したのかお咎め無しだったと言う。(「『葉隠』の武士道」から引用)

 もちろん毎回うまく行くわけもなく、有名な長崎喧嘩では武士らしい行動として喧嘩自体は賞賛されている。
 だが、討ち入った十人は全員切腹(首謀者二人はすでに切腹している)で、事後に駈け付けた九人はと遠流となった。
 武士らしい行動が必要だけど、切腹の可能性も高いのだ。

 なら、どうすればイイのか?
 最高の回答は、素手で相手を取り押さえることだ。
 これができれば喧嘩じゃなくなるし、自分の技量も見せることができる。
 実に武士らしくモテ期も到来するってものだ。
 もちろん、難易度が高いのはいうまでもない。

 丹水流が武士の武術であるのなら、素手で刀に対抗する方法を持っていたほうが良い。
 というか、生きていくためにとても重要だ。
 秘伝として刀に素手で対抗する技があればイイのだが……
 究極の生存術、それは――――土下座ッ! とかじゃ無いよね。


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