今週の『真・餓狼伝』感想(11〜20)
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2013年4月25日(21+22号)
第十一話 / 武の道
明治29年(1896年)、丹波文吉は九歳でありながら餓狼の心をもっていた!
これこそ餓狼伝BOYだな。
明治だと数え年だから、満年齢でいえば7〜8歳になる。
いくらなんでも幼すぎないか?
最強のケンカヤクザ花山薫だって10歳のころは見かけは普通の子供で声は
くまいもとこ
だったんだぞ。
花山さん、その後の五年間で育ちすぎです。
倍以上に大きくなっとる。
餓狼の衝動に突き動かされた文吉は級友たちを全滅させてしまう。
共食い餓狼の文吉とか呼ばれてしまいそうだ。
なんか悪役パターンだぞ、それ。
当然、父の丹波久右衛門からおしかりを受けるのだった。
文吉が勉強熱心だったのも、丹波の技・丹水流の秘伝書を読むためだったのだ。
そして、ついに級友に実践してしまう。
「ならんッ ならんぞ文吉!! 今は武の世ではない」
「"武"なぞ絶対に許さんッ!!」
級友をブン投げた件はお咎め無しかッ!?
さりげなく、この父も狂気を持っていそうだ。
というか、明治はこういうアバウトな感覚なんだろうか。
武を学ぶのはイイけど、友達に使っちゃダメって怒るのが普通だよな。……だよね?
友達をブン投げたのはともかく、武を学んじゃダメ、なのか。
丹水流は恐ろしい武術だ。
久右衛門の一つ上の兄・仁右衛門は稽古中に死んでいる。
そして、それほどの苦難を超えて強くなった久右衛門の兄たち5人も戊辰戦争で銃と砲で死んだ。
もはや個人の武勇が光る時代じゃない。
だが、文吉は反論する。
文吉がひそかに学んだ丹水流の秘伝書は、久右衛門が書いたものだ!
「父上はよくご自分のことを」
「"武の才能がない"」
「とおっしゃられます……」
「…もしかしたら」
「本当にそうなのかもしれません」
「ですが」
「父上の"武の知識"は一族の誰より」
「すぐれています!!!」
久右衛門は実践よりも理論のほうが得意らしい。
本部以蔵タイプか……
武器をもたせると化けるかもしれない。
文吉、これからの世は"武"ではない。兵器じゃ! 丹水流
ガトリング
術で敵をなぎ倒していたりして。
久右衛門は武の世じゃないと言いつつ、こんな秘伝書を書いている。
本当は武が大好きなのだろう。
しかも、秘伝書を読んだだけの文吉が強くなっている。
とても有効で完成された秘伝書なのだろう。
実際の秘伝書は、本単体じゃ役に立たないことが多い。
今回の文吉のように誰かに見られたり盗まれて、情報が流出したら困るからだ。
秘伝書に言葉と技で伝える口伝が加わって秘伝は完成する。
久右衛門が書だけで完結してしまうモノを作ったのは、本人の趣味と伝えるべき技にキレが無いからだろうか。
あくまで武を学びたいと文吉は言う。
ならば、この父を倒してみよ!
思いがけず、
九歳の子供 VS. 大人
になった。
文字通り、大人気ない。
どんなに強くても満7〜8歳の子供ですよ。
サイヤ人とか範馬の血を引いているならともかく、大人に勝てるわけない。
丹波久右衛門、容赦せん!
(文吉…お前は)
(ワシに)
(倒され)
(現実を)
(直視するのじゃ)
『…その夜 丹水流宗家 丹波久右衛門は一子・文吉に――――――
17度極められた』
ボロ負けしたァ――――ッッ!!
完敗だよ。
17回も負けた。
たまたま偶然とか、相性とか、そんなチャチなもんじゃなく弱すぎだ。
丹波久右衛門、ここまで才が無かったのか。
いや、文吉に才があるのかも。
世が世なら切腹コースの負けっぷりだ。
だが、久右衛門は我が子の才に感心する。
自分の子なら、子の勝利は親の勝利と置き換えられるし、イイか。
久右衛門は子とともに武に狂ってみようと決意するのだった。
決意するまでに17回極められたから、そうとう迷ったんだろうな。
こんだけ弱かったら文吉も素直に教わりにくいのかもしれない。
とにかく、丹波文吉は最強の知恵を手に入れた!
秘伝書だけで強くなったのだから、久右衛門の理論は素晴らしいのだろう。
もしかしたら、この知識を
嘉納治五郎
にも提供したのかも。
嘉納も東京大学をでた理論派だ。
久右衛門の秘伝書をもっともよく理解できる人間の一人だろう。
嘉納が久右衛門の秘伝書をよんだにも関わらず、久右衛門への感謝などが無かったとしたら……
文吉にとって嘉納の講道館は父のカタキと認識するキッカケになるかもしれない。
それが、講道館の門下生への闇討ちというかたちを取っているのだろうか。
あと、丹水流は子沢山だったんですね。
こりゃ紀州丹水流も大人数っぽいな。
油断すると丹波文吉が埋もれてしまうぞ。
まあ、そのときは父から譲り受けた解説術で活躍すればいいのかもしれない。
しかし、徹底的に弱い主人公の父親ってのは斬新だ。
文吉は、20回の大台にのる前に決着をつけたって事だ。
2013年5月9日(23号)
第十二話 / 共に積みし夢
強さをもとめる少年、丹波文吉が動きだす。
指導するのは実父・久右衛門だ。
武の才能はなかった久右衛門だが、知識と理論に優れている。
教師としては一級品だ!
ワシの考えた最強育成方法が炸裂するぞ!
これは、柔術家養成ギブスが出てきそうだ。
『「水背負
(みずしょい)
」』
『という鍛錬法がある』
道着厚く着こんで水をかけることで負荷をかける修行だ。
柔術家養成ギブスきちゃったッッ!!
父親は息子のために養成ギブスを作らないかん時もあるんですよ。
古武術はあまり筋肉を鍛えない。
筋肉の強さは、そのまま個人の強さになる。
だが、この考えを突きつめると、体の大きい人間が強いと言う話になってしまう。
だれでも強くなることができる技の探求こそが武術に求められているのだ。
そういう点から考えると、丹水流は筋トレに近い鍛錬を取りいれている。
ちょっと異質な武術だったのかもしれない。
丹水流が最強といわれているのは、筋肉と言う実をとったためかも。
でも、パワーで対抗するかぎり欧米人の体格に苦戦する事になるだろう。
丹水流の将来がすこし不安だ。
そんな感じで鍛えた丹波文吉は、講道館屈指の実力者である前田光世と互角に闘っている。
おっと、回想から戻ってきたか。
肝心の丹波文吉が講道館に恨みを持った原因が回想されていない。
恨みの原因は今後のお楽しみだろうか。
丹波文吉と前田光世は激しい打撃戦をつづけていた。
殴りつつ、投げる。
打撃だけでは決定的なダメージが与えられず、ふたりとも投げを狙っているようだ。
落としたダメージだけでなく、寝技に持ちこんで関節技を狙っているのだろう。
それだけに両者共に緊迫した攻防がつづいている。
服は破れていく。
奇しくも同じタイミングで二人は服を脱ぎすてて上半身裸になる。
裸になるとソデやエリをつかめない。組み技が不利になる。
新たなパターンでの攻防になりそうだ。
(……なあ 前田さん)
(…俺たちは一体どれ位)
(闘っていたんだろう)
(…まだ一刻しか経ってないような)
(もう…一刻が過ぎ去ったような…)
季節によって変わるけど
一刻
はだいたい30分だ。
季節が夏だとすると夜が短いので、夜の一刻は30分より短くなる。
どちらにしても
ボクシングなら10Rぐらい戦ったような状態だ。
しかも休憩なしで。回想はあったけど。
ふたりともスゴい体力だな。
ハダカになってつかみどころが無くなったためか、さらなる打撃戦がつづく。
両者同時にゲロを吐くなど、ダメージも体力消耗も限界だ。
ふたりとも決着が近いことを感じていた。
ついに勝負がつくのか? 次回につづく。
この極限状態でも笑顔だ。
殴り合っているうちに、ワカりあえちゃうパターンですね。
そりゃ、これだけさらしだしたら相手のことがよく見えてくるだろう。
年齢が20台でアブラののっている前田に対し、丹波は若すぎる。
10台の体はまだ成長期で不安定だ。
それでも体力の削りあいで互角に戦えているのは丹水流の修行が良かったのだろう。
技だけでなく、体力もつける。
丹水流は、かなり近代的な理論の武術だ。
今のところ丹波文吉が出しているのは基本的な技ばかりに見える。
この辺で丹水流の秘奥義とか出して欲しいところだ。
なにしろ知識が豊富な久右衛門が再構成した丹水流である。
必殺技が無いはずが無い。
餓狼伝における虎王のようなスゴいヤツが飛び出すんだろうか?
タイトルが餓狼だけに"狼"が技名に入っているとイメージ的にも良いかもしれない。
たとえば、
狼牙風風拳
とか。
……ヤムチャは、イメージ良くないか。
2013年5月16日(24号)
第十三話 / 丹水流奥義
明治37年(1904年)夜の路上でひそかに最強対決が行われていた。
丹波文吉 vs. 前田光世だ。
かつて最強と自称していた丹水流と、飛ぶ鳥を落とす勢いの講道館との代理戦争ともいえる。
そんな、ふたりの闘いもそろそろ結末をむかえようとしているらしい。
「…月」「か?」
「うん」
闘いのさなかに丹波が月を見ていた。
よそ見するとは、余裕だな。
むしろ、打撃を受けすぎてボーっとしていたのかもしれない。
そんな丹波に不意討ちしないで話しかける前田は大人だ。
いや、もうこの二人は拳で語りあって友情を深めちゃったっぽい。
妙に詩的な会話をかわしている。
二人とも、つぎの攻防が最後になると確信していた。
これが最後の会話だ。
文吉は文吉で、月に思い入れがあるらしい。
父・久右衛門との修行で、月が大きな役割をはたしていたのだ。
文吉は日本刀で斬る修行をしていた。
厳しい鍛錬のすえに、巻藁を縦に一刀両断できる技量となる。
だが、丹水流は無手の流派なので刀をつかわない。
古流の武術は武器を使うことが基本だ。
なにしろ
武士は基本的に帯刀している。
もっている武器なら使うしかないでしょう。
だが、武士は刀を抜けないときもある。
登城中などは刀を抜けない。
テロ防止や主との力関係を見せつけるためにも、気楽に抜刀されちゃこまるのだ。
またケンカを売られたときに抜刀するのも勇気がいる。
江戸時代は喧嘩両成敗だ。
喧嘩したものは穿鑿(せんさく)しないで処罰する。
穿鑿、つまり「動機・事情」を聞かない。
黙って二人とも切腹だ
。
実際に「自分が一方的に恨んでいるだけで相手は事情を知らない」と言った武士もいる。
自分が死ぬ気になれば相手を破滅させることができるのが武士社会なのだ。
もちろん回避方法もある。
相手が抜刀して襲ってきたときに、自分も刀を抜くと喧嘩になってしまう。
逃げたら武士として失格となり、切腹すらゆるされず斬首と言う可能性もある。
だが、
素手で相手を取り押さえたら喧嘩ではなく「乱心者を取り押さえた」という言い訳ができるのだ。
もちろん素手で取り押さえるのは非常に難しい。
しかも、相手は自分を破滅させる気で襲いかかっているワケだ。
取り押さえるには、そうとう高度な技術が必要になる。
そこで、素手の丹水流ですよ!
ってコトなのかもしれない。
丹水流が素手にこだわるのは武家社会を生き延びるために必要だったのかも。
そして、丹水流は素手でも戦えるおそろしい技を編みだしたのだ。
父・久右衛門は語る。
「これより」
「丹水流秘奥義を伝授する」
「「その身を以て刀となす」」
「必勝を期す その時お前自身が大刀となるのじゃ」
無手でありながら、斬撃を放つ!
これが丹水流の技か。
素手と日本刀の間には、かなり大きな溝があるんですけど、どう埋めるんだろう?
文吉は日本刀で斬る修行をしていた。
まっすぐ垂直に斬り込む方法だ。
垂直に斬ると丈夫な額の頭蓋骨にあたる。
頭蓋骨に当たってすべり仕留めそこなう可能性があるだろう。
カブトをかぶっている相手のことも考えると、首筋に打ち込むほうが理にかなっている気がする。
垂直の斬撃にはなにか理由があるのだろうか。
「雲を割
(さ)
き月を断つつもりで斬り込むのじゃ」
これが丹水流秘奥義の極意らしい。
見事なまでに観念的な説明だ。
これなら他人に聞かれてもまったく問題ない。情報隠匿の効果がバッチリですね。
技名は『雲割月断』とか、そんな感じだろうか。
漢語風にするなら動詞が前にくるから『割雲断月』になるけど、どっちだろう。
月を断つつもりってのは天空に届かせるような心持で打ちこむとか、そういう話だろうか。
武術の中には「大地のエネルギーをうける」とか「宇宙との融和」とかの、東洋哲学的な悟りまで達しちゃうものだってあるのだ。
月に武術があっても、おかしくなかろう。(い〜や、おかしい)
丹波は飛び上がり、月を断つのかのごとき一撃を振りおろした!
このが丹水流の秘奥義かッッ!?
ついに飛び出した必殺技は成功するのか?
次回につづく。
小説・餓狼伝に登場する必殺技の"虎王"は名前が出てから正体があかされるまで10年かかった。
丹水流秘奥義は同じ道を歩むのか?
この時の決着はさておき、と前田が回想を切り替えちゃったら非常にこまる。
すでに、丹波文吉が嘉納治五郎を悪く言う理由が後回しにされているのだ。
丹水流秘奥義も肝心な部分を隠して10年間熟成させるかも……
お願いですから、来週すなおに正解発表してください。
2013年5月23日(25号)
第十四話 / 丹水流秘奥義
明治37年(1904年)の死闘も決着が近づいている。
丹波文吉は父と共に開発した
丹水流秘奥義
を出す気だ。
それを受ける前田光世にはどんな技があるのか?
講道館には山嵐・天狗投げ・空気投げなどステキな技が実在している。
前田はそういった技を持っていないのだろうか?
けっこう地味でマジメな人だから、キラキラした技をもっていなさそう。
「丹水流秘奥義」
「「南無三宝断月独楽
(なむさんぽうだんげつごま)
」」
「いくよ」
「…………」
「来い」
先に技名を言った!
長い。漢字8文字だよ。
しかも、なんか難しそう。
前田が思わず「…………」となったのは、「なむさんぽうだんげつごまってどんな字だろう」と思ったにちがいない。
とにかく、名前からは技が想像できにくい。
奥義ってのは流派にとって重要機密だから技名を知られても平気というのが、けっこう重要なのだ。
戦車をTANKと言うのは、開発したイギリスが情報漏れを警戒して水タンクと呼んでいたという説がある。(
戦車謎解き大百科
、
wikipedia
)
また、イギリスの特殊部隊
SAS
(Special Air Service)が陸軍なのにAirが入っているのは、設立時に偽装していたためだ。
さらに、イギリスの情報機関がMI-6とか
SIS
とか名称が定まらないのも、いろいろと情報を操作した結果らしい。と、作家の
フレデリック・フォーサイス
も書いているが、この人の著書でも表記ゆれがあるので困る。
とりあえずイギリス人の言うコトは疑ってかかったほうが良いらしい。
話がそれたが、技名を聞いても疑問がふくらむだけで良いコトはない。
前田は最後の攻防だというのに、ちょっとスキを生んだかも。
これを狙って技名を先に言ったのだとしたら、丹波文吉はかなりの策士だ。
『
大帝の剣
』(
AA
)で宮本武蔵が「なぜ鞘を捨てる」と言って、佐々木小次郎の気をそらしたと評価している。
よくワカらんことを言って、相手を一瞬悩ませるのも有効なのだろう。
疵面の「
謎が解けた
」って、どーいう意味か知っているかい?
丹波文吉が疾走(はし)った。
そして、跳躍(と)ぶ。
まだこれだけの体力が残っていたのか?
ちなみに、この頃の日本人は
三段跳
に優れていて、白人を恐れさせていた。
当時の白人は有色人種を知力・体力に劣る存在だと考えていたのだ。(
人種とスポーツ
)
前田光世が、のちに世界をまわって戦うのはそういった偏見を打ち破るためと言う面もあった。
上空高くとんだ文吉は両手をあわせて振り下ろす。
全身のバネをつかった渾身の一撃だ。
その身を一振りの刀と化したような一撃が前田光世にせまる!
(防御)
(まずい)(早い)
(両手で受けるか)(全体重)(高い)
(ダメだ)(体中が痛い)(疲労)(遠心力)
(両腕とも砕かれる)(左?)
(動け)(右?)(回避)
(半歩後ろにッ)
(間一髪)
渾身の一撃がよけられた!
防御不可の攻撃だったみたいだけど、よけられたらダメか。
立派すぎる名前だった南無三宝断月独楽だけど、デビュー戦が不発ってのは寂しい。
だが、南無三宝断月独楽は終わっていなかった。
手刀を空ぶった文吉はそのまま回転していく。
そして一回転してカカト落としに変化した!
低空状態での胴回し回転カカト落としが前田の脇腹に刺さる!
1話
で前田の脇腹にあった傷はこの時のモノか!(
1巻
)
手刀とカカト落とし、二段構えの必殺技だ。
これが、南無三宝断月独楽かッ!
脇腹から出血し、前田光世は倒れる。
長かった死闘もついに決着か。
不敗の前田光世も、ホントウは敗北していた!?
それとも、まだ立ち上がるのか?
次回へつづく。
ついに丹水流の必殺技・南無三宝断月独楽が披露された。
技名長いうえに、高度すぎるよ。
手刀の一撃をよけられたら、もう一回転してカカト落としに変化する。
こんな体術は猫の三寸返りができるぐらいの力量が必要だろう。(
5話
)
つまり、現在のところ丹波文吉と西郷四郎ぐらいじゃないとできない。
流派の技にするには難しすぎるな。
歴史上、何人も使える人間がいたとは思えない。
丹波久右衛門が文吉の身体能力を見て考えだした技じゃなかろうか。
父親の愛がつまった技ですね。名前が妙に長いのも愛情過多の影響だろう。
南無
も
三宝
も仏教用語だ。
丹水流は仏教徒のつながりがあるのだろうか?
禅寺でもある少林寺とのつながりがあるのかもしれない。
なお、三宝とは仏教における三つの宝である仏・法・僧(ぶっぽうそう)をさす。
そう考えると南無三宝断月独楽は、三段階に変化する技と言う可能性も考えられる。
仏=打つ、法=砲、僧=槍で、カカトも避けられたら、地面からはねあがって手刀を槍に変えて刺してくるとか?
南無三宝断月独楽は、まだ真の姿を隠していそうだ。
2013年5月30日(26号)
第十五話 / 断月独楽
ついに丹水流の秘奥義が炸裂した。
その名も
『南無三宝断月独楽』
だ。
この技は、どんな理合なのか?
解説に本部さんが欲しいところだ。
そんなときは知識だけは天下一品といわれる丹波の父・久右衛門さんの出番である。
回想で登場だ!
……やっぱ、すでに他界しているんですかね。
「両の手を合わせた手刀で」
「先ず擬似攻撃をし」
「前回転の」「猫三寸で」
「足のかかとに全体重を乗せ」「相手の頭部を襲う…」
「これが丹水流秘奥義」
「「南無三宝断月独楽」じゃ」
二段構えの攻撃か。
三宝だから、さらにもう一段あるかと思っていたのだが……
まだ隠していると言う可能性もあるかもしれない。
単に両手を合わせた手刀が拝む姿に似ていて、南無三って意味かもしれないが。
断月独楽は頭部への打撃で完成するらしい。
前田光世はとっさによけて、脇腹に被弾した。
やっぱり実戦で使ったのははじめてだから上手くいかなかったんだろうな。
そもそも丹波文吉は親子で修行していたから、一連の闇討ち騒ぎが初の実戦だったのだろう。
最初のうちは、けっこうドキドキしながら闘っていたんだろうな。
『この時代』
『打撃系ではまだ』
『「回し蹴り」さえ存在していない』
さらにナレーションが入った!
久右衛門、早くも解雇か!?
たしかに現代の観点から解説することは、この時代の人間じゃムリだ。
時空を超えた解説はナレーションにまかせるしかあるまい。
明治のころは蹴り技のバリエーションが少なかった。
前田光世はいきなり未知の攻撃を喰らって動揺していたハズだ。
それでも頭部への直撃を防いじゃうあたりがタダ者じゃない。
しかし、脇腹への打撃で肋骨は折れて、一部が外に飛びだしている。
オマケにカカトがアゴ先を掠めたせいで気絶していた。
どうみても戦闘不能です。
丹波文吉の勝利だ。
ナレーションも文吉の勝利を宣言した。
勝者・文吉は背をむけて去ろうとする。
だが、背後からせまる気配が歩みを止めた。
立っている。
前田光世が立っている。
肋骨が皮膚を突き破って飛び出したままだ。
目はうつろで意識は戻っていない。
闘争本能だけで立ち上がったと言うのだろうか?
前田光世、恐るべし。
『文吉』
『躊躇なく仕留めに行く』
『この機を逃してはこの漢
(おとこ)
には永遠に勝てない――』
思いっきりがいい攻撃だ。
だが、前田の負傷は深刻である。
放置しておけば勝手に倒れそうなほどの深手だ。
あわてて追い討ちをかける必要があるのだろうか?
逆に文吉が追いつめられているように見える。
必殺技のハズが倒しきれなかった。
丹波は内心おおきく動揺しているのかも。
トドメを刺そうと文吉は再びジャンプして、回転カカト落としだ!
南無三宝断月独楽の"断月独楽"部分ってところか?
今にも死にそうな相手に対して、ちょっと大げさな攻撃っぽい。
やはり丹波はあせっているのか?
トドメに使用する大技が吉とでるのか、凶となるのか?
もう決着はついたハズなのだが、不安が消えない。
次回こそ、完全決着となるのか!?
2013年6月6日(27号)
第十六話 / 前田君
明治37年(1904年)の夜に行われた、丹波文吉と前田光世の死闘も決着が近い。
文吉の必殺技・南無三宝断月独楽(なむさんぽうだんげつごま)によって前田光世は意識を失っている。
だが、それでも前田は立ちあがった。
立っているかぎり、負けていない。
前田にトドメを刺すべく、文吉が今宵二度目の断月独楽を放たんとする。
意識のない前田にはよけるすべがない。
今度こそ決着か!?
(前田君)
(寝ている場合じゃ)
(ありませんよ)
(嘉納先生――ッ)
脳内・嘉納治五郎の呼びかけで前田光世が覚醒した!
ふつうならココで美少女に起こしてもらう所なんだけど、オッサンなのが夢枕獏の世界ですね。
セックス中に男の顔を思い出しながら射精したり、ここでこの女を抱けと言われて男の名前を叫びながら襲いかかる世界だ。
いやいやいや。真・餓狼伝は少年漫画だから、性描写はあまり出てこないでしょうけど。
そして、前田光世にとって嘉納治五郎の存在が大きいと言うコトなのだろう。
自分に光を与えてくれた恩師だ。
『
SLAM DUNK
』の三井にとっての安西先生以上に大きな存在だろう。
嘉納先生、柔道がしたいです。
しかし、目覚めてみたら目前にカカト落としが迫っている。
なんかもう試合終了って感じの状態だ。
だが、講道館柔道なら逆転できるか?
たとえば相手の力を受け流して投げに持ちこむとか。
前田光世の選択は――――
(お前に腕一本)
(くれてやる――――――ッ)
左腕で受けた!
そして、
折れた!
愚策、とまでは行かないが、かなり分の悪い策だ。
小さな犠牲をガマンして、大きな犠牲をさける。
泥臭いガムシャラな対応だ。
とりあえずのピンチは脱した。
でも、左腕が折れたら片手で相手をつかむことになる。
組み技系にとって片腕になることは大きな障害になりそうだ。
関節や絞め技は片腕じゃほとんど極まらないだろう。
勝利条件を二つぐらい失ってしまった状態だ。
左腕は折れて、脇腹の傷から再度出血した。
前田の深刻なダメージに丹波は勝機を見出す。
だが待って欲しい。
必殺技を二度も使って倒せなかったのはマズいんじゃなかろうか?
前田は大量に出血している。
ここは少しさがって、新しい角度から攻める方法を考えたほうが……
と、前田はカカト落としをした文吉の右足をつかんだ。
右手一本で投げようとする。
さすがに釣り手一本じゃ、オレを投げることは不可能だ。
文吉はそう確信した。
だが、前田の執念が文吉の予想を上まわる。
前田が噛みついた。
右手と歯で文吉の袴をつかんで投げる。
足への変形・山嵐といった形になった。
(……………前田さん
アンタ…)
(すごい人だ)
なんと言う執念か。
折れても投げる。
噛みついてでも投げる。
投げにこだわった講道館の意地が爆発だ。
袖をつかんだままの投げならば、文吉も受身が取れまい。
この一撃で、今度こそ決着だろうか。
次回につづく。
使い手を選ぶ変態・必殺技だ。
片腕を捨てる。
左腕が利かない → まだクチがある!
常識を超えた投げ。
最初の戦いとは思えないほど濃い要素が詰まっている。
いきなりこんだけ出しちゃったら次回からの戦いがうす味に思えてしまいそうだ。
それだけ中身の濃い名勝負でした。
もっとも、餓狼伝で格闘にこだわって数十年書いてきた夢枕獏だけに、今後もスゴい展開があるのだろう。
父・丹波久右衛門の謎がまだ解明されていない。
敗北(?)した丹波文吉は父の無念とどう向き合うのだろうか。
そして、前田光世は数ヵ月後に講道館柔道を世に広めるため世界に旅立つ事になる。
肋骨が開放性の骨折で、左腕も折れている。
海外よりも、あの世に旅立ちそうなダメージだよな。
ちゃんと骨がくっついてから出発できたのだろうか?
前途が心配な餓狼たちであった。
2013年6月13日(28号)
第十七話 / 執念
・質問:左腕が折れてしまい、片腕じゃ敵を投げることができません。どうしたらいいでしょうか?
・回答:
まだ、歯がある!
と言うわけで、口を第三の手として丹波文吉を投げとばした前田光世であった。
文吉は地面に叩きつけられ、投げた前田も転がる。
渾身の一投だ。
こりゃ、こんどこそ勝負アリですね。
長い死闘だった。
(まだ来るか 丹波ぁ〜〜ッッ)
って、
動いた!
丹波文吉、まだ止まらない!
不定期連載のバイオハザードが掲載中のチャンピオンだけに、ゾンビパワーが高まっているのだろうか?
実戦経験が少なく、体つきも細い。
丹波文吉にはタフネスの要素がないんだけど、実際の打たれ強さがゾンビなみだ。
精神力でどうこうするには、経験が少ないと思うのだが……
地味に受身をとってダメージを減らしているのだろうか?
むろん文吉も無事じゃない。
肋骨2〜3本と鎖骨が折れている
。
骨折数はだいたい前田と並んだ。
鎖骨が折れると腕が動かなくなると言うし、片腕と言う条件も同じといえる。
だが、二人の精神状態はまるでちがう。
前田は倒したと思って安心しきっていた。
今からもう一度、闘志を燃やすのは難しいだろう。
文吉は骨折の苦痛から立ちあがった。
助走をつけているようなもので、このまま飛び立てる。
この状況は丹波文吉が勝利する流れだ。
文吉はゆっくりと前田に近づいていく。
マウントポジション
をとった。
いや、マウントじゃない。
ガードポジション
だ。
明治後半の、この時代ではマウントポジションをめぐる攻防はまだ生まれていなかったハズ。
それでも、前田がマウントをゆるさなかったのは本能で危険を察知したのかもしれない。
文吉がガードポジションで良しとしたのは、疲労のためだろうか?
あと一撃を出すだけの力しか残っていない。
ポジション争いをやっている場合じゃないのだろう。
そのままガードポジションの状態で殴る。
最後の一撃だ!
(…丹波…)
(ありがとう)
前田はまだ死んでいなかった!
殴ってきた文吉の腕を取り、足を文吉の首に絡める。
まさか、この体勢はッ!?
次回につづく。
こいつら、まだ戦うのかよ。
死ぬよ。マジで。
前田は肋骨に解放性の骨折がある。
これ以上動いたら内臓も傷ついてしまうかも。
丹波も鎖骨と肋骨を折った。
皮膚を突き破ったりはしていないが、体内で動脈を傷つけていたら、かなりヤバい。
二人とも気絶したら朝には死体になっているような重傷だ。
カラスについばまれて穴だらけになるぞ。
石を投げてくれる烈海王はいない。
とにかく、はやく保護してもらえ。
明治じゃ救急車はないだろうけど、当時の人ってどうしていたんだろう。
最後に前田が仕掛けようとした技は、
三角絞め
のようだ。
三角絞めは
高専柔道
で開発された技で、本当ならまだ誕生していない技である。(
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
)
だが、夢枕史観では
武田惣角
が三角絞めで
嘉納治五郎
を絞め落としていた。(
東天の獅子
)
前田も、ひそかに三角絞めを学んでいるのかもしれない。
打撃で勝負がつかなければ、組み技でつける!
どんな打撃にも耐える精神力を持っていても、絞め技で落としてしまえば精神力も発揮できない。
決着のつかないドロドロした闘いにおける組み技の重要性が証明されるところですね。
丹波文吉は組み技で負けたとしたら、新しい課題として組み技も練習するかもしれない。
そのときこそ、南無三宝断月独楽がさらなる変化を起こして三段攻撃になるかも。
しかし、本当に死にそうな二人だ。
相手の顔を自分の股に挟むような格好
で息絶えちゃったら、おぞましい誤解をされるかも。
やはり、一刻も早く誰かに回収してもらわんと、危険すぎる。
2013年6月20日(29号)
第十八話 / 親心
明治37年(1904年)のバーリトゥードもついに決着だ。
丹波文吉の打撃を前田光世が捕らえた。
右腕をかかえこみ、両足で文吉の首を挟みこむ。
現代の総合格闘技でも有効な必殺技、
三角絞め
だ!
って、技名は出てこないのか。
そりゃ、本来ならまだ誕生していない技だしな。
人体構造は何万年も前から大して変わっていないから、たまたま似たような技があっても良いんですよ。
首を絞められ丹波文吉は失神するのも時間の問題だ。
いや、文吉はまだあきらめていない。
(そ…そうだ前田の脇腹と左腕を)
骨折したところを攻撃したら痛みで前田の攻撃もゆるむ。
理屈ではそうなんだけど、鬼の発想だな。
丹波文吉、十代にしてすでに闘争の鬼である。
『…がしかし』
丹波の右手は前田の剛力で握られ固定されている。
前田は折れた左腕で骨の飛びだしている脇腹もガードだ。
首に絡みついた足が、丹波の腕を阻み自由な攻撃をゆるさない。
攻防一体のカンペキな体勢だ。
こんどこそ前田光世の勝利かッ!?
と、ここで回想のお時間です。
文吉がピンチになると出てくるのが、父・久右衛門だ!
死して(?)なお、危機に出てくる親心。
少年の文吉は久右衛門と稽古をしていた。
文吉が三角絞めで久右衛門を攻める!
って、
文吉も三角絞めが使えたのか。
『
東天の獅子
』では、
西郷四郎
や
武田惣角
など、御式内にかかわる人間がつかう技とされている。
丹波の丹水流も御式内と関わりがあるのだろうか?
そして丹水は餓狼伝に登場するスクネ流の技名タンスイ・リオウではないかと、掲示板で指摘されています。
これはウッカリ気づかなかったのですが、同一の可能性がありますね。
餓狼伝だと、前田光世はスクネ流の奥義を持ちだしたため殺されたことになっている。
丹水流がスクネ流から別れたのだとしたら、前田光世を殺しにくる刺客が丹波文吉と言う可能性もあるのだ。
なお、須玖根流はおそらく日本最古の格闘家のひとりである
野見宿禰(のみのすくね)
から来ていると思われる。
天皇を守る技だから昔からの勇者にちなんでいるのだろう。
そして、刀を抜くことがゆるされない殿中での武術・須玖根流は座って戦う御式内と共通点を感じる。
これらはただの偶然なのか、それとも意味のあるつながりなのか……
話をもどす。
カンペキに極まった三角絞めは脱出不可能だ!
三角絞めに限らず、寝技は一度極まってしまうと脱出が難しい。
だが、久右衛門は抜け出すことができるという。
まさか、
クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン
のように相手を持ちあげて地面に叩きつけるのか?
前田より文吉のほうが、かなり軽そうだ。
持ちあげるのはムリだろう。
ならば、どうするのか?
「全ての生物
(いきもの)
の弱点であり」
「また鍛えられぬ箇所である」
「目を」「えぐるのじゃ」
うぉ〜〜ん、来たァ!
勝つためには手段を選ばぬ"武"が避けて通れぬ目潰しだ。
金的も避けて通れないけど、やっぱり人体最大の弱点は目ですよ。
脱出不可能の寝技からどうやって逃げるのか?
闘争の世界では、コレが大きな課題になっている。
餓狼伝で多く使われる手法が指だ。
鍛え抜いた指で相手の耳の穴や鼻の穴を突く!
そして、目も攻撃対象だろう。
丹波文吉は最後の手段である目潰しを行おうとしている。
はたして、この禁断の技は通用するのか?
というか、本当に誰か止めてください。
もう、コイツら死ぬまで闘いつづけそうに思えてきた。
次回につづく。
たしか『
本朝無双格闘家列伝
』だったと思うのだが、夢枕獏が世に知られ始めたグレイシー柔術について作家仲間と熱く語ったエピソードがある。
グレイシー柔術のマウントポジションは、複数とケンカした時に不利なのでは? チョークをするとき、目に指を入れられたらどうする?
いやいや、柔術ではリングの上で闘う格闘技とは別に護身術としての柔術がある。
寝技をかけるときは相手に目を攻撃されないポジションをキープするのだ。
と言った感じに夜を徹して激論したとか。
ルールなき闘いで、護身術としての武術はどうあるべきか?
前田光世はカルロス・グレイシーに柔術を教えたときに護身術としての柔術も教えていたのだろう。
つまり、文吉の目潰しにも対応できるハズなんだが……
この時の失敗を反省して護身術を練習しなおしたと言う展開もありうる。
実際のところは、どうなんだろう。
日本の柔は戦場での組み打ちから発展したという説がある。
戦場で敵の首を切り落とすのはローリスク・ミドルリターンの比較的安全な手柄の立て方だったのだ。(
刀と首取り
)
敵に組ついて首を切り落とすために格闘術が発展したと言う説はワカりやすい。
だが、実際は飛び道具や槍で傷ついて戦闘不能の人間から首を取ったケースが多いそうだ。
評価されない首のケースとして「味方討」「奪首」「病首」「女首」「拾首」「死首」「幼児の首」「作首」「冷え首」などがある。
おぼえても絶対に日本史のテストに出てこない知識だろうが、こういうインチキで首を持ってくるものが多かったのだろう。
そもそも、戦士が単独で戦うとは考えにくい。
最小単位なら5人ほどのチームで戦うだろう。
平和な江戸時代でもちょっと上級の武士が人を雇って働かせていたのは、戦争になった時の人員動因のためだ。
そういう状態だから、一対一で戦って首を取ったりしていないのではなかろうか。
格闘はどちらかと言うと個人の武芸を磨くために行うスポーツに近いものかもしれない。
だとすると、やっぱり目潰し対策に不安がのこる。
これ以上放置すると、二人とも際限なく禁じ手を使いまくって両者共倒れになりそうだ。
もう、頼りになるのは嘉納治五郎先生ぐらいだろう。
このタイミングで登場してもらえないだろうか。
でも、嘉納治五郎は初登場の印象のせいで、ウン●している人ってイメージになってしまった。
膠着状態にある二人の間に落とせば、すべて台無しになって無効試合に持ちこめる気もしますが。
2013年6月27日(30号)
第十九話 / 目突き
武術には稽古や試合では使用(つか)えぬ裏技がある。
本来なら打撃もできない密着した状態からでもできる技だ。
それは目突きッ!
前田光世は、目突きをすでに経験していた。
講道館での稽古で先輩の
横山作次郎
が狙ってきたのだ。
さすが超実戦派の鬼横山ですね。
目突き対策もバッチリだ。
横山の寸止め目突きで前田光世は技をといてしまう。
やはり目突きの効果はバツグンだ。
禁じ手だけに強力すぎる。
目突きに気をつけろ。
横山の忠告を前田は笑って聞きながす。
いや、ちゃんと聞いておこうよ。
横山じゃなくても追いつめられた人間なら噛みつきや目突きをやってくる可能性が高い。
明治はまだまだ物騒な時代だし、対策を考えたほうがイイぞ。
回想終わりッ!
そして、
前田光世は対策を用意していなかったッ!
横山さんの忠告がイカされていない。
前田は良くも悪くも柔道一直線なんだろうな。
対する丹波文吉は厳しい指導を受けていた。
躊躇せずにエグれ。これが武の世界じゃ!
久右衛門さん、容赦ないコトを教えます。
武士道には二つの道がある。
ひとつは、誇り高く生きる支配者階級としての道だ。
もうひとつは、勝つために手段を選ばない戦士としての道である。(佐伯真一「
戦場の精神史
」)
勝つためなら目に指をつっこむのが、武なのだ。
でも、正常な人間がいきなり人の目に指をつっこむなんてできない。
丹波文吉は動物で訓練させられたのだろうか?
武士だって、いきなり人を斬るわけでなく、それなりに練習している。
鍋島勝茂
は父・
直茂
から『御切習ひ(人を斬る練習)』として罪人十人を斬るように命じられた。(「葉隠 聞書四」
『葉隠』の武士道
から引用)
戦国大名でも練習は大事なのだ。
文吉は指を前田の目に近づける。
まだ覚悟が決まりきっていない感じだ。
やっぱ、
動物で試したりしていないのだろう。
明治のころは動物愛護団体なんか無かったんだろうけど、動物虐待が気持ちのいいものじゃないだろうしな。
前田は文吉の指に、エグる覚悟をみた。
技をといて逃げるか?
それとも、エグられるのか?
前田の選択肢はどちらでもない。
(悪いが丹波 エグられる前に
貴様を失神
(オト)
すぞ――――――)
目玉をかけた
チキンレース
状態だ!
見ているこっちのほうが怖いわッ!
前田の選択肢は間違っている気がするんだけど、それって私がチキンなだけかもしれない。
でも、目玉って二つしかないんですよ。
あ、逆に考えれば一つまでなら、OKか?
いやいや、睾丸だって二つそろってないと落ち着きが悪い。
やっぱ二つ無いとイヤだな。
エグられる前に失神(オト)せるのか?
前田光世の危険な賭けはどうなる。
こんなコトなら横山のアドバイスをもっと真剣に聞いて対策を考えておけばよかったと後悔中かもしれない。
今から、足を巧みに使って相手を遠ざけながら絞める技をひらめくんだ!
そして、丹波文吉ですが……
つっこむなら目じゃなくてもイイんだよね?
鼻とか耳とか、尻の穴とか。
目はダメージが大きいから抵抗感もあるだろう。
もうちょっとツッコミやすい場所を教えてあげればよかったのに。
あとは、砂をつかんで目にかけるとかでもOKかもしれない。
間接攻撃なら心理的負担も少ないだろう。
鼻を攻撃する場合は……
こんな事もあろうかと、あらかじめ犬のフンを握りこんでいた。
なんて展開ですかね。
2013年7月4日(31号)
第二十話 / 文吉よ
丹波文吉と前田光世の死闘も決着が近い。
明治29年(1896年)のバーリトゥードも今度こそ決着か。
死にそうで死なないギリギリの線で戦っています。
前田の三角絞めが文吉を失神(おと)すほうが早いのか。
文吉が前田の目をえぐるほうが早いのか。
――――勝負だ!
前田は折れた肋骨が飛び出し、腕も折れている。
だが、まだ戦いつづけているのだ。
嘉納治五郎の弟子のスゴさを文吉は実感している。
文吉は嘉納治五郎を悪く言っていたが、この戦いで誤解だと気がつくのだろうか?
誤解というか、だれかにダマされているのかもしれないけど。
前田は目をえぐられぬように、足を伸ばして丹波の体を遠ざける。
だが、足と体を伸ばしたコトで脇腹がガラあきになってしまう。
文吉がスキだらけの脇腹に拳を連打する。
打たれている右脇腹はボディーブローでもっともダメージが高いといわれる肝臓のあるところだ。
しかも、肋骨の折れている左脇腹に打たれた振動が伝わり再度の出血を起こす。
さすがの前田も、体をちぢめて耐えるしかない。
だが、体をちぢめると、今度は文吉の手が目に届くようになる。
体を伸ばすも地獄、縮めるも地獄だ。
激痛と失明のどっちが良い?
こんな選択肢を突きつけられた時点で、終わっている気がする。
いや、普通の人なら肋骨が折れた時点で、あきらめて試合終了ですよ。
嘉納治五郎の弟子、スゲーってコトですかね。
容赦なく目をエグるのが"武"だ。
ようこそ"武"の世界へッ!
文吉に脳内の父・久右衛門が語りかける。
ほんとうに良くしゃべる人だ。
『でもなァ文吉……本当に………それでいいのか!?』
エグれ、エグれと言いつづける久右衛門だが、急に疑問をもちだす。
勝つためには手段を選ばないのが"武"であり、餓狼の道だ。
だが、使えるけど、あえて使わないという選択もある。
それは相手への敬意だったり、遺恨なき戦いの結果だ。
容赦ない攻撃がゆるされる闘争の先に、すべてを出し尽くしたからこそ賞賛しあえる戦士二人の境地だ。
餓狼伝や獅子の門、東天の獅子などにも登場する戦士にとって至高の境地といえよう。
文吉は目をエグらなかった。
そして、そのまま絞め落とされる。
今度こそ、長い戦いも決着だッ!
丹波文吉にとっては初陣みたいなモノだったのだが、とんでもない死闘になった。
燃え尽きて、もう引退しちゃってもおかしくない状態だ。
丹波はすぐに復活できるのだろうか。
前田光世は、歴史的な事実としてすぐに海外へ旅立つ事になる。
そうとうな重症なんですけど、折れたまま出発する事になるんだろうか。
私なら家から出ることすらできなさそうなダメージなんですけど。
そうなると、文吉は前田へのリベンジを果たせなくなる。
目標を失うと、ますます文吉が迷走しそうだ。
餓狼伝では丹波文七が敗北するたびに悩んで放浪していた。
真・餓狼伝でも文吉が放浪するかもしれない。
伝統的なことを考えると、悩んで放浪しはじめた時こそ、餓狼伝の本編スタートなのかも。
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