バトルロワイヤル (映画版)
2000年12月29日(金)
狂暴化する少年犯罪に対し施行された「バトルロワイヤル法」通称「BR法」に選ばれた中学生1クラス40人+転校生2人で、最後の一人になるまで殺し合いをすると言うのが映画の簡単な内容であり、ゲームのルールだ。
最後まで見終わっても、このゲームがなんで少年犯罪に有効になるのか分からなかったのだが(苦笑)、アクション映画として見ると、かなりいいできだと思う。
冒頭にゲーム勝者の女の子が出てきて、血まみれで人形を抱えて歪んだ笑みを浮かべている。そのシーンだけで圧倒的な衝撃がある。
殺しを楽しんでいる殺人狂の桐山と前回ゲームの優勝者の川田の二人の転校生が話を引締めている。特に桐山の容赦ない攻撃っぷりは画面に緊迫感を与えている。
異色を放っているのが相馬光子と千草貴子だ。女子でありながら本気で戦う二人は(一人はゲームに勝利するために、もう一人は自分のプライドを守るために、の違いはあるが)男が戦っているより凄まじい。特に相馬光子。彼女が出てくると館内で笑いが起こるほど覚悟完了している。
反面、ちょっとほのぼのするシーンも用意されていて、特に川田のキャラクターがかなり話の陰惨さを救っている。
ニュースなどでラストシーンに感動したと言う人が多かったが、私は特に感動しなかった。ラスト手前の船上のシーンのほうがよかった。
それと教師・キタノの存在意義がイマイチよく分からない。
そもそも普通の教師がなんであんなにナイフ投げや銃の腕前がいいんでしょうね(^^;
存在意義が分からないと言いながら、分かったふりをしてみるとキタノはダメな大人の象徴として存在しているのではないだろうか。この映画にはまともな大人がほとんどいない。ゲームに反対して殺されてしまった教師も出てくるが、修学旅行のバスの中では生徒をまとめられていないダメな教師に見える。
主人公・秋也の父にしても子供を置いてさっさと自殺して、挙句に「秋也ガンバレ」と勝手な書置きまで残す始末だ。
で、キタノも生徒にも子供にも舐められているダメな大人で、その怒りがバトルロワイヤルの教師を引き受けると言う行動に出ているのではないだろうか。
ラストの方の「心中するなら」と言う言葉に、ダメな大人のヤケクソ的な感情が感じられる。だが、同時にそのダメさを自覚し強制的にリセット(死)してしまおう、と言うのがキタノの行動ではないだろうか。
やっぱり無責任ではあるが、後に残される子供達には立派に生きてくれと言う思いを込めて、無意味に死ぬ。それが、ダメな大人なりの決断だった気がする。結局、秋也の父親と行動が一緒なんですけどね。
それと、見る前から気になっていたのだが、この映画はえらく女の子が可愛いんですよね。私も内海幸枝さんに灯台で看病してもらいたい(爆
ついでにスカートがひらひらするのがエロいっす。銃撃戦そっちのけでつい目で追っかけてしまいます(超爆
この映画の感想で原作を読んだ人からイメージやキャラクターの持ち味が活かされていないという批判をよく見る。
実際に「3年B組 金八先生」のパロディ部分はスッパリ切られているし、相馬光子の魅力のひとつである闇の過去に触れられていないし、杉村の存在価値は激減しているし、桐山はただのイカレポンチになっているし…、と文句ならいくらでも書けるのだが、2時間と言う制限があり、文章で書かれたものを映像化するという作業において、この作品はかなりベストを尽くしていると思う。
たとえば桐山の空虚な感情と言うものは小説で表現できても他のメディアでは表現しにくい。実際コミックス版「バトルロワイヤル」では表現をさらっとながしている。
逆に映画オリジナルの部分、小川さくらが武器の入ったかばんを受け取らずに投げ返し、ゲームに乗るくらいなら死を選ぶと言う部分など各生徒のバリエーションとして描くにはよくできている。
川田の回想シーン、慶子のエピソードも話を盛り上げると言う意味ではよくまとめられていると思う。
全体的に言って一見の価値のある映画だ。
最後に、作中素顔で出てくる宮村優子にゃ笑った、と言うより引いた。これも一見の価値あり。
私はあのビデオのラストで宮村優子の首輪が爆発して首がちぎれると、真面目に期待したんですけど(^^;
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